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 10月18日、パリのレピュブリック広場は人であふれた。2日前の金曜日、万聖節の休暇に入る日、パリ近郊のイヴリーヌ県、コンフラン・サント・オノリーヌの中学を出たところで狂信的なイスラム過激派の青年に頭部を切り取られて殺された歴史地理教諭サミュエル・パティを追悼するための集会だ。コロナ対策で街頭での集会は6人までと制限されるなかでも、向かう人々の足は止まらなかった。同様の集まりは各地で行われ、いずれも多くの人を集めた。
 サミュエル・パティが殺されてしまったそもそもの理由は、「表現の自由」を教える授業で、マホメットのカリカチュア(2015年イスラム過激派のテロの犠牲となった週刊風刺新聞「シャルリー・エブド」に掲載のもの)を生徒に見せたためだ。生徒の一人の父親が、「ポルノグラフィを見せるな」と抗議するビデオをSNSに流し、それを見た犯人は、学校と関係もないのに外部からやって来て教諭を殺した。チェチェン出身の18歳のロシア人で、襲撃の後に警察官によって殺されている。カリカチュアをポルノであると思うのは個人の解釈で、マホメットを揶揄してはいけないと思うのも個人の勝手だが、そんなことで人を殺してはいけない。ましてや頭を切断するなど!

 普通に仕事をした教員が、そのために殺されるなんて、あってはならないことだ。私も9月から高校で教壇に立っているので、誰かの気持ちを損じることをやったら殺されてしまうのではたまらないと思う。それにフランスの教員は、教科書などにはしばられず自由に教材を選べるとはいえ、その大筋は国民教育省のプログラムに基づいて教育を行なう。しかもパティは「表現の自由」「報道の自由」を教えていた。民主主義を担保するフランス共和国の基礎を教えていた。その教員を殺傷するということは、フランス共和国の遵守する価値に刃向かうことだ。国は断固たる姿勢を取り、この一件で教師全体がちぢこまってしまったりしないように保障する。教員たちは決してテロに屈しないことを確認し合う。

 かくして、私の仕事のメールボックスは、校長や学区長や大学や組合などからのサミュエル・パティを讃えるメールと、オマージュを捧げる集会への誘いで一杯になった。そこには、表現の自由、民主主義、そしてライシテ(非宗教性)という共和国の価値を守り、生徒に伝達することを我々は決して諦めない、テロに負けたりしない、と書いてあった。
 水曜日の夜には、ソルボンヌで国がオマージュを捧げ、サミュエル・パティには死後のレジオン・ドヌール勲章が贈られた。
 フランス人が一致団結して表現の自由を守り抜こうとしている姿には感動する。この国では、安保法制に反対したからという理由で学術会議メンバーを外されたりしないだろう。そんなことはもちろん、「思想の自由」の侵害に違いない。政権に都合の悪い報道をするジャーナリストが仕事の機会を奪われたりもしないだろう。自由な報道が民主主義の基礎だということを誰もが知っているから。美術展の展示作品に不満があるからと言って展示を阻害したりするような人々にも、この国なら毅然と立ち向かい、屈することはないだろう。「表現の自由」とは何かを知っているから。

 ただ、命を賭けて守りたい「表現の自由」の例に出されるのが、どうしていつもいつも「マホメットのカリカチュア」なのかは残念に思う。「シャルリー・エブド」の下品な笑いも、たしかに守らなければならない表現の自由であることに異論はないが、他人の宗教を嗤(わら)う権利よりも、表現の自由とはもう少し高級なものではないのだろうか。フランスの「非宗教性」の原則は、カトリック教会という権威との壮絶な闘いにより勝ち取ったもので、フランスの決して譲れないアイデンティティとなっていることは理解する。しかし宗教をバカにすることがイコール「批判精神」であり、「啓蒙思想」であるわけではないだろうに。
 フランス人たちの批判精神が、ただマイノリティの宗教に対してのみ発揮されるのではないことを期待している。

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中島さおり

中島さおり(なかじま・さおり)

エッセイスト・翻訳家
パリ第三大学比較文学科博士準備課程修了
パリ近郊在住 フランス人の夫と子ども二人
著書 『パリの女は産んでいる』(ポプラ社)『パリママの24時間』(集英社)『なぜフランスでは子どもが増えるのか』(講談社現代新書)
訳書 『ナタリー』ダヴィド・フェンキノス(早川書房)、『郊外少年マリク』マブルーク・ラシュディ(集英社)『私の欲しいものリスト』グレゴワール・ドラクール(早川書房)など
最近の趣味 ピアノ(子どものころ習ったピアノを三年前に再開。私立のコンセルヴァトワールで真面目にレッスンを受けている。)
PHOTO:Manabu Matsunaga

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