みなさんは、東工大教授・本川達雄センセイをご存じであろうか。約10年前、NHKの「人間大学」で、蝶ネクタイに直立不動で、自作の生物学の歌を熱唱していた教授だ。真面目そうな大学教授が「生き物は円柱形♪」などと歌う姿に衝撃を受け、CDまで購入してしまったあたしである。まあそれはさておき、あたしはこの教授の時間論がとても好きなのだ。
動物(ほ乳類)は、体のサイズによって寿命が違う。ただし、これはあくまで「物理学的時間」における寿命で、「生物学的時間」ではそうではない。動物が一生に使うエネルギーの量は、30億ジュール。心臓の鼓動は15億回と、ほぼ一定である。ただ、ネズミはちょこまか動き、鼓動も早い。一方ゾウは、動作ものろいが、鼓動もゆっくりだ。だから、ネズミは二年で死んでしまうが、その人生の密度はゾウのそれよりもかなり濃い。と、いうことは、動物は、エネルギーを使う事によって、自ら時間を進めているともとれる。
人間サイズの動物の寿命はだいたい30年(縄文時代の寿命とほぼ同じ)。心臓が15億回打ち終わるのもそのくらいである。ところが、医療やらなんやらで、無理矢理寿命を延ばしているわけだ。現代人のエネルギー消費量は、口で摂取するエネルギーのなんと40倍にもなるらしい。(車や携帯電話、医療などもエネルギーである)現代人はとにかく、「早く」事をすませ、(物理学的な)時間を作り出してきた。しかし、生物学的時間で見れば、「早い」のが利口、だとか、「遅い」のがバカだとは言えない。個体によって時間の進み方は違うのだから。第一、人間の鼓動の早さは昔も今も変わらないので、エネルギー消費の早さに、いつか体がついて行けなくなるはずなのです。私たちは、「時間」というベルトコンベアーに乗せられているのではなく、本当は、自分でベルトコンベアーをまわし、自分の時間を作り出す事が出来るのだ。年をとると、一年があっという間に過ぎたり、好きな事をしている時とイヤな事をしている時とでは、一時間の長さが違うように感じるのも、時間の流れ方が様々である証拠にならないだろうか。
ただ、この時間論、欧米ではほとんど支持されないらしい。キリスト教徒にとって、「時間」とは、「神」のものであるからだ。時間は万物共通に、時計の通り、同じ方向に流れるだけである。しかし、この「絶対時間」を作ったのは、人間である、ニュートンだ。本川センセイは、今の世の中は、「ニュートン教」という宗教に支配されていると言う。我々は、ニュートン物理学によって、ビルを建て、経済を成立させ、物質的に豊かに暮らしている。むずかしい解説は省くが(単にあたしがうまく説明できないだけだが)、「数字」でしかものの価値を計れないと思い込んでいる人たちはみな、ニュートン教の信者である。そこでは本当はそれぞれ違うモノの「質」を全て同じという事にして、「量」が多いか少ないかで、優劣を決めてしまう。その最たるものはもちろん「お金」なわけだ。ホリエモンなら何かやってくれそうと思うのも、「お金を持っていて偏差値の高い人は、それがない自分よりも偉い」という、根拠なき思い込みのせいだろう。「根拠なく思い込む」のは、あらゆる宗教の信者の特徴ではないか。
こんな世の中で、「多様性」だとか、「ジェンダーフリー」などと言った所で、理解されないわけである。たしかに、「数字」は便利だ。あたしもニュートン教信者の一人であろう。「お金」だって、大好きだ。しかし、「絶対時間」すら、「絶対」のものではないのだと、理解しているのとしていないのとでは、ものの見方はまったく異なるんじゃなかろうか。
同じ生物学でも、竹内久美子とはまったく違う世界がある。竹内久美子が支持されるのは、その「わかりやすさ」故なのだろう。あたしも、本川センセイの主張を、なんとか短くまとめようとしてみた。しかし、「男がレイプするのは遺伝子の命令!」というような短い文章には、とてもできなかった。余分な時間を作るためになんでもかんでも短縮する社会では、せっかく余分な時間ができた所で、「わかりにくい」話を聞く余裕など産まれないのかもしれない。今や、量の多い少ないどころか、「二者択一」だもんなあ。
ただし、本川センセイ、生物学者なだけあって「生き物は子孫を作らねばならない」というようなことも口にする。ただし、「子どもや若者が住みやすい世界になるよう、お手伝いをする事」も、広義の生殖活動ととらえているけどね。とはいえ、「動物は水のつまった革袋」なんて歌われちゃったら、やっぱ、ファンになってしまうよ。
歌を視聴したい方はこちらへドウゾ。クソまじめもこれくらい突き抜けなきゃね。