先日、日比谷の日生劇場にて、ピーター主演の「越路吹雪物語」を観てきた。劇場内では、30代のあたしですらかなりの「若者」で、客のほとんどは中高年の女性であった。そりゃそうだ。あたしにとって、越路吹雪といえば「モノマネ」。「ろくでなし」といえば、志村けん、梅垣義明。たまにテレビなどで見る越路吹雪の映像は断片的で、「ピーターのコーちゃん(越路吹雪の愛称)はそっくり!!」と言われても、いまいちピンとこないのであった。
昨年末、フジテレビが「女の一代記シリーズ」と称し、三夜連続で瀬戸内寂聴、越路吹雪、杉村晴子らの生涯をテレビドラマ化していたのを覚えているだろうか。主演女優はそれぞれ、宮沢りえ、天海祐希、米倉良子。…正直、あまり期待できるメンツではなかったのだが、このコラムのネタになるかも…というつもりで見てみたのである。この中であたしが一番楽しみにしていたのが、天海祐希演じる越路吹雪物語「愛の生涯〜この命燃え尽きるまで私は歌う〜」だった。越路吹雪を知らないとは言っても、一応、宝塚好きなんでね…。しかし…。
越路吹雪と天海祐希。どちらも元・宝塚の男役トップスター。たしかにこれ以上の配役はないと、誰もが思うだろう。ドラマの前半、天海祐希が歌う。…あら?…大丈夫…?…まあ、これは少女時代だから、これからの成長を描くのかもしれない…と思って見ていたのだが…しかし…最後まで彼女の歌には迫力がなく…。宝塚時代の天海祐希の舞台を、あたしはテレビで数本見ただけだ。だからこれはあくまであたしの主観でしかないのだが、天海祐希って、他のトップスターに比べ、歌も演技もそれほど上手い方ではなかった。ただ、いわゆる「スターのオーラ」というものを、誰よりも持った人ではあったのだが…。エンディングで流れる、越路吹雪本人の歌声と比べてしまうと、劇中の天海はあまりにも力不足であった。しかもこのドラマ、脚本もひどくてね…。「女の幸せを求めて求めて、それでも手に入らなかった女の悲劇」というような描き方なのである。あまりにもお決まりの展開(他の二話もそうでしたがね)。あたしは越路吹雪をあまり知らないけれど、でもコーちゃんはこんなじゃなかったはずだ〜!と、あたしは大評判のピーター版を見にいくことにしたのだ。
ピーターが演じる越路吹雪は、素敵だった。ふてぶてしくて、誰よりもスターで、女王様だった。そして、その物語は、公私ともに越路をサポートした、作詞家の岩谷時子(高畑淳子←うまいっ!)との関係をメインに語られていた。テレビドラマ版では、「女の幸せをつかむために」結婚した夫との確執、そして酒に溺れてゆく越路の姿も描かれていたが、舞台版には一切なし。スターに上り詰めたところで、一気に20年が経過する。ドラマ版を先に見ていたあたしには少し物足りなさも感じたが、舞台版は、「女・越路吹雪」ではなく、「スター・越路吹雪」を描こうとしたのかもしれない。ラストシーン、越路が亡くなり、岩谷が一人病室で「コーちゃん、あたし、あなたのこと、大好きだったのよ!!」と泣くシーンでは、目頭が熱くなった。隣にいた中年の女性客も泣いていた。
そして、場面は一転。真っ赤なドレスに身を包んだピーター越路のレビューが始まる。越路吹雪の名曲の数々を越路吹雪になりきってピーターは熱唱する。観客席からは「コーちゃん!!」コールが響く。ああ〜、これぞ大衆演劇。笑いあり涙ありのわかりやすい演劇に、ラストは派手派手、キラキラの衣装に歌とダンスで盛り上げて締めくくり。ふてぶてしい女の役をやるのは、どうしていつも男なのさ! 黒蜥蜴とか、いじわるばあさんとか!と、思わなくもなかったが、やっぱり、ピーターは素敵だった。
「大衆演劇」というものは、とにかくわかりやすくなくてはいけないので、ベタな展開に陥りがちである。「強い男が弱い女を守って、めでたしめでたし」みたいな。しかし、これもやりようによるよな。と、「越路吹雪物語」を見て思った。細木数子や綾乃小路きみまろを好みそうなおばちゃん達が、コーちゃんと岩谷時子の友情(愛情?)物語で泣くのだ。宝塚だって、未だに一番集客力があるのは「ベルサイユのばら」なわけだし。
ベタな物語を支持する客は確かに多い。しかし逆に言えば、ベタな物語は、作り手にとってもおそらく、楽な仕事なのである。いくつかの約束ごとをちりばめれば、簡単に物語の体裁は整う。笑いにも、泣きにも、マニュアルはあるのだ。ありきたりな男女の物語を目にするたび、「作者、楽しやがって」と、思う。あたしは、わかりやすくてベタじゃない物語を作りたいな。「芸術家ではなく、芸人でありたい」という越路吹雪の言葉が身にしみた。