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窮屈JAPAN

田房永子2012.07.28

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 テレビで中高一貫男子校の応援団部のドキュメントをやっていた。年功序列に規律第一、過酷すぎる練習としごき。合宿では学ランからしたたり落ちる汗をそのままに何時間も正座で応援の練習。足がしびれすぎて立てなくなるんだけど手をついちゃいけないという決まりがあるのでヒジで体を支え生まれたての小鹿のように手足をガクガクさせながら立ち上がらなければならない。OB(オッサン)たちがジーッと見る中行われ、早く立ち上がらないと怒号が飛ぶ。風呂では新入部員(ヒョロヒョロの中学1年生)が「失礼いたします!」と全裸で入っていき、同じく全裸で待つOB(割腹のいいオジサン)の背中をゴシゴシ洗う(風呂には二人きり)という、もはや意味不明の域に達してる「伝統」の特訓が無数にある。
 その学校が共学校になった。女子チアリーダー部ができ、新入部員は毎年数十人入る。チア部と応援団部が合併することになった。今まで何十年もたくさんの男子部員が学ランから汗をしたたり落として守り通してきた規律を、チア部の幹部女子3名はアッサリ無視する。そして優しさと厳しさで女子部員をまとめあげ、練習に精を出す。翻弄される応援団部男子。女子幹部を呼び出し「規律を守らないと伝統が途切れてヤバイぞ」ということを「君たちは怠けている、しっかりしろ」という言い方で説教をする。女子は神妙な顔で聞き素直に「ハイ」と言うのだけど、そもそも伝統を守らなきゃいけないと思ってないので希望通りには変わってくれないのだった。男子部員はもういなくなるので、女子幹部が団長になるしかない。「このままじゃ女子を団長にはできない」と怒るOB(ジジイ)たち。応援団長になりたくてチアに入ったわけじゃないと主張していた女子が、最後は心を入れ替えたことでOB(ジジイとオッサン)にも認められ、団長に任命されるという結末だった。女子はいろいろ悩んだり緊張したりドラマがあったが、男子は「部員がいなくなって廃部になるよりはいい」という具合で、あくまでも応援団部に女子を入れてあげた、という感じだった。
 男子から見ると女子は、大切な規律を守らないのにやる気がないわけではなく、練習は頑張るし神妙な顔して説教を聞いて泣いたりするくせに絶対に折れないという、ワケのわからない存在だった。自分の考えで能動的に動いているのは女子で、男子はあくまで受身だった。男って、こういう視線なんだ! と思った。あくまで自分たちが世界の中心で、そこに女たちが紛れ込んでいる、「いさせてあげてる」って感じ。
 奥さんからバカにされてゴミみたいな扱い受けてるのに平然と生きてるオッサンのメンタリティーが謎だったけど、この「俺の世界に女が紛れこんでいる」が基本なんだと思うと理解できる。結婚出産なんて、ある日俺の家に女がやってきてある日俺の子を孕み、ある日生んでいた。みたいな感覚だから、ある日妻子と共に部屋の全荷物が忽然と消えていたりもするのですね。
 この「基本」って、電車内痴漢問題にもあてはまる。「露出の高い服を着なければ痴漢に遭わない」という思い込みが、「服装は関係なく痴漢するやつがいる」と女がいくら言っても変わらない。それは「電車(男の世界の乗り物)に女も乗らせてあげている」っていう感覚が世の中にあるからなんだ。どう説明しても「女が電車に乗るだけでそりゃ触られるだろう」という感覚が日本人の脳にはどうしてもこびりついている。血管浮かせて「痴漢冤罪のほうが問題だ!」って男がブチ切れまくるのも当然だ。「男の乗り物に女が乗ってるおかげでこんな目に遭う男がいるんだ!」という怒りだったんだ。それならそうと言ってくれればいいのに、男達に自覚がないことが恐ろしい。
 電車内で子供の声がうるさい時、母親が子供に「静かにしないと他の人に怒られるよ」というフレーズを使うのも、「女子供は乗らせていただいている」というプレッシャーを無意識に感じているからではないだろうか。ああいう時の親の声というのはやたら大きく張っていて、子供に言ってるというよりも、周りの人へ「私はちゃんと叱ってます!」とアピールしているように見える。「ダメだって分かってます、でも静かにならないんです、勘弁してください」というパフォーマンス。その姿を見て周りの人もやっと納得する。「子供は静かにしなければいけない」のではなく「子連れ女は子供を静かにさせなければいけない。どうせ静かにできないのだから、その代わり肩身狭く謙虚に電車に乗らなければいけない」それがマナー。
 生理的なことでいったら、子供のうるささよりも、腕が汗でべちょべちょのまま平気で人とくっつけるオヤジのほうが1000万倍不快なのに、腕べちょべちょオヤジは卑屈じゃない。堂々とべちょべちょしている。致死レベルの口臭を発してるオッサンも、みんなに嫌われているものの、堂々と乗っている。「私、口がくさいんで隅っこに立ってます」と謙虚さを全身で表したり、消臭タブレット食いまくりながら「ほら、こうしても無駄なの! だから許して!」とアピってるオッサンは見たことがない。
 子連れで電車に乗車する際、卑屈になるのは女だけじゃない。イクメンと呼ばれる男達も電車内で自分の子供が泣けばたちまち卑屈になる。「女の真似事」をしていることで“電車内ヒエラルキー(男>学生>>高齢者>障害者>女>子連れ、の順だと私は感じている)”が降格する感覚を肌で体感しているからじゃないだろうか。
 子供を持つ前、子連れは公共の場で肩身が狭そうだけど、子連れ同士のあいだでは「どうでもいいよね」と気楽にやっているもんだと思ってた。しかし小児科等の女子供だらけの場所でも「泣き声を出させてはいけない」と気にするお母さんたちがたくさんいる。「うるさいんですけど」とか「うちの子まで泣いちゃうんですけど」とか誰も言ってないのに、「泣いてるのあんただけでおかしいよ!」と子供に言う。「うちの子が泣いてるせいでおたくの子も泣いちゃいますよね、すみません」と口に出して謝ってくるお母さんもけっこうな数いる。私はもし「うるさいんですけど」って注意してくる人がいたらその人に対応すればいいと思うんだけど、「周りの見知らぬ他人はみんな『不快だ』と思っている」というのが前提になっている。仮面ライダーが腕につけて本部と連絡をとるためのバンドみたいなおもちゃを握り締めて号泣してる子をカワイイな~と思って見てるのに、「不快ですよね、すみません」って謝られると悲しい。どうしてこんなに肩身狭く子育てしなきゃいけないんだろう。外に出て“先手謝罪パフォーマンス”を見るたび息苦しくてたまらない。

