あたしの趣味の一つに、ミニチュア模型作りというのがある。月に一度、模型作家の先生の工房で、作り方を習い、そして、年に一度、ギャラリーを借りて、先生と生徒との合同展を開催している。一月の末から二月の頭にかけて、その合同展があったのだが、あたしは自由業ということもあり、平日の昼間の数日間、店番をしていた。そのギャラリーは、有楽町の古いビルの一角にあり、まわりに飲食店などもあるため、通りすがりの人がふらりと来場したりして、連日盛況であった。
作品の殆どは、鉄道模型サイズ(80分の1)や、ドールハウスサイズ(12分の1)で作られており、昭和を思わせる古ぼけた建物や、パリの街角、その他授業で習った課題以外のオリジナル作品が並ぶ。「アートなのか?」と言われると、先生の作品以外は、そこまでの趣がないものが多い。それでも、本物そっくり(を目指した)のミニチュアたちは、日頃、「アート」に関心のない人ですら、惹き付けるだけの魅力はある。ある人は「懐かしい!」と感激し、ある人は「すげーこまけー!(細かい)」と
感心する。
お客さんの多くは、店番をしているあたしたちに「すごいわねえ」と、話しかけてきてくれる。作り方を聞いてくる人もいる。日頃、決まった人(それもたいてい気の合う同世代)としか会話をしないあたしには、これは結構新鮮な体験であった。まず、昼休みのついでに立ち寄ったらしい、スーツ姿のオヤジ。とりあえず一周はするし、「たいしたもんだねえ〜」と、感心もするが、一つ一つの作品をじっくり眺めることはなく、全体を見渡すだけ。「いや〜、世の中にはいろんな人がいるもんだねえ。俺なんか、口ばっかりで。」と、言いながらギャラリーを後にした。
定年後らしきオヤジ。いきなり受付にある出品者名簿をことわりもなく覗き見る。「○○さんの作品はどこ?」と、知らない名前を出す。そんな生徒はうちにはいない。オヤジはわけのわからないことをあたしに問いかける。オヤジの言っていることを、総合し、さらに推理するとこういうことだ。
そのオヤジは隣のギャラリーにいるらしい。先日、彼の息子がオヤジのギャラリーに来たついでに、うちのギャラリーに立ち寄り、たいそう感動し、オヤジにも、「おもしろいからぜひ見るように」と勧めたらしい。しかし、オヤジは自分の息子が出品していると勘違いし、息子の名前をあたしに聞いてきたのだ。
オヤジは、息子が出品していないことを知ると、一つの作品も見ることなく、自分のギャラリーに帰っていった…。
若いニーチャンや、女性は、割と熱心に作品を見てくれる。それに比べると、オヤジたちは(あたしが店番をしていた時のみの話だが)、あまり、モノを見ない。そして、あたしに敬語を使うことは、ほとんどないのだった。あたしは、日本語の敬語という制度(?)はあまり好きではない。しかし、「目下のものが目上のものに敬語を使うのは当然」という世界で生きている人間が、初対面で、他人のあたしに敬語を使わないのは、やはり気にいらないのだ。あたしがオンナで、どう見ても年下だからというだけではない。彼らは、オヤジ達と同世代の、あたしたちの先生にすら、タメ口である。
「今時の若者は、人付き合いが下手」
「今時の若者は、恵まれ過ぎて、自分が何が好きなのかもわからない」
なんてことをよく耳にする。でもこれって、オヤジ世代もまったく同じ。いや、彼らの方が重傷じゃないか? オヤジは、一方的に自分の話したいことをまくしたてる。あたしがそれに対して何か意見を言っても、思いも寄らない的外れな返答、もしくは無視(スルー)が帰ってきたりする。それでコミュニケーションしてるつもりなのだから、すごい。付き合いベタを悩む若者の方がまだまともじゃないか? 忙しくて趣味の時間など取れない。金もない。を、言い訳に、「つまらん」と言いながらテレビを見てたり、酒飲んでたり、パチンコにゴルフ、彼らの趣味は実にありきたり。まあ、何事も突き詰めれば一流の趣味となるが、狭く浅いままで終わるのが普通だろう。
最近、知識量を量る番組がやたら多い。昔のクイズブームとはちょっと違う、なぜか、IQや、回答者の順位を出すような番組。なんでもかんでも数値化して、自分や他人のレベルを知りたい人が多いのだろうか。IQ番組のプロデューサーによると、「試験の楽しさを視聴者に思い出して欲しかった」とのこと。えっ、試験って、楽しいものなんでしたっけ。まあ、テレビ局に入れるような人間はそうなのかもしれん。別に偏差値教育を受けた世代じゃなくても、わかりやすい差別化がないと、何も見ることの出来ない人は多いよな。かく言うあたしも、オヤジをひとくくりにしてるわけだが。
あたしたちが作るミニチュア作品は、小さいくせに、ものすごく情報量が多い。小さいからこそ、手を抜くと偽物っぽくなってしまうのだ。しかし、それらをすべて、「見る」ことは不可能である。視界に入っているからといって、それを「見た」ことにはならない。どんなに作者が時間をかけて作った部分でも、受け手側に何の印象も残らないこともあるだろうし、同じものを見ても、記憶に残る部分はきっと、人によって全く違う。でも、そうゆうもんだろう。と、思う。見る人によって、一番好きな作品は違う。好きな作品がたくさんあったっていい。全部嫌いでもいい。順番なんて付けられないものの方が、世の中には多いのだ。
数値化できないものの価値をわからない人たちが、「ゆとり教育」なんてものをやろうとしたって、混乱するに決まっている。でも、世の中はわかりにくいものだらけだし、しかも完璧にわかることなんて出来るはずはない。それでも、わかろうとする努力を放棄してはいけないとも思うのだ。ああわかりにくい。