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豊満な熟女に抱かれたい

田房永子2014.10.09

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 疲れが取れない状態が続いていて、心療内科に行って眠る薬をもらったり、マッサージを受けたり、セラピーで話を聞いてもらったりした。その度によくなったけど、でもまだなんだか根深い疲れが埋まっていた。


 私は「母からもらって困ったものを話す会」という、母や家族との関係や育児や連鎖についての悩みを持つ人たちと集まって話すというのをやっている。そこに来てくれた人が「ボディートーク」という療法を教えてくれた。面白そうなので3000円のお試しコースを予約していて、ちょうど疲れ切っていた時に、その予約の日がやってきた。


 サロンに着くと、施術士の女性が出迎えてくれた。キレイで、聡明な感じの人なので安心した。
 「ボディートーク療法」についての説明が始まった。体の臓器や感情や意識は全部繋がっていて、そのコミュニケーションが分断されると不調が起こる、という考え方らしい。東洋医学、中医学、はたまた宇宙概念までもが登場して、なんだかよくわかんない。「科学とか西洋医学とかを基準にしてる人は確実に怒り出す系の療法だな?」と思いながら、心のワクワク(こういう世界、私、大好き!)が止まらず、「あのっ、お試しコースじゃなくて、通常のコースにしてもらってもいいですか!」と、60分9000円のコースに変更した。


 施術士の女性は、私の体をチェックして、「呼吸がうまくできてないよ」と教えてくれた。確かにそうなんだ。私はうまく眠れないことばかり気にしてたけど、浅くしか呼吸できなくてつらかったんだ。
 ベッドに仰向けに寝かされ、施術士が私の体に手を当てて、頭や胸の間をトントンと指で叩いたり、何かメモったりしていた。
 私にボディートーク療法を教えてくれた人は、「腎臓に、お母さんへのいろんな気持ちがへばりついてるよ」と言われたという。「こういう療法ってオカルトっぽいと敬遠されるけど、私にはなんだか納得できたんです」
 いまの私には、どの臓器に何がついているんだろう、それを聞きに来たつもりだった。それが分かれば疲れがとれるかもしれない。


 だけど、施術士が仰向けになった私の肋骨のあたりやおなかに優しく手をあてている時、それだけで自分がものすごく癒やされていることを感じた。
 これがボディートーク療法の効能かどうかは、私には分からない。だけどとにかく「女の人にこういう風に体に触れられる」ということ自体が、今の私にはすごく意味のあることだった。 
 〈私、女の人に優しく触られたいんだ。マッサージとか整体とかじゃない触り方で。
できればハグみたいなことがしたい。うーん、ちょっとちがう、なんだろう・・・・・・。ああ、分かった。私は『自分より体の大きな女の人に、抱かれたい(いだかれたい)』んだ・・・〉

 
 施術士は、私の肋骨の下を触りながら「お母さんと何かありましたか? 横隔膜に悲しみが溜まっているよ」と言った。続けて「3~4歳の頃にお母さんの顔色をうかがう生活をしていた?」と聞いてくる。なんで分かるんだろう、と思ったけど、なんだか、この人にそういうことが分かるのは当たり前のことで、なんでもないことだと感じた。それくらい私はすでにこの施術士の女性を信頼していて、さらにそういう女性に体を触られることを熱烈に求めている自分の心に気づいて、そっちにびっくりしていた。


 そして、自分の両胸のあいだの食道のあたりに、スカスカとした、水のまったく含まれていないパサパサとした、堅い繊維でできた、フライパンを洗う系の隙間の多いスポンジみたいなものが、埋まってる、そんな感覚を感じ始めた。
 私は、すごく疲れてる。
 疲れの原因は仕事のストレスだと思ってた。だけど、なんか、それだけじゃない。



 2歳半の娘を、毎日抱っこしてる。やわらかくてすべすべで、小っちゃくて、何にも知らなくて何でも得意げで、可愛い。私が両手を開けばそれが合図で、娘も笑顔で両手を広げて倒れ込むように抱きついてくる。階段の上の段からでも、なんの迷いもなく私の体に飛びついてくる。
 私(母親)がそこから動かない、と分かっているからできるんだなあ、信頼されてるんだなあ、とその度に思う。それは私にとって「そういう関係が築けている」という事であって、その事が「母の顔色を窺わなければならなかった」過去の私を癒やし、「だからきっとこれからも大丈夫」と未来の私に自信を与えて、つまりは私の「人生」を支えている。娘が私の人生を支えているのではなくて、私は自分の行う娘への言動によって、自分を支えている。


 世の中では、「母親が子供を抱っこすると、お互いのパワーが湧き出てきて、母子共に充電される」みたいな概念が浸透してる。生まれたての赤ちゃんは夜泣きとかで大変、という社会認識はあるけど、2~3歳の子供と母親が笑顔で抱き合っている状態は、この世で最もプレシャスな時間、みたいな印象がある。私はそういうもんだと思ってたし、実際娘を抱っこするのはとても楽しいし大好きだと思ってる。なのになんで、私の胸のあいだのスポンジはいま、こんなにスカスカなんだろう。


