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尾頭さんは田代まさしのことを言っている。「シン・ゴジラ」感想文<後編>

田房永子2016.09.26

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 <先週から続きます。感想文、後編です。>

 ゴジラへの敬意が特に強いのは、尾頭と間だと感じた。早すぎるセリフだったので、ちゃんとそう言ってたかは定かじゃないが、尾頭が「ゴジラは人智を超えた完全生物、それは人類に悪影響も及ぼすが、逆の可能性も持ち合わせていることにもなる」的なことを言っていたと思う。私はそのシーンで、アーーーッ!!と叫びそうになった。
 つまりゴジラ自体、どっちにも転びます、っていう感じのことだと私には聞こえた。人類がゴジラをどう捉えるか、どう利用するかで事態は変わる。選択肢がないわけじゃない、絶望だけじゃ無くて希望もある、みたいなこと。
 私はこのシーンで、マーシー(田代まさし)がピーンと浮かんだ。

 自分の中のゴジラを抑えきれず、覚醒剤を使うという行為によって、体と人生を痛めつけ、自身の姿をまさに第1形態(だいじょぶだぁの頃)、第2形態(Vシネ監督の頃)、第3形態(4回目の逮捕時の激やせの姿)、第4形態(ダルクという薬物依存症の人たちのための施設のスタッフである現在)と変化させていったマーシー。
 マーシーは、初回の懲役後はメディアに出ても「もうクスリはやりません」とばかり言っていた。結局やってて第3形態の姿で逮捕されてしまった。しかし現在は「薬物依存症」というものがどういうものか、その恐ろしさをメディアで語るようになった。自分の衝動に向き合ってそれを公に語ることで、今は、薬物依存症を知らない人々への認知を広げたり、私みたいに衝動で悩んでいる人の癒やしの存在になっている。
 尾頭さんはマーシーのことを言っている、と思った。もちろんマーシーのことを言ってるわけじゃないんだけど、衝動は、自分にとって害にもなるし宝にもなる。そういうことを言っているように思えたのである。

 そして矢口は、名前をつけたことでゴジラに愛着を感じていると思う。
 衝動を抑えたい時には、衝動に攻撃して消そうとするんじゃなくて、衝動を尊重したほうがいい。その性質に注目し、寄り添って、その声に耳を傾けるのがいい。これはどの本にも書いてある。

 衝動には、理性側の「これで最後にしよう」という取り決めは、効果がないからだ。
 「シン・ゴジラ」では、政府が多摩川を絶対防衛戦にして、自衛隊に首相が武器の無制限使用を許した。この「タバ作戦」は、無茶な行為で衝動に攻撃し抑圧してるだけの状態を指す。「これでゲームをやめるぞ!」ってゲーム機をたたき壊すような作戦。絶対に次の日ブックオフに中古の本体買いに行っちゃうのに、余計に金もかかるし自己嫌悪もでかくなるというのに、人間は焦るとタバ作戦をしてしまう。

 「シン・ゴジラ」でも、タバ作戦は失敗していた。
 それでも政府は無茶な攻撃を続ける。そんなことしたら反動のほうがすごいのに。まあそうするしかないんだけど。米国の攻撃はゴジラの頸椎をやってしまい、逆にゴジラを覚醒させ東京への被害を拡大させてしまう。
 米国の攻撃は、強烈な抑え込みを表している。これは「身内からの言葉」に置き換えられる。恋人とか友達とか親戚とか親とか、そういう人からの「もういい加減にしたら…?」という軽蔑の混じった言葉、「ほんと自己管理できないよね」「いつまで逃げてるの?」など、あなたを思って心配しているという装いをコーティングされた悪意のある言葉。身内というのは、少なからず自分と関わりがあるんだから、自尊心(深海)にストレス(放射性廃棄物)を捨てちゃって放置して見ないようにしてたのは私だけどさ、それって100%私だけのことじゃなくて、あなたも0.01%くらいは関係してますよね…的な、決して口には出せない気持ち、それが衝動(ゴジラ)の覚醒の助けとなる。
 「シン・ゴジラ」の中で、放射性廃棄物は各国から捨てられたものと言ってた。米国からも攻撃されたことで、ゴジラの中では「え、あんたらの捨てたのも食ったんですけど」的な憤りも湧いたのではないだろうか。

 米国の攻撃により覚醒したゴジラは、口や背中から光線を出して、今まで以上の破壊力を発揮する。観ていて思った。
 物悲しい…。だけど、超気持ちいい~~~~!
 解放。衝動の勝利。理性の崩壊。がまんできずヤバイところで放尿してる時の自己嫌悪と背徳感と生理的快楽、と同じ感じだと思う。
 「シン・ゴジラ」は、都民や自衛隊がたくさん死んでるはずなのに、その悲壮感がぜんぜんない。テレビのニュースのシーンでも、被害者数は言わない。人が死んでるのは分かるのに、なぜかそれでつらくなりすぎない。だからこの、ゴジラの覚醒(衝動の勝利、超絶的なカタルシス)が最大限に悲しく、そして気持ちよく感じられる。
 それは技術的なこともそうだけど、観ている人たちの中に、自分の中のゴジラの覚醒の体験の記憶がそれぞれあるから、そこに反応するんじゃないだろうか。

 ゴジラの覚醒によって、なんと矢口のグループ以外の政府が死滅してしまう。
 衝動が、理性の「世間体」の部分を排除してしまうのである。これは、一人の人間の精神の構造として見ても、世間体が一度崩壊するというのは、解放・変化・進化のために超重要な工程だから、しっくりきた。
 一時的に作られた代理の政府は、米国の核攻撃を容認する。さらに多くの都民を避難させる。核攻撃は、ショック療法とかやけっぱちを意味してる。
 一方、矢口たちはゴジラの生態に注目して、それに沿った対応をしようとする。そして、ゴジラの口から血液凝固剤を入れる凍結プランを立てて実行する。

