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1985年、「胎児はうんこそのものです」と言い切った伊藤比呂美さんの「良いおっぱい悪いおっぱい」。
1993年、妊娠中に性欲が高まりムラムラムラムラしてたまらなかった・・・と記した石坂啓さんの「赤ちゃんが来た」。
1994年、婚姻と無関係に子どもを生む女の冷静と、母になろうが妊娠しようが性的な存在であることの当たり前が描かれた、内田春菊さんの「私たちは繁殖している」。
今となっては、一つの分野として確立された感のある「妊娠・出産・子育て」エッセー・マンガ分野だけれど、あの頃は、「セキララ」に書かれた女の性やカラダの物語! として、ある種のタブー感や革命感は、うっすらとただよっていたと記憶しています。
そんな「タブー感」を、久々に思い出しました。
三人の本を読んだ時の「革命感」を、久々に味わいました。
インターネット連載中から話題になっていた田房永子さんの「ママだって、人間」が、ようやく一冊の本にまとまりました。ネットでは掲載されていないラストに向かい、妊娠、出産、そして子育てまで、一気に田房さんが渾身の力で走るように、闘うように、描いています。
そう、田房さん、闘っているのです。
本気で、全身で、誠実に、めちゃくちゃまっすぐに、闘っているんです。
その闘いが、あまりにも「女のため」という視線に貫かれているので、私は読みながらドボドボ泣きました。笑いました。感情、ぐるぐる振り回されました。
いったい、こんな風に全身に傷を負いながら、倒れても何度も「うりゃー」と立ち上がり闘い、そこで得た気づきを一つ一つ優しいリボンに包んで届けてくれるように描かれた妊娠・出産・子育マンガって、あったでしょうか。「私だけの体験」ではなく、同じような体験をしている女たちに向けて、または全く体験していない女に向けて、こんなにも熱い思いを伝える妊娠・出産・子育てマンガがあったでしょうか。
妊娠出産子育ては、とても個人的な体験。とはいえ、それらは時代と社会と、そしてジェンダー問題を、一気に味わうような体験でもある。社会と時代が「母」に「女」に何を期待しているのか。そんなことを、変化していく体を抱えながら、小さい命を育みながら、ぶつけられるように知っていく時間なのだと思う。
特に今の時代、車内のベビーカーが問題になったり、妊婦に向けられる視線の冷たさが話題になるような社会。肩身狭い思いで、正解を求めるように、妊娠出産子育てを体験しているのだとしたら・・・それは何て、冷たく孤独なことなんでしょう。でも、そんな女の孤独は、あなただけのものじゃない。そのことを、田房さんは気づかせてくれるのです。
女のエロも、女の孤独も、夫婦の亀裂も、社会の無関心も・・・全てを含めて今の時代の妊娠・出産・子育てが見えてくる凄い本です。「ママだって、人間」は革命の書だと思った。闘い抜いた、田房さん、ありがとう。書いてくれて、ありがとう!!!(北原みのり)