 私は娘を抱っこすることで、娘に何か養分的なものを吸い取られているのかもしれない、と思った。頭では「お互いにパワーがチャージされてる」って思いたいけど、実際の私はすごく疲れている。
 目に見えないへその緒と胎盤がまだあって、子供は親からパワーや安心感などを吸い取って、親はその分、別のところから養分やパワーを取り入れる必要があるんじゃないだろうか。妊婦と胎児の関係だと、それが当然で、「妊婦をいたわる=胎児をいたわる」ということになってるけど、子供が生まれるとなぜか「子供から親がパワーをもらえる」ということになってしまう。
 育児で母親が疲れたら、夫などのパートナーとの優しい関係や、大人の女としての欲望やセックスや、周りの大人による育児へのサポートで補われる、と私は考えていた。


 だけど、少なくとも今の私は、それだけではもう補充できない。たぶんこのままいくと、娘を笑顔で抱っこする「気力」のチャージがなくなりそうだった。


 そんなことを思っていたら、だんだん、自分の「欲求」がハッキリと浮かび上がってきた。
「私、自分より体の大きな女の人に、抱かれたい」
だかれたいんじゃなくて、いだかれたい、だよね。
「女の人に『抱っこ』されたいんだ・・・」
できれば、肉付きのいい、60歳代の人がいいね。
「肌のきめが細かい、豊満な熟女に、優しく包み込まれたい・・・」


 そんな自分同士の会話を聞きながら、ボディートーク療法は終了した。最後に呼吸のチェックをしてくれた。深く呼吸ができるようになっていた。
 サロンを出て帰宅する時には、「豊満な熟女に抱っこされたい」「豊満な熟女に抱っこされたい」と頭が勝手に唱えていた。唱えてないといられない、そんな感じだった。



 私の母は豊満な体で、3?4歳の私をよく抱っこしていた。夕暮れの日差しが入る狭い部屋の壁に寄りかかった母に抱っこされている記憶が、湧いてくる。顔色もうかがってたけど、抱っこもたくさんされていた。私は、自分のお母さんみたいな人に抱っこされたいんだ。だから豊満な60代女性じゃないとやなんだ。頭の隅で「なんなんだソレ・・・」と思う気持ちもあるが、ここまで切実に自分の心が欲していることを無視したり茶化したら、自分が可哀相だと思った。

 翌日の夜、「熟女に抱っこされたい欲」はさらに膨らんでいて、風俗店に行ってお金を払えば、抱っこくらいしてくれるはずだと思い、熟女専門の風俗店を検索してみた。スケベなことは別にしたくない。座った状態でただ抱っこしてもらって、その胸の中で「あたしね、なんかつかれてるの」とつぶやきたい。そして「そうなんだ、つかれちゃったんだね」と、繰り返し言ってもらいたい。しっとりとした太い腕で包み込んでもらう、あの安心感を、お金で買えるなら買いたい。
 「みんなのおかあさん」みたいな名前の熟女専門風俗店が出てきた。「おかあさん」たちの写真と年齢の一覧を見て、ああ、この人は痩せているなあ、この「きよ子さん(61歳)」くらい太ってくれてないとなあ、だけど「きよ子さん」、ちゃんと私が思うようにセリフを返してくれるかなあ、渡辺えりとか柴田理恵とか藤田弓子みたいな人がいいんだよなあ・・・、とか思って、逆にどんどん「抱っこされたい熟女像」が狭まってきてしまい、これは理想の豊満な熟女を見つけるのが大変に困難だと気づいた。それに、風俗店に行く勇気が私にはない。昔、風俗店の取材をしていたことがあってよく行っていたけど、「スケベなことをしたいわけじゃない女性客」としてお店の人に理解してもらうまでが大変すぎるし、風俗店は独特なにおいや雰囲気があるし、私は「普通の部屋」で抱っこされたいので、そうなるとデリヘルとして家に呼んだほうがいいのかな、と思った。
 

 もう、気持ちが止められなくて、夫に「豊満な熟女に抱っこされたいんだけど、デリヘルというのは家に呼んでも大丈夫なのか」と尋ねた。夫は何事か? という感じだったが、「デリヘルというのは、送迎の車とかでスタッフが送ってきたりするから、近所で見る人が見れば分かってしまうかもしれないし、そうなると確実に『田房さんの家の旦那さんが熟女デリヘルを呼んでいる』という格好になる」とか、その他、私の願望を理解した上での風俗店を使うデメリットを具体的に教えてくれた。


