オナニーはセックスの代用ツールであるとか、いや、セックスとは別の性的実践だとか言われるけれども、わたくしにとってのオナニーを振り返ってみると、たぶん両方の要素が入り交じっていると思う。
セックスの代用ツールという側面では、セックスよりも早くオナニーをおぼえたという点で、いまだ体験していないセックスを思い描きながらオナニーにいそしんでいた時代が確かにあった。だからといって、セックスを体験するようになってからはオナニーをしなくなったかというと、そんなことはない。イクという感覚を習得したのもセックス体験をもつようになって以後のオナニーによってだった。それから間もなくセックスでもイクようになったので、「オナニーではイクけれどセックスではイケない」という不満からオナニーを活用しているわけでもない。
セックスとは別の性的実践という側面では、性的快楽の習得をセックスパートナーまかせにするのではなく、自己身体の構造や特徴を自分で把握することが楽しみのひとつでもあった。これは自己開発とか自助努力とも言うべきもので、オナニーはひとりでするセックス(自分とまぐわう行為)であるというのも合点がいく。
ひとり遊びが得意なわたくしにとって、オナニーは寂しさや虚しさや罪悪感を伴うものではなかった。セックスしたくてもする相手がいないから致しかたなく自分で自分を慰める、という用いかたをしたことはあまりない。むしろセックスパートナーができて、セックスする頻度があがるとオナニーの頻度もあがる。その場合も、パートナーと会えなくて淋しいからとか、セックスではイケないからオナニーするというよりは、ひとりでいるときにパートナーとのセックスを思い出しながらそのときの快感を反芻するといった用いかたである(それも寂しいといえば寂しいのかもしれないが)。
わたくしは恋人との性愛関係を「階段を昇る」ようには形成してこなかった。つまり、何度かデートを重ねてお互いのひととなりを披瀝しあい、手をつなぐところからはじまり、キスをして、最終的にセックスをOKするといった手順を踏まず、セックスが性愛関係構築の入り口なのであった。つまり、ほぼ初対面に近い相手とまずセックスするという既成事実をつくってから、その後の関係を構築していくか否かという選択をすることになる。「階段を昇る」のは、セックスの後なのである。
したがって、「これから私たちはどうなるんだろう?」といった恋愛の未来に向けてのドキドキワクワク感とは無縁であり、相手とさよならしてから、いまさっき終えたセックスをひとりで振り返って愛おしさがわき起こってくるというような過去の反芻によるしみじみ感が、わたくしの恋愛感情の多くを占めているように思う。
おっと、セックスや恋愛の話ではなくオナニーの話であった。軌道修正。
いまひとつのオナニーの効用は、安眠導入である。寝る前に歯を磨いたり顔を洗ったりするのと同列の入眠セレモニーとしてのオナニーである。ものの本には女子向けオナニーの演出として、アロマキャンドルを焚いて香りと視覚で雰囲気を盛り上げるとか、エロティックな音楽や映像でムードを高めるとか手の込んだアイディアを提示しているが、わたくしの場合は布団に入ってローターをオンにして5分もすれば、はい終了、おやすみなさい、である。歯を磨くのにいちいちアロマ焚いたり音楽かけたりするかっつの。
オナニーもセックスも朝派だというかたがいる。低血圧系のかたは、目覚めをよくするために身体を温めたり血のめぐりを促進するのにこういうエクササイズがもってこいなのだろう。確かに、夜セックスをするとかえって目が冴えて眠れないというかたがいたが、それはオーガズムに至らずに行為を終えてしまうからであって、しっかりオーガズムを得たときには身体がだるくて無性に眠くなって爆睡するようになったという。オナニーに関しても同じで、がっつりオーガズムに至ればそのままスムーズに入眠できるが、イキそびれるとなかなか入眠できず悶々とすることもある。
自己開発の話に戻る。第1回のコラムにも書いたように、わたくしはデリまんであり、膣への挿入による快楽の習得はかなり早い段階で諦めている。そのかわりといってはアレだが、アナル開発にはわりと積極的だった。女子アナルには前立腺は存在しないが、わたくしはクリトリス+膣の同時刺激よりも、クリトリス+アナルの同時刺激のほうがよりクリアな快感を得ることができる(といってもアナル拡張→フィストファック方面への開発まではしていない)。
自分のアナルを取り扱うようになってからは、セックスの際にも相手のアナルを刺激してみようという意識を持ちはじめたが、アナルへのアプローチを許可してくれる相手はなかなかいない。いわく、「便秘がちだから恥ずかしい」「汚い」という抵抗感からである。必要とあらばわたくしは摘便も辞さないし、シャワー浣腸のノウハウもレクチャーするが、「わざわざそこまでしてアナルを愛撫されたくない」と拒絶されることもしばしばである。アナルを使わずとも充分な快楽を得られるタフまんはそれで不足はないのだろうが、セックスが大好きで性的に貪欲であると自負している婦女子であってもこのような抵抗を示すことがあり、そういう場合には「なんという怠マンだろう」と思わざるを得ない。まんこにあぐらかいてんじゃねーわよ。
うーむ、なかなかオナニーとセックスの話題を切り分けられないぞ。というわけで、なかなか切り分けられないオナニーとセックスの話は次回も続く。
【タフまんワールド・用語解説】
▼「階段を昇る」
女性遍歴の豊富さによって知られるイタリアの作家ジャコモ・カサノヴァの「恋愛における最高のときとは、階段を昇っているときだ」から。これが異性愛者としての感慨を代表するものだとして、カサノヴァと対比する形で、フランスの思想家ミシェル・フーコーは「恋愛における最高のときとは、恋人がタクシーで去るときだ」(『同性愛と生存の美学』)と述べている。
▼摘便(てきべん)
肛門の出口まで降りてきているが自力で排便できない大便を、指で摘出すること。看護/介護用語。
▼シャワー浣腸
シャワーやトイレの温水洗浄機の水圧を利用して行う浣腸。詳しく知りたいかたは「シャワー浣腸」で検索してみてね。
▼怠マン
怠けもののまんこ、あるいは、まんこ中心主義者のまんこ持ちのこと。一生怠けものでいればいいんだわ。こういうかたにはアナルの快楽なんか絶対に教えてあげないの。