第41回 なにじろじろ見てんのよブス!
先日、発作的に手羽先の唐揚げが食べたくなったので、舎弟を連れて食べにいった。昨今の不況っぷりをよそ目に、週末の夜は常時混雑している人気の店である。わたくしも舎弟もスモーカーなのだが、喫煙席が満席だったため、空席のある禁煙席に案内された。喫煙席が空いたら移動させてくれと店員さんにお願いしておいた。
喫煙席はテーブルごとについ立てのある椅子席だったが、禁煙席はお座敷スタイルであった。4人席のテーブルが4つあり、わたくしたちはそのひとつに案内された。ほかの3つのテーブルはすでに先客で埋まっていた。ぎりぎりセーフである。
念願の手羽先にありついたわたくしたちは幸せの絶頂であった。わたくしはコショウのたっぷり効いたバージョンがお好みだが、辛いものが苦手な舎弟は、コショウなしの甘口バージョンがお気に入りだったようだ。
そして、適度にアルコールが入って満腹になると、タバコが吸いたくなる。しかし、ここの店員さんたちは初々しいというか不慣れというか、接客や配膳がとてもぎこちなく、動きに無駄が多い。そのうえ満席ときているから、これ以上テンパらせては可哀想。わたくしたちはもう少し店内が落ち着くまで辛抱していた。
ところがそのとき。
わたくしたちのはす向かいに座っていた2匹のオス客どもが、急にわたくしと舎弟をじろじろと見比べて、なにやら小声で示し合わせているところを、わたくしはばっちり見てしまった。どちらも短髪ガチムチ系だったため、座敷で最初に見かけたときは“お仲間”かと思ったのだが、まるで異物か珍獣を見るような不躾な目つきだったので、ああ、オスバカノンケか、とわかった瞬間、わたくしのなかに猛烈な怒りが込み上げてきた。タバコが吸えないイライラも当然この怒りに拍車をかけたのだが。
「あいつらはオトコかオンナか、どっちだ?」。2匹のバカが示し合わせていたのは、さしずめそんなところである。もういい加減話すこともなくなって、ふとはす向かいの席を見たら、性別不詳の奇妙な連中がいるじゃないか、これは酒の肴にぴったりの話題だ、暇つぶしにちょうどいい、という程度の、濁りきった認識なのだろう。他人の性別をあからさまに詮索するのは、聡明な人間のやることではない。
隣を見ると、舎弟はオスバカどもの視線に気づいているのかいないのか、うつむいたまま黙々と手羽先にがっついている。オスバカどもの視線は明らかに、わたくしよりも舎弟に向けられている。わたくしは負けじとバカどもを見返してやった。視線をそらさずにじっと奴らの目をにらみつづけたのである。
わたくしの怒りのまなざしをまともに食らった2匹のバカは、慌てて視線をそらし、わざとらしく話題を変えたかと思うと、「あー、酔った酔った」と言いながら、そそくさと店を出ていった。ヘタレどもめ、とっとと帰ってクソして寝ろ、である。わたくしは奴らが座敷から完全に消え失せる瞬間まで、2匹を交互にじーっとねめつけつづけた。目が合った時間があと5秒長ければ、間違いなくわたくしは奴らにケンカを売っていただろう。
バカどもが出ていった後も、わたくしはしばらく怒りで頭がカッカしていた。そんなわたくしに向かって舎弟はぽつりと言った。「いつものことですよ。もう慣れっこです」。平和主義者の舎弟は、無遠慮な視線にさらされてもひとつも抵抗せず、嵐が通りすぎるまでじっと気配を消しつづける。見ず知らずのオッサンに、「お前はオトコか、オンナか?」といきなり言われ、カッとなって殴りかかったかつてのわたくしとは、雲泥の差である。
それにしても喫煙席はまだ空かないのか! と思って店員に尋ねると、ようやく席を移動させてもらい、一服して気分を落ち着けた。不慣れな店員たちに怒りの矛先を向けてもしかたがないが、最初からこっちの席だったら、幸福な時間を台無しにされることなどなかったのに。そう思うとなんだか悲しくなってきた。
舎弟は学生のころ、知らない生徒にトイレまでつけられたという。当人の当惑や恐怖も考えずにつけてくる連中にしてみれば、オトコかオンナかわからないやつの性別を確かめることは、きっと“正義”の行ないなのであろう。
だが、わたくしは下衆な連中の好奇心の正当化など絶対に許さない。無遠慮な視線を向けられた側がどんなに不安で居心地の悪い思いをするか、実地でわからせてやらないと気が済まないのである。もちろん、わたくしだって平和にすごしたいのは山々である。できればケンカなどせず、いつだって平穏に楽しくすごしたい。しかし、社会経験の乏しい連中のためにボランティアでおとなしくサンプルになってやる義理などない。
わたくしも舎弟も、自分のしたい格好をしているだけだ。全裸で歩いているわけでもないし、人びとをぎょっとさせるような奇抜な服装をしているわけでもない。好きこのんでこの身体に生まれついたわけではないが、この身体にふさわしい格好をすれば、世のなかに埋没するにもしようがないのである。
平和主義者とは、襲いくる身勝手な好奇心の嵐が通りすぎるまでひたすら黙って耐え忍ぶ者のことなのだろうか。いや、自分の平和を守るために必要な戦いもあるのである。
「慣れっこってことは、君はあんなふうにじろじろ見られるのが平気なの? なんとも思わないの?」と尋ねると、舎弟は、「平気じゃないです。怖いし、悲しい」。「ほら、ぜんぜん慣れてなんかいないじゃん。っていうか、慣れたらおしまいじゃね?」とわたくしがけしかけると、こちらの怒りに影響されたのか、「あー、なんか腹立ってきた! あんなブスどもにじろじろ見られたら、酒がまずくなる!」と舎弟は言い放った(といっても舎弟はしらふだったのだが)。
そして、「よし、私、練習するわ! 今度こういうことがあったら、『なにじろじろ見てんのよブス! オカマがそんなに珍しいかブス!』って言ってやるんだから!」と舌足らずなオネエ言葉で叫びながら、なぜか卓球のフォームで素振りをはじめた。「ブス!」のところで右手をシュッと振るのである。名付けて「ブス振り」。
素振りのフォームはへっぴり腰だったが、怒りの感情を正当に表現しようとしはじめた舎弟が、このときは少しばかり頼もしく思えた。オトコでもオンナでもなく、争いを好まない植物のような舎弟は、わたくしから見ると、それはそれは美しい生き物だ。この美しさがわからない連中は、ほんとうに目が節穴だと思う。
それにしても、このブス振りが日の目を見るのは、いったいいつになることやら。
【タフまんワールド・用語解説】
▼オスバカノンケ
「異性愛の男」であることに無根拠なプライドを持ち、「異性愛の男」以外を平気で値踏みする、たちの悪い異性愛男の別称。