 親たちのあの卑屈さと、「お父さんは働いて帰ってらっしゃたんだから、うるさくしないの」という昭和の良妻みたいなイメージが重なる。「働く男の方々に、快適に過ごしていただけますよう、私たち女だけでなんとかしますので。お邪魔にならないようにつとめます」ていう「里帰り出産」的なノリがそのまま公共の場でも、「働く男」相手に行われているんじゃないかと思う。
 私も、電車やバスに乗って自分の子が泣き出すと、スーッと背筋が凍って緊張してしまう。緊張に飲まれず冷静に対応すればなんで泣いてるのかがなんとなく分かる。だけど緊張しすぎると余計なことをしてしまって泣き声は大きくなる。必死で泣き止ませる時、戦争ドラマを思い出す。防空壕の中、「泣き声で敵に見つかる」と周りの人に怒られて、母親が仕方なく赤ちゃんの口を塞いで殺してしまうシーン。2012年、赤ちゃんが泣いたって誰も殺されないのに、今でも日本は防空壕の中なのであります。
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田房永子(たぶさ・えいこ)

漫画家・ライター
1978年 東京都生まれ。漫画家。武蔵野美術大学短期大学部美術科卒。2000年漫画家デビュー。翌年第3回アックスマンガ新人賞佳作受賞。2005年からエロスポットに潜入するレポート漫画家として男性向けエロ本に多数連載を持つ。男性の望むエロへの違和感が爆発し、2010年より女性向け媒体で漫画や文章を描き始める。2012年に発行した、実母との戦いを描いた「母がしんどい」(KADOKAWA 中経出版)が反響を呼ぶ。著書に、誰も教えてくれなかった妊娠・出産・育児・産後の夫婦についてを描いた「ママだって、人間」(河出書房新社)がある。他にも、しんどい母を持つ人にインタビューする「うちの母ってヘンですか?」、呪いを抜いて自分を好きになる「呪詛抜きダイエット」、90年代の東京の女子校生活を描いた「青春☆ナインティーズ」等のコミックエッセイを連載中。

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