●第21回 ポリアモリーには「モテない努力」が必要?

もう少し、モノガミー/ポリアモリーの話をつづけようと思う。性愛関係のありかたをとっかかりに、シフトしていきたい話題があるのでな。

第19回のコラム公開後に、某読者Aさんからご丁寧な感想をメールでいただいた。Aさんは、わたくしが述べた自己身体の使用権と他者(性愛パートナー)による自己身体の使用禁止権を、以下のように整理してくださった。

(1)自分の身体を自分の望み通りに使用する権利
(2)性愛関係にある他者に、自分以外の第三者とセックスをさせない権利

(2)は、わたくしにケンカを売ってきたオカマの「ほかのひととはセックスしてほしくないという気持ちを裏切るのも暴力よ!」という発言から解釈される権利である。(1)はどんな状況においても各個人に備わっているもので、いつでも行使可能な権利であるのに対し、(2)は性愛関係にある者同士が「お互い、パートナー以外との性交渉を持たない」という約束(契約)をかわした時点で初めて発生する権利である。

約束をかわしていないにもかかわらず(2)の権利を主張・行使することはできないわけで、第三者と性交渉を持ったパートナーをいかに批難してみても、それは単なる嫉妬の感情にすぎず、契約不履行を訴える正当な根拠とはならない(Aさんがまとめてくださったのはここまで)。

現実問題、口頭だろうが書類ベースであろうが、性愛関係にある相手と明確に契約をかわすということはちょっと考えにくいのだが、だからといって、「そんなこといちいち約束しなくたって、付き合っている相手以外とセックスしないのは当たり前のことじゃないの!」と主張するのはいささか乱暴だとわたくしは思う。はっきり明言しない場合には性愛関係形態を自動的にモノガミーとみなす、というのは、モノガミストにだけ都合のいい解釈であろうから。

性愛関係が暗黙裡にモノガミー形態とみなされるのは、その延長線上に結婚が想定されるからである。多くの国において結婚といえばモノガミーを指し、婚姻届に署名捺印をするという契約が発生する。しかし、結婚以前の、あるいは結婚とは結びつかない「お付き合い」においても、その形態がモノガミーを下地とするのは、いったいどういうわけなのだろうか。

これについては、自立した個人(近代的自我)の対等な関係としての愛の問題に絡んでくるので、また回をあらためて述べることにする。

そもそもわたくしは婚姻という契約そのものを評価していないのだが、それはその契約内容が国家によって一律に定められており、各契約者関でオプショナルな契約をアレンジできない点にある(各パートナーシップの個別性が疎外される)。生命保険をはじめとして、世のかたがたはさまざまな契約を取りかわしており、その内容や費用対効果は入念にチェックしているはずなのに、こと婚姻に関してはどのカップルも一律同じ金太郎飴的契約内容に不服も申し立てず吟味もしないというのが、わたくしには不思議でしかたがない。婚姻届け出時に契約金は発生しないが、タダより高いものはないということは、離婚を体験したかたなら重々承知のはず。

同居の義務にしても貞操の義務にしても、「結婚とはそういうものだ」と無条件に納得(思考停止)して署名捺印してしまう。だが実際には、その内容を忠実に守る気なんかさらさらなかったりする向きもあろう。契約というものは万が一の場合に備えてのリスクマネジメントの一種であるはずなのに、婚姻の場合は手続きのお手軽さがかえって仇となるにもかかわらず、経済的にも体力的にも精神的にも並々ならぬコストを払ってまで、よくもまあみなさん結婚市場に打って出るものだと感心してしまう。「愛」の名においては、契約内容をいちいち細かく検討するのは無粋である、という暗黙の了解でもあるのだろうか。

わたくしは、結婚を前提としていようがなかろうが、親密な関係を結ぶ際にはお互いの性愛関係形態について明確に契約を結ぶべき、と考える。契約というと大げさかもしれないが、おのおのどのような関係形態を望ましいと考えているのかあらかじめアナウンスしておいたほうが後々悲しい思いをしなくて済むだろうし、関係を生成構築するなかで、お互いにとっての望ましいかかわりかたは変容していくかもしれないので、折にふれて契約内容の見直しをおこなったほうがよいとも思う。いくら無粋と思われようとも。

モノガミーであるAさんは、パートナー間でモノガミー契約を結ぶなら(2)の権利行使はまったく問題ないとしたうえで、「でも、自分はそのような契約はしない。自分が辛くても、できる範囲でパートナーの(1)の権利を尊重する」と言う。えーと、Aさん自身の(1)の権利もしっかり尊重してくださいねー。

さらにいわく、「『他に好きな人ができたら言ってください。悲しいし泣くけど、諦めます』というスタンス。『他の人とセックスしたくなったら、ばれないようにしてくれればいいよ(ばれたら自分が嫌な気持ちになるから)』とも思う」。なんといういじらしさ。

「ばれないようにしてね」というのは、モノガミストのポリアモリストへの最大限の配慮なのかもしれないが、ごめん、隠しごとをするというスキルが致命的に低いわたくしは、その要望にすら応えられない腐れ外道の鬼畜かもしれない。ポリアモリーに対しては、多くのモノガミストが犯罪者を見るような「氷点下のまなざし」を向ける。いかに寛容なモノガミストであっても、「そういうひとがいることは認識するけど、自分は付き合えない」という、総論OK各論NGなご意見で封殺してしまう。モノガミストとポリアモリストの出会いは、じつに不幸である。

世の中の大半がモノガミストであるらしいので、恋愛市場に参入する際にはポリアモリーな性質を隠したほうが、きっと得策なのだろう。けれども、モテるため、恋人をゲットするためにモノガミーのふりをすることは、自分にも相手にも不誠実であるとわたくしは思う。モテることとポリアモリーであることは別物である。あっちもこっちも全部モノにして美味しい思いをする、というのは、ポリアモリーとは関係ない。むしろ、ポリアモリーを自認するには、すべての関係を失ってしまうかもしれないという覚悟が必須である。そのため、トラブルと無縁なポリアモリーを実現するには、モテない努力をすることが必要だとすら、わたくしは思うのである。


【タフまんワールド・用語解説】
▼モノガミー/ポリアモリー

第19回コラムの用語解説欄を参照のこと。

▼寛容なモノガミスト
なかには、「相手が遊びたいなら遊べばいいけどわたしは別に必要ないから」とおっしゃるかたもいるにはいる。しかし、相手の「遊び」を寛容に受け止めるのは、「自分が相手にとっていちばん愛されている」という自負があるからではないかと邪推してしまう。要するに「上から目線」のモノガミスト? 「いちばん」でなくなったときにも、はたして同じことが言えるのだろうか。という問いを投げかけるミヤマは充分意地悪ですともさ。


INDEX
[2009/01/06]
第35回 口臭とまん臭のビミョウな関係
[2008/12/31]
第34回 まんこ座談会(2)
[2008/12/25]
第33回 まんこ座談会(1)
[2008/12/17]
第32回 ひどい言われよう
[2008/12/10]
第31回 性を語る困難
[2008/12/03]
第30回 潮吹きは謎でも神秘でもない
[2008/11/26]
第29回 マニアでフェティッシュ?
[2008/11/19]
第28回 挿入するなら指がいい
[2008/11/13]
第27回 オナニーの効用
[2008/11/05]
第26回 「付き合う」ってなんだろね?
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