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「そんな気がする」の主従

田房永子2012.05.07

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 木嶋佳苗の手記を読んで、「『そんな気がする』の女だったんだ」と思った。人を怒らせたり困らせたりした時に、謝罪するとか逆ギレするとか開き直るとか、そんな「普通」の態度はとらず、毅然とした態度でほんのりズレた話をし出す女。真面目に聞いてみると「そんな気がするんです」ということしか言ってない。「それじゃ話になりませんよ」と言い返しても、堂々とした面持ちであさってのほうを向き(時には祈るように目を閉じ)「でも、そんな気がするんです」と言う女。
 木嶋佳苗は特殊な立場の人で、実際に見たことがないから、身近な人に当てはめて考えたことがなかった。だけど佳苗の手記はまるで自分にとって馴染み深い「そんな気がする」の女が書いたようで、読んでいて違和感が全くなかった。「毒婦。木嶋佳苗100日裁判傍聴記」(北原みのり著、朝日新聞出版)の中で、私は彼女たちの共通点(弟妹が複数いる長女、普通の仕事ができない、講師の経験がある等々)の符合を下世話な気持ちで楽しんだ。
 私が知っている「そんな気がする」の女は皆、温和で優しいしゃべり方と声を持っている。独特なファッションセンスと全身から滲み出るメルヘンなオーラ。見ただけで「なんかコワい」と影で怯える人が必ず一定数いる。私のような「そんな気がする」の女に育てられた人は、この「コワさ」がいまいち分からず親密になっていく。
 「そんな気がする」の女が例えば遅刻して人を待たせた時。焦った顔でもしょんぼりした顔でも笑顔でもなく「不思議だなあ」みたいな顔をして「なぜか私ってこういうことがよく起こる人なんだよねえ」とかマジで口に出して言ってきたりする。オノレが寝坊しただけだろうがって話なのだが、私は待たされたにも関わらず「えー、不思議。やっぱり○○さんってそういう引力を持っているんだねえ」とか言う。そうすると「そんな気がする」の女は目をまん丸くして私の顔を見つめ、嬉しそうに「田房さんってすごぉい」と言う。その「すごぉい」は「私が分からない、私の力(魔力、引力、魅力)を田房さんは分かるのね」の「すごぉい」である。同時に「田房さんって私の要求してることがわかるのね、えらいわ」というご褒美的な意味も含まっている。
 自分の犯した過ちを「魔性」で語り、他人にも認知させようとする強引さ。そうされると私は思考が停止して、彼女が欲しいリアクションを体が自動的にしてしまう。「そんな気がする」の女に気に入られ、しょっちゅう呼び出されるようになり、2人きりで会ったり、彼女のテリトリーに連れて行かれるようになる。
 「そんな気がする」の女は、いつでもトッぱずれているわけでなく、基本的に明るくて楽しい。それぞれ独自のステータス基準を持っていて、感受性が豊かでフットワークが軽い。得意なことに夢中になって、その世界のことを面白おかしく話してくれる。その話がどこか膨らませすぎだったり脚色が激しかったりもするが、それらは「嘘」と呼ぶには楽しすぎるのだった。
 彼女たちの「こわさ」はそこではなくて、彼女の話でちゃんと私が笑っているか、確認しているところ。彼女たちが私から受け取る「価値」と、彼女が私に提供する「価値」が釣り合っているか、常に計っている。彼女の中で、私の「価値」が上がれば、プレゼントを頻繁にくれたり、言葉に出して褒めてきたり、どこかへ連れて行ってくれたり、彼女なりの「価値(ご褒美)」を分かりやすく差し出してくる。何を差し出すにしても、大切そうに心を込める。「心を込める」というところだけを猛烈にがんばっていると言っても過言ではないくらい「心を込める」。念を入れる、に近い。それは私のためというよりは、そうしていないと彼女自身が不安でたまらなくなるからしている、という風にも見える。
 こうして「そんな気がする」の女と私は、魔法少女とマスコットのような関係になる。アニメの魔法少女には必ず、マスコットとして魔法の国から派遣された小さい動物が肩に乗ったりしている。「なんでこうなるんだろう?」と魔法少女が不思議がれば、「それはあなたが魔力を手にしているからだよ。同時にそれがあなたの魅力なんだよ」とマスコットが解説する。魔法少女が「こんな失敗しちゃったよぉ」と嘆けばマスコットが「んもぉ~! 気をつけなさい! あなたには魔法の国と俗世を繋ぐという大切な任務があるんですから!」と叱咤し、落ち込めば「『普通』の人じゃないんだから『普通』の世界で暮らしてる時にそういうことが起こるのは、仕方ないよ」と励ます。魔法少女は「自分では分からないけど、なんだかすごい力があるみたいだなあ」とホヨヨ~としている。
 そういうマスコットにいつのまにか私はなっている。私は彼女が提示してくる見えない台本を読んでいるだけだ。周りの人からは「よく相手ができるね」とか「どうして付き合ってるの?」と呆れられる。自分でも言いなりになっていることが情けない。だけど私のような女を確保し、そんな茶番をわざわざやり抜くこの人は、ある意味「魔力」があると言っていいんじゃないかとも思うのだった。不思議な魅力があるのは確かだった。それに、一定数の人から不気味がられたりするのを本人も自覚していて、そういう自分を楽しんでいたりもする。そういう“マトモさ”があるから、離れられない。
