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「戸川純さん」

茶屋ひろし2010.07.16

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戸川純のコンサートに行ってきました(敬称略です)。
 底辺の者よ 労働者諸君よ / 忘れまじや青き日に / 抱きし大志をば
                           (「吹けば飛ぶような男だが」1990)
という歌の時に、隣に立っていた女の子が泣いていました。
新宿のライブハウスでオールスタンディングでした。一夜限りの30周年記念コンサートです。若い人から当時の世代の人まで、300人は入っていたように思います。私は後ろの方で見ていました。
ああ、戸川純の歌に女の子が泣いている・・と、なんだかじんわりきました。
戸川純が舞台に出てきたとき、一緒に行った人が、「え? 顔がよくわからない・・」とつぶやきました。三段階ほどの人垣を越えた向こうに見える顔は小さくて、生身の彼女を見るのが初めてだった私には、そのつぶやきの意味がよくわかりませんでした。
ほどなく、「デブった」と本人が口にして、そういうことか、と思いました。
だから、金髪のストレートのウィッグを顔の横に垂らして、座布団のように大きな帽子(紺色)をかぶっているのかしら。そう言われてみれば、頭の中にある戸川純の映像に比べて、顔のパーツが大らかのような気もします。
足か腰の二箇所を複雑骨折したので三分間しか立てない、ウルトラマンじゃないけど、というような説明をして会場の笑いを誘います。
私はそれにいちいち、ああ、ああ、と嘆息しながら、なぜか気分はニュートラルでした。
顔はよくわからないかもしれませんが、話し声と歌声はまぎれもなく戸川純で、30周年記念ライブだからか知っている曲ばかりで、彼女の体を心配しつつも安堵している、という変な具合でした。
チケットを取るときに、思わず二枚取ってしまいました。
さて誰と行こうかしら、と思い浮かべたのは、去年好きだったルパンでした。戸川純を好きだと言っていました。
年末にふられて以来、連絡をとっていません。いろんな思いは鎮まって、会いたい気持ちも霧となりました。ふられてふって、お互いにもう会わないという筋書きも仕方のないことだけれど、ちょっと変えてみるのもいいかしら、と電話をかけました。
さして嫌がられるわけもなく、去年の年末から始めた鞄屋が好調で、店を閉めて行くわけにはいかない、という健全な反応が返ってきました。それはいいことだ、と私も素直に思って、「じゃあ、来月、清水ミチコに行かない?」と畳みかけてしまいました。
ルパンともう一人、思い浮かんだ人がいました。去年ゲイバーで出会って、一晩だけ飲み歩いた人です。戸川純のファンだと言っていました。ルパンと同い年(39か40)のゲイで、アパレルの仕事をしています。共通の友人にあたって連絡をしてみると、「行く!」と即答してくれました。
ルパンは、戸川純の音楽が好きというよりそのファッションに影響を受けた、と話していました。中学生の頃に彼女がしていた少年のようなファッションに憧れたそうです。今も(って、半年以上会っていませんが)服装に関してはその流れを汲んでいるそうです。
けれど、そのもう一人の人、元ファッションモデルでおしゃれさん、名前は何にしよう・・うーん、K兄(そのまま。すみません)は、戸川純の音楽に影響を受け続けていて、戸川純は天才、と賛辞を惜しみません。
同世代のゲイで戸川純に影響を受けていて今アパレルの二人・・、短い期間に立て続けに出会ったのは何かの符牒でしょうか。
コンサートが始まる前には、ライブ会場に流されていた戸川純の曲を、逆に、K兄に、「知っている?」と心配されました。すっとこどっこい、ほぼ全部のアルバムを聴いて生きて来たよ、と答えると笑いました。けれど、それでも聴いたことのない曲が流れてきて、今度は私がK兄に、「これ、知っている?」と聴くと、「たぶん、EP盤でしか発売しなかったやつ」とか、「(ナントカの)CM用につくった歌」と、スルスル回答が出てきます。ホンモノのファンだわ、と敬意を払いました。
私が戸川純の存在を知って好きになったのは20歳を過ぎてからですが、きっかけは岡崎京子のマンガだったか・・、よく覚えていません。のめりこむような感じで好きになりました。なんだか真似をしたくなる人で、その変幻自在の歌い方や、彼女の書く歌詞のとりこになりました。私の中では中森明菜や中島みゆきがそうですが、その咆哮しているような歌い方が好きで、京都時代の自転車カラオケでは常連でした。中でもお気に入りだった「バーバラ・セクサロイド」(1987)という歌は、途中で声がひっくり返って、「ルーー」と巻き舌になるのですが、明け方、鴨川に沿って家に帰る途中に、なんども声をひっくり返していたら、通り過ぎた町工場にたむろしていたヤンキーの子たちに口笛と喝采を送られたのが、今では恥ずかしくていい思い出です。
歌詞の影響は続いていて、こうして文章を書いているときに、「あ、今、戸川純を使った」と、ノンシャランと思う時があります。
意外と長かった三時間のライブを終えて、K兄とわかちあった感想は、「よく生きていてくれているよね」でした。泣いていた女の子の話をしたら、最後のアンコールでK兄も、ちょっと泣いた、と答えました。「パンク蛹化の女」(1987)という激しい曲で。
私にとって戸川純は、幼少時から周囲が発する抑圧的なメッセージをぜんぶ受けいれようとして生きてきたんじゃないかしら、と思う人です。弾丸のように次々と体にぶちこまれて、それでもそれに応えようとして(相手は弾丸なのに・・)表現をし続けてきた(いる)ようなイメージです。でもその表現に私は救われてきました。
今もじっさいに足か腰かを複雑骨折して(階段から落ちたのかしら・・)、もう何年も安定剤と睡眠薬を飲み続けてきて、「デブった」というより(たぶん薬で)ムクんで、なお、生きて歌い続けていることに圧倒されて、なんだか拝んでしまいました。
そのあとK兄と少し飲んだときは、戸川純についてなにか話そうか、と思いながらも、なんとなく戸川純に思い入れてきた強さがお互いハンパじゃないことに気がついたのか、とくに話題にはなりませんでした。

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茶屋ひろし

茶屋ひろし(ちゃや・ひろし)

書店員
75年、大阪生まれ。 京都の私大生をしていたころに、あたし小説書くんだわ、と思い立ち書き続けるがその生活は鳴かず飛ばず。 環境を変えなきゃ、と水商売の世界に飛び込んだら思いのほか楽しくて酒びたりの生活を送ってしまう。このままじゃスナックのママになってしまう、と上京を決意。 とりあえず何か書きたい、と思っているところで、こちらに書かせていただく機会をいただきました。 新宿二丁目で働いていて思うことを、「性」に関わりながら徒然に書いていた本コラムは、2012年から大阪の書店にうつりますますパワーアップして継続中!

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