 衝動は押さえ込んでも意味が無い。自分にとってどういうメッセージを送っているのか、話を聞いてあげる必要がある。そしてその原因について考える必要がある。
 だから本当なら、矢口たちはゴジラについてもっと調べる必要があったけど、そんな時間はないから、やっつけで矢口プランを実行するしかなかった。一応成功はしたけど、その場しのぎに過ぎない。

 感動したのは、矢口がそれを分かっていること! 「ゴジラの脅威を一時的に抑え込めたが問題は解決してない。これから国を立て直しゴジラと共存する方法を見つけなければならない」って言ったところで拍手しそうになった。
 私も今まで、自分の衝動に向き合って深海の声を聞くことで、衝動はおさまり、体も人生も、衝動からの自傷行為によって脅かされることがなくなった。
 だけど、いつまた出てくるかも分からない、と思ってる。禁煙は10年前に成功したけど、「一生吸わない」と思っている時は禁煙できなくて「吸いたくなったら吸えばいい」という考えに変わったら禁煙できるようになった。今でもたまに吸いたいと思う時があるし、無理矢理吸わないというよりは、吸わないメリットを頭に浮かべていると吸わなくて済むという感じだ。煙草の美味しさを知っているからこそ、衝動自体は私の中からなくなることはない。まさに共存している。
 田代マーシーの入ったダルクの代表の近藤さんもこう言っている。「この先、10年20年、覚醒剤を辞め続けられるのだろうかと悩むよりとりあえず今日一日をしっかり生きていこう。おれだって34年やめてるけどいつ使っちゃうか分からないもんね」
 一度、自分が抱える衝動を認識した者は一生、その衝動と付き合うことになる。他の衝動も、いつ出てくるか分からない。
 凍結したゴジラと矢口の2ショットは、人の精神として自然な光景だった。

 そして、赤塚秀樹が最後に「新しい政府を作る」と言ってたのも、感動した。新しい政府は、新しい価値観のこと。

 凍結したゴジラ(とりあえず収まった衝動)と東京(体)が共存し都市を機能させ日本(人生)を保ち続けるには。そしてこれからちゃんとゴジラをうまく解凍していくには。
 もともとの価値観に基づいた政府(理性)のままではやっていけない。そもそもその価値観がゴジラを誕生させたんだから。だから価値観を別のものにする必要がある。ゴジラ寄りのもの、若しくはゴジラを視野に入れたものに変えなければ、また同じ事の繰り返しになる。ゴジラ上陸によって思い知らされた、自分たちが抱える問題を解消できるような価値観に変えることが、自分の国に必要になってくる。
 私も、親との問題に向き合った時、ガラリと価値観が変わる体験をした。マーシーも、最初はダルクのことをうさんくさいと思っていたらしいが、今はダルクのスタッフだ。まさに、自分の政府が新しく変わる体験をしたんだと思う。

 「シン・ゴジラ」は、衝動VS理性の物語としては5合目あたりであり、最後までいっていない。だけどそれがすごくリアルだった。一人の人間の中で、衝動を押さえ込んで殺してスッパリきれいに消し去って、理性だけが勝つなんて状態になるわけがないから。

 大興奮で「シン・ゴジラ」を見終えた。あとでパンフレットを読んだら、庵野秀明監督の挨拶文が“震災”の話ではなく自身が陥った“鬱状態”についての話だった。それによって私の深海から、この感想文を書きたい、というゴジラが上陸してしまったのだった。

<参考文献>
・「シン・ゴジラ」映画パンフレット
・「キレる私をやめたい~夫をグーで殴る妻をやめるまで~」田房永子
・「呪詛抜きダイエット」田房永子
・「マーシーの薬物リハビリ日記」田代まさし[漫画]北村ヂン
Yahoo!ニュース記事「薬物依存症の実態と課題――終わりなき闘いの現場」(ライター・石川れい子/Yahoo!ニュース編集部)

<補足>
 薬物リハビリ日記と、ニュース記事(薬物依存症の実態と課題)は、まさに「シン・ゴジラ」そのものです。

<イラストの補足>
 パンフレットにゴジラデザインをした前田さんという人のインタビューがあった。「庵野さんから“手は何かに掴みかかるようなものじゃなくて、ほとんど動かない。チマッとしていお行儀がいい感じに。みようによってはオバケの手にも見える”と言われたので、細くて筋張った小さい手にしてみました」と書いてある。
 へー、ゴジラって全部同じデザインじゃないのか、と思って(全部同じに見えてた)、「シン・ゴジラWalker」と「特撮秘宝vol.4シン・ゴジラ大特集」を買って見てみたら、確かに歴代のゴジラは手がまん丸でプクプクしてたり、何かを掴みそうだし、目がキュートで可愛かったりした。シン・ゴジラだけ、歯が細かくて赤い血みたいのついててキモさがすごい。だけど、「衝動」って、生き物にするとしたらなんか、こんな感じ!! って気がしてきて、何かを欲しいわけじゃないから手も進化する必要ないんだなあ~とか、すげえ辻褄が合ってて、小さい手だけでなくゴジラの形状すべてがいとおしくなり、2000円台のフィギュアを購入した。

tabusa20160920-1.jpg

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tabusa:kireru.jpg田房永子さんの最新コミックエッセイは、「キレる私をやめたい~夫をグーで殴る妻をやめるまで~」
田