 私のこの胸のスカスカは、大変な事態なのに、そして「熟女抱っこ」でしかどうにもならないのに、お金を払っても女は女に甘えることができない。風俗店「みんなのおかあさん」のホームページには、「エッチなプレイをしなくてもOK! お客様のおうちへ行って、台所に立ってお料理を作っているところを後ろから眺めたい、そんなご要望にも対応いたします!」とか書いてあった。
 いいなあ。男って。
 風俗嬢の人に取材した時、プレイの台本を書いてくるお客さんもいて「一語一句間違わず読んでくれ」と言われるとか言っていた。このタイツを履いてこういうポーズでこうしてくれ、とか、エッチなことはいいから膝枕だけしてくれとか、そういう要求をお金を払えば、男はできる。本当にうらやましい。私なんて、ただ肌のきめ細かい熟女に抱っこしてもらって自分の言ったことをオウム返しして欲しいだけなのに、それがすぐには叶わないなんて、不公平だ。
 なんていうか、例えばタクシーという乗り物を、女しか利用しちゃいけないとしたら、男は「不公平だ」と思うはずだ。女がいくら「あんなもの、利用しない人はしないよ。お金かかるし。歩けばいいんだから」とか言ってても、その「環境」や「権利」が許されている、という状況がうらやましいはずだ。風俗というものが充実しすぎている「男」という性がうらやましすぎて、泣きたくなるほどだった。  


 
 つい昨日までの私にとっては「豊満な熟女に抱っこされたい」という願望は突拍子もないものだけど、すごく自分にしっくりきていた。私が今一番したいことは、これだった。
 

 子供が生まれると、夫が急に子供っぽくなる、という話は昔からよくある。自分の妻を子供にとられて嫉妬する夫。急にわがままになる、いわゆる「夫の赤ちゃん返り」。
 下の子が生まれると、上の子が赤ちゃん返りする、というのも、普通のこととして認知されている。
 一つの家庭に、新しい家族が増えると、既存メンバーの誰かが「赤ちゃん返り」する。でもそれは、上の子であったり夫であったり、絶対に「母親以外の誰か」であることになっている。
 母親は「赤ちゃん返り」しないことになっている。同じ人間なのに、「母親」だからってしないってこと、あるんだろうか。

 
 私は自分の母からずっと、いろんなものを禁止されたり邪魔されたりしてきた。思春期になると私が主役の場所を母がブン取ることがすごく多く、それは大人になっても続いた。母の言動を「赤ちゃん返り」と呼んでみると、しっくりくる。
 子供が楽しそうにしてるのが許せないと思う時がある、自分が可愛がっているのに心のどこかで「この子ばかり可愛がられてずるい」と思う時がある、そんな風に子供に嫉妬してしまう自分がいやだ、というママの話もよくある。これは単純に「赤ちゃん返り」しているだけなんじゃないだろうか。
 「赤ちゃん返り」をするはずがないと思われ、自分でも思い込み、そんなことあってはならないと禁止しまくられている立場だからこそ、余計に妙な形で「赤ちゃん返り」が出続ける、周りも自分もまったく気づかない、ということがあるんじゃないだろうか。


 私のこの胸のスカスカは、「赤ちゃん返りしたい!」と叫んでいた。そのことに気づけた、ということに少しホッとした。だけど、どうしたらそれが実現できるか分からない。風俗はあまりにもハードルが高すぎる。
 もし私以外の人もそう思っている人がいたら、その人たちとお金を出し合って、「理想に近い豊満な、抱っこしてくれる熟女」を探して、公民館みたいなとこの和室の部屋を借りてそこにお招きし、順番に抱っこしてもらう、というのはできないだろうか、と考えた。しかしそんなことを一緒にしてくれる人がいるとは思えない。
 

 結局、熟女風俗のページを開いて夫にあーでもないこーでもないと話したあと、ノートパソコンを閉じ、布団に寝転んだ。横には娘(Nちゃん)が寝ていた。
 夫のほうを向いて
 「私は、Nちゃんに搾取されてる」
 と小さくつぶやいてみた。
 認めたくないけど、やっぱりそうだと思って、Nちゃんへの罪悪感と、でもどこかその言葉を口に出せたことに安堵してる自分を感じた。
「Nちゃんに、搾取されてるんだよーー!!!」
 と枕に口をあてて叫んでみた。
 なんか、ちょっとだけスッキリした。


 でもやっぱり、おばちゃんみたいな人に、抱っこされたいなーと思った。

 
〈後日談〉 
 この1週間後くらいに、「母からもらって困ったものを話す会」で、この話を軽くしたところ、なんと「私も熟女に抱っこされたい」という人がいた。「みんなでお金を出し合って、呼ぶのはどうですか」と言うので、まさかと思っていたけど、もしかしたら実現するのかもしれない、と思っているところです。

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田房永子(たぶさ・えいこ)

漫画家・ライター
1978年 東京都生まれ。漫画家。武蔵野美術大学短期大学部美術科卒。2000年漫画家デビュー。翌年第3回アックスマンガ新人賞佳作受賞。2005年からエロスポットに潜入するレポート漫画家として男性向けエロ本に多数連載を持つ。男性の望むエロへの違和感が爆発し、2010年より女性向け媒体で漫画や文章を描き始める。2012年に発行した、実母との戦いを描いた「母がしんどい」(KADOKAWA 中経出版)が反響を呼ぶ。著書に、誰も教えてくれなかった妊娠・出産・育児・産後の夫婦についてを描いた「ママだって、人間」(河出書房新社)がある。他にも、しんどい母を持つ人にインタビューする「うちの母ってヘンですか?」、呪いを抜いて自分を好きになる「呪詛抜きダイエット」、90年代の東京の女子校生活を描いた「青春☆ナインティーズ」等のコミックエッセイを連載中。

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