 「そんな気がする」の女は、大事なところで「女優然」とするのも特徴だ。演技が始まると急に目つきが変わる大女優、みたいなことを本気でやる。「憑依する」とか「宿る」とかを本当に信じていて、人前に出る時とかピンチを切り抜ける時とか、妙に凛、として「そんな気がする」という話を動じずに話し続ける。言われているほうは「はあ?」って顔をしてるし、横で聞いててもハラハラしてしまうのだが、あまりの迫力に押されウヤムヤになって終わる。本人は「こわかったよぉ。でもがんばったよぉ(涙」みたいなノリで乗り切ったということにしているようだけど、相手の怒りや疑問を気迫で跳ね返してなかったことにしているだけなので問題自体が解決することはない。彼女たちは私にも「女優になりきること」を奨めてくる。そういう時「負けちゃだめ」とか「飲まれちゃだめ」とか気迫のことばかり言う。自分の事情を説明し相手の信頼を取り戻すとか、普通のやり方は彼女たちの中にほとんどない。「女優然」はマスコットなしの時にメルヘンと俗世を両立させて身を守る、彼女たちの重要な処世術だ。
 彼女たちは、自分が好きだと思った人のことはものすごく褒めて良く語る。佳苗の手記で名指しで褒められている人が出てきたが、その場にそぐわないテンションで好きな人のことを語る感じが「そんな気がする」の女たちのそれとソックリなのでゾクゾクした。
 似ている点で一番ゾクッとしたのは「毒婦。木嶋佳苗100日裁判傍聴記」にあった「目力」の話。「そんな気がする」の女も目力がすごい。気に入られたい相手には目尻の筋肉にギュンギュンに全力を入れて細めた「慈愛の目」を向け、感謝を表現するときはこれまで全人類が感じた「Thanks」の念を一手に集めてそのパワーで眉頭を歪めましたみたいな凄い目をしてくる。母は外出先など大きな声が出せない場所で私に言うことを聞かせる時、「ギン!」と見開いた目で顔面を震わせながら私をにらんだ。その場の空気よりも大きめに感情を「目」で表現するので、その仰々しさが、必要以上にこちらの何かをくり抜いて持っていかれるような疲労を感じさせる。「田房さんと仲いいあの人、目が怖いよ」とよく言われた。彼女たちは基本的に目力でどうにかなると思っているし、実際にどうにかしてきたんだと思う。「そんな気がする」を押し通すには、目力が不可欠だ。
 魔法少女とマスコットの蜜月にもやがて終焉が訪れる。私がマスコットとしての領域を出て自分の都合の頼みごとをしたりすると、「価値」の緊張感が崩れて関係が崩壊してしまう。「そんな気がする」の女は、「価値」のやりとりがキッチリしている。ドタキャンだったりバカにするような態度だったり、自分が「田房にされたこと」に見合うことをキッチリ返してくる。意識的にしているようには思えないけど、無意識でもないと思う。ホヨヨ~としたいつものノリで、決行される。そこで私が自分から疎遠になれば関係はジ・エンドである。
 木嶋佳苗とお近づきになった男たちに自分を重ねた。男たちの中で自分のほうから去っていった人を佳苗は追いかけることはしてなくて、佳苗に依存して結婚を望んでいた(とされている)人は亡くなっている。
 「そんな気がする」の女が自ら提供してくるもの以上の何かを、こちらから要求することは難しい。こちらが“わきまえない態度”を取ると、彼女達はその度にイヤ~な顔を見せたりすることで分かりやすい警告をしてくる。いちいち地雷を確認して、彼女のルールを察知しなければならない。彼女のほうは、私の地雷ではなく、私が彼女の地雷ルールを守って行動しているかどうか、だけを敏感に探ってくる。優しいけれど、ある程度付き合うとその優しさは全て自分を通り抜けて彼女のほうへ直帰していることに気付く。一部の人には会ってすぐそれが分かるみたいだけど、私はマスコットになってようやく分かりヘトヘトになってから関係を終わらせるのだった。
 木嶋佳苗の手記を読みながら、佳苗は佳苗の思うように佳苗を解説するマスコットが出てくるのを待っていたのに、誰も出てこないから自分でマスコット役をやっちゃったのかな、と思った。私の中のマスコット魂がふつふつと煮えた。「あなたみたいな人がこの世で暮らしていれば、こういう現象は起こるよ。必然なんだ。この俗世では、現象が事件になる。けれどそれこそが、あなたがあなたである所以なんだよ」頭が勝手にセリフをしゃべっていた。
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田房永子(たぶさ・えいこ)

漫画家・ライター
1978年 東京都生まれ。漫画家。武蔵野美術大学短期大学部美術科卒。2000年漫画家デビュー。翌年第3回アックスマンガ新人賞佳作受賞。2005年からエロスポットに潜入するレポート漫画家として男性向けエロ本に多数連載を持つ。男性の望むエロへの違和感が爆発し、2010年より女性向け媒体で漫画や文章を描き始める。2012年に発行した、実母との戦いを描いた「母がしんどい」(KADOKAWA 中経出版)が反響を呼ぶ。著書に、誰も教えてくれなかった妊娠・出産・育児・産後の夫婦についてを描いた「ママだって、人間」(河出書房新社)がある。他にも、しんどい母を持つ人にインタビューする「うちの母ってヘンですか?」、呪いを抜いて自分を好きになる「呪詛抜きダイエット」、90年代の東京の女子校生活を描いた「青春☆ナインティーズ」等のコミックエッセイを連載中。

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