「ハウルの動く城」をようやく観てきました。相変わらずジブリの背景画は素晴らしいなあ。「世界遺産」のビデオでも観ているような気分になれたよ。これだけでも映画館で観る価値あるね。とはいえ、その内容についてはいろいろ評価が別れているようである。それは、この物語が、観る人によって「わかりやすい物語」にも「わかりにくい物語」にもなりうるからであろう。あまりにもあっけないハッピーエンドは、ディズニー的と言えなくもない(アニメ版ナウシカ的ではなく)。あっさりと恋に落ちるソフィーとハウルの関係もまた然り。
こういった要素のみを素直に受け止め、泣ける人たちが今のジブリをどんどん「ディズニー化(ディズニーファンが、ディズニーに対する批判を一切受け付けないのと同じように、作品の出来不出来に関わらずジブリというだけでありがたがる最近の状況)」させてるんだよなあ。と、オタクらしく見下してみたりして。そりゃ、他のアニメに比べたら、クオリティ高いのは確かですけど。
この作品で一番「わかりにくい」のは、おそらくハウルのキャラクターだろう。かっこよくソフィーを助けたかと思えば、ちょっとしたことで傷付き、溶けてしまう。弱虫かと思えば戦争に出かけて戦い、ハンサムかと思えばモンスターになってしまう。主人公にしては性格に整合性がなさすぎるし、目的も分からない。なんでも、宮崎監督自身が「ハウルの行動原理が分からん。」と言ったそうだ。「作者がそれじゃ、いかんだろ〜!」という意見もあるだろうが、あたしが思うに、宮崎駿は、まさに彼が理解できない、「今時の若者(男)」を、描こうとしたのではないか。(原作は読んでいないのでハウルの元々のキャラクターがどうなのかは知りません。あくまで映画を観た感想で書きます)
「千と千尋の神隠し」のカオナシにも、いろいろな解釈があるようだが、あたしには、自分の言葉で話せない、コミュニケーション下手なロリコン男に見えた。「自分の言葉で話している人間なんか、老若男女問わず殆どいやしない。」という意見はとりあえず置いとくとして、カオナシは、ネットなどの匿名性の強い空間では弁舌で、どんなキャラクターにもなりうる、しかし現実社会ではうまく他人とコミュニケーションできない若い男の象徴のように解釈できないか? ちょっと千尋に優しくされただけで、千尋に異常な執着を見せるさまは、ストーカーっぽくもある。ロリコン男というより、内気すぎる今時の「引きこもり系」と言うべきか?
このカオナシのキャラクターに連なるのが、実はハウルなのではないか。宮崎駿にとって、カオナシのような引きこもり以上にわけの分からない存在が、ハウル的な、「今時の若者」なのかも。ハウルが、髪の色(実は金髪に染めている)に異常にこだわり、「美しくなければ意味がない」とつぶやく下りは、キムタクのセルフパロディなどではなく、宮崎おじさんから見た、「中身より外見を重視する、今時の若い男」なんじゃないかな(苦笑)。お守りだらけでゴチャゴチャしたハウルの部屋は、コレクターの部屋にも似ている(あたし好みだ)。さらにハウルは、本当は弱虫なくせに、強い魔法使いだから(力のある「男」だからとも言える)、戦争に巻き込まれ、戦ううちに、戦争自体を楽しみ、モンスターと化し、「心」をなくしてゆく。これを、弱虫な自分をごまかし、ネット空間や、狭い仲間うち(「日本」でもよい)などで強気な発言を繰り返す若者に置き換えるのは強引だろうか? この「今時の若者」像がステレオタイプであるのもまた事実ではあるが。
「もののけ姫」で、「正義」と「悪」の曖昧さを描こうとした宮崎駿は、次に、人間の行動の曖昧さを描こうとしているのではないか。しかし、現実では当たり前の人間の揺らぎは、「物語」の中では受け入れられにくい。キャラクターの行動は一貫していなければわかりづらいのだ。たとえば、ソフィーのようにね。
そうなのである。ハウルには弱さも矛盾も許すくせに、ヒロインのソフィーは、あまりにも「わかりやすい」。魔女に呪いをかけられ、いきなり90才の老婆になってしまった18才のソフィー。彼女は、一途にハウルを愛し、身の回りの世話もしてあげ、時には説教もする、男に頼り切らない、強い母親であり、恋人なのである(実際、ラブラブな場面では、ソフィーの呪いは一瞬解け、若返る)。さらに子育てから老老介護まで文句も言わずこなしてしまう。まさにスーパーレディー。(しかし、「千と千尋の神隠し」以降、ヒロインの涙の表現が気持ち悪いのですが、アレはなんですか。)
そういえば、カオナシも、銭婆(見たまんま母親キャラ)によって、あっさり救われていた。宮崎監督、結局あなたが言いたいことは、ダメ男たちを救うのは、そういった理想的な女性であるということですか〜?
この「ハウルの動く城」を観て、ふと思い出した本があった。それは、ベストセラーにもなった、あの、「電車男」である。(つづく)