ウンコ5本目  「過剰なもの」

「宝塚が好き!」と言うと、相手が女だろうが男だろうがフェミだろうが非フェミだろうが、たいてい、引かれる。そして、つい、「いや、本気でハマってい るわけではないんだよ。なんつーの? あのB級感? あれがたまらないんだよ。『牡丹と薔薇』を見ている感覚に近い…」などと言い訳めいたことをブツブツ 言ってしまうのである。

もちろん、それもウソではない。宝塚独特の変なセリフ。笑い方。ダンス、曲のダサさ。物語のユルさ。たまらん。劇場で見ている時は笑いをかみ殺すのに必 死である。

先日、久々に劇場に足を運んだ。しかも、ヤフオクで倍以上の値段で競り落としたチケットを握りしめて。今回の演目は、紫吹淳という月組トップスターの退 団公演『薔薇の封印』である。それほど紫吹淳のファンではなかったのだが、退団公演であるということと、「バンパイアもの」という「THE・ヅカ!」な 香りに誘われてしまったのだ。以前にも一度、紫吹淳の舞台は見ているのだが、その時にはあまり魅力を感じなかった。ところが、久々に見た彼女(彼と言う べきか)は、以前よりだいぶスリムになって、崩れた色気を身に付けていたのである。往年の久世星佳を思い出す…って、ファン以外はわからないことを書い てしまってごめんなさいね。そうなのだ、なんだかんだ言って、あたしは正しいヅカファンでもあるのだった。

だからと言って、あたしは彼らのような男が理想なわけではない。あたし自身が、「ああなりたい」のである。もしも生まれ変わって、今より10センチ背が 高くて、家が金持ちだったら、迷わず宝塚に入るね。男性誌のグラビアを水着で飾って、バラエティー番組でちやほやされる程度の芸能人なんか、ちっともう らやましくない。悪趣味で派手なラメラメの服着て、誰よりもでかい羽背負って、誰よりも目立って、後輩にかしずかれ、ファンにかしずかれ、ああ、なんて 気持ちよさそうなんだろう!

と、いうようなことを言うと、キチガイ扱いされるのだが、「他人より目立ちたい」願望というのは多かれ少なかれ誰にでもあるものではないのか。だって、 みんな、宝塚を笑うくせに結婚披露宴では宝塚そっくりなことやるじゃない。しかも、「他人と同じはイヤ」とか言って、「手作り」にこだわったり、人と違 うことしたがるじゃない。

まわりより目立たなければ、他人から自分を認識してもらえず、興味も持ってもらえない。恋愛もできない。しかし、あまり目立ち過ぎると男が寄ってこなく なるので、女子はあまり過剰にはなれない。せいぜい限定品のブランドバッグを持つ程度だ。女子が求められるのは、いつも、適度な「ほどほど」感である。

ドラマなどを見ていて、若い女優の演技が下手なのもある意味仕方のないことだ。芸能界に入るような女性は、殆どが美人で、モテ人生を送ってきたような人 だろう。かわいいだけで、女は充分目立つから、それ以外は没個性的なくらいがモテるのだ。だいたい、演技がうまいと、現実の恋愛でも、恋人相手に演技を していると思われかねない。イッたふりなどされてはたまらない。女優としての大成よりも、幸せな結婚がゴールだと思ってるような女優は、だから、演技が 下手なのである。逆に、お笑い芸人が素人であるにもかかわらず演技がうまい人が多いのは、自分を捨てて、過剰に振舞うことに慣れているからだろう。

クイーンと、マイケルジャクソンのベストDVDを立て続けに見た。どちらも素晴らしいのだが、すんげー…お腹いっぱいである。どメジャーになるには、過 剰さと、記号的な分かりやすさというものが必要なのだなあと、改めて実感。曲の善し悪しなんか、本当はほとんどの人が語れやしないんだから。地球上に は、無趣味で、好奇心というものがまるでない人というのが確実に何億人もいる。その人たちを、とりこにはしないまでも、「名前は知っている」と、言わせ るためには、生半可な目立ち方では無理なのだ。「過剰」になれない一般人が彼らに惹かれるのは当然のことである。

叶恭子を「やりすぎ」と笑う人は、一度「やりすぎ」てみればいい。やりすぎることの難しさを知らない人間に、やりすぎている人をバカにする権利はない。 あたしもね…初めて自分のマンガが雑誌に載った時、あまりの地味さ、下手さにむちゃくちゃ落ち込んだものだよ。学校などの、狭い世界では目立っても、広 い世界では何の印象にも残らないんである。大きなマーケットで認められるには、女の美徳とされる「恥」の心なんて本当に無駄。とはいえ、幼い頃から学ば された、「出る杭は打たれる」の呪縛から、なかなか逃れられない。日々、修行中である。

宝塚の、サービス精神てんこもりな舞台が、好きだ。物語も歌も踊りもわかりやすく、きらびやかで、過剰で。確かにそこに描かれているのは、過剰な男性性 と、過剰な女性性だ。作家も演出家もみな男だ。でも、「プライド」の竹内結子を目指す女はいても、宝塚の娘役を本気で見習う客は殆どいないと思う。自分 の身近にいる男は、紫吹淳どころか、美しさも美学のかけらもない生身の男。そんなもの相手に娘役のような献身的な愛を注げと言う方が無理である。以前、 宝塚に男優を入れたことがあったらしいが、全く不評だったと言う。劇団四季ではダメなのだ。宝塚だから、よいのだ。

一部のインテリ層やコジャレ層に「クール!」なんて支持されたってたかが知れてる。あたしは過剰にメジャーを目指す!



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[2004/06/29]
「久々にテレビの話」
[2004/06/15]
「お前らのせいだ」
[2004/06/01]
「個性」というプレッシャー
[2004/05/18]
「血が好き」
[2004/04/27]
「少女マンガが描けない」
[2004/04/14]
「命の重さ?」
[2004/03/30]
「ひきこもりと私」
[2004/03/16]
「過剰なもの」
[2004/03/02]
「キムタクにしてください」
[2004/02/17]
「君は、yoshiを知っているか?」
[2004/02/03]
「ハロプロ!」
[2004/01/20]
「ウンコ、出てますか?」
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