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顔色を変えないこと

田房永子2011.03.31

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  911テロが起こった2001年、22歳だった私は東急デパートの喫茶店でアルバイトをしていた。次は都庁が狙われていると報道され、東京もけっこう緊迫 したムードだった。周りの建物より大きくて人がたくさんいるデパートが標的になるかもしれないとも言われていて、私の働く喫茶店には窓がなく、外の様子が 見えないことが本当に怖かった。
 東急の社員(冬眠から目覚めたばかりのメタボ熊みたいなおっさん)が毎朝、10秒くらいの朝礼じみた挨拶をしに 来る。911以降は、「緊急事態になったら、まずお客様を先に非常口へ誘導するように」と言われるようになった。本当に驚いた。何の訓練も受けていない時 給900円のアルバイトが、どうしてそんなことをしなくちゃいけないのか、できるわけがないと思った。サラリと適当に、メタボ熊さんからの朝のひとことみ たいな感じでそんな重大なことを言われ、避難訓練すらしてくれないのも意味が分からなかった。いつも社員とアルバイトはハッキリ身分と待遇を分けられてい るのに、こういう時だけ社員と同じ扱いをされるのも納得できない。
 だが、「おかしくない?」と他のアルバイトの人に聞いても、全員が「そういうもんでしょ」という態度だった。フリーターが受ける社会的扱いとして妥当だと思え、という空気。私も必死に「そういうもんでしょ」という顔をするようになった。

 その頃、私は母との問題も持っていた。母は、私(一人っ子)にとって、自分のしたいと思ったことを強引な手口で強行する激情型の人である。
  911テロが起こる直前、母はニューヨークの格安旅行を見つけた。そして何故か、私と私の当時の彼氏と自分の3人で行きたくなったらしく、3人分のチケッ トを勝手に予約した。驚いた私が「行かないからキャンセルして欲しい」と言うと猛然と怒り狂い、「旅行会社に払うキャンセル料15万円はアンタが払え!  払えないなら一緒にニューヨークへ行け!」と怒号を浴びせてきた。
 母は金を要求しているわけではなく、単純に私と旅行がしたいのである。私は中 学の頃から数度、友人との約束を破らされて、夏休みをまるまる使った長期の母娘2人海外旅行へ連行されたことがあった。そういう旅行は行っても楽しくない と知っているので、ニューヨークも絶対に行きたくなかった。
 当時、実家に住んでいたのだが、帰れば母からそんなことで責められるので、彼氏の家へ泊まり、バイト先の東急へ通うようになった。
  母は東急の喫茶店の電話へかけてくるようになった。「田房さん…またお母さんから電話だけど…」。同僚のバイトの子が心配そうな顔で受話器を渡してくる。 「いいかげんにしろ! 15万円早く払え!」と罵声(時には「一緒に行こうよ~、楽しいよ~」と哀願する声)が聞こえてくる受話器を、耳に当てずそのまま 置いて切るのだが、10秒後にまた電話が鳴る。受け取って切る、を連続6回繰り返した日もあった。
 私は至って事務的な気持ちでそれに取り組んで いた。母が罵声電話を職場へかけてきて、それを同僚に聞かれる、という非常事態に、私の体は視覚と聴覚と思考一切を停止させることで立ち向かっていた。恥 ずかしいなんて感情は通り越していて、むしろ「うちは何の問題もない仲良し家族」というフレーズをフルボリュームで体内へ放送していたと記憶する。私の体 はとにかく「顔色を変えないこと」を必死にがんばっていた。
 「顔色を変えないこと」を貫くには、「問題そのものが起きていない」と思い込む必要 がある。バイトの女の子が、漏れ出てくる私の母の大声に怯える横で、平然とその受話器を置く。「何かあったの…?」と聞かれても、「なにが?」という態度 で、芸能人についての話題を再開させる。だから呼吸困難になってもその原因が分からず、お昼に食べたピザのチーズが喉につまってるんだ、チーズはしばらく 食べるのをやめようと思った。パニック障害の症状なのに、自分の健康を気遣うよりも、自分に隠しごとをするほうがあの時の私には大事なことだった。
 そんな数日が続いたあと、911テロが起こった。母が予約していたチケットは1週間後だった。旅行会社は、「キャンセル料は請求しないし行くことも薦めない」ということで、母も私も彼氏もニューヨークへは行かなかった。母からの電話は止んだ。
  そして今度はメタボ熊さんに「どっちかというとお客さんよりアンタら先に死んでほしいんだよね、こっちは」という内容のことを言われ、私はまた「顔色を変 えないこと」をがんばる。うつ状態と、火の元と鍵かけが気になってなかなか家が出られない強迫神経症の症状もひどくなっていたが、気のせいと思うようにし ていた。

 東日本大震災が起きて、福島原発事故が起こって、いま自分が直接受けている“被害”は、911テロの時とは比べ物にならないのに、あの頃のほうが断然、精神的にビョーキだったことを思い出した。
 今は「自分の命より他人を助けろ」と適当な口調で誰かに指示されることもすることもなく、母とは3年前に絶縁している。「顔色を変えないこと」を必要以上に自分へ強いる環境から抜け出すことだけを、この10年がんばっていたんだと気付いた。
「顔色を変えないこと」
女向け商品度★☆☆☆☆(男のほうが顔色変えない度高い)
周りにはバレバレ度★★★★☆
震災直後、3年ぶりに東京にある実家へ電話をかけたら、母は10日からパリ旅行に行っていて地震に遭っていなかった度★★★★★

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田房永子(たぶさ・えいこ)

漫画家・ライター
1978年 東京都生まれ。漫画家。武蔵野美術大学短期大学部美術科卒。2000年漫画家デビュー。翌年第3回アックスマンガ新人賞佳作受賞。2005年からエロスポットに潜入するレポート漫画家として男性向けエロ本に多数連載を持つ。男性の望むエロへの違和感が爆発し、2010年より女性向け媒体で漫画や文章を描き始める。2012年に発行した、実母との戦いを描いた「母がしんどい」(KADOKAWA 中経出版)が反響を呼ぶ。著書に、誰も教えてくれなかった妊娠・出産・育児・産後の夫婦についてを描いた「ママだって、人間」(河出書房新社)がある。他にも、しんどい母を持つ人にインタビューする「うちの母ってヘンですか?」、呪いを抜いて自分を好きになる「呪詛抜きダイエット」、90年代の東京の女子校生活を描いた「青春☆ナインティーズ」等のコミックエッセイを連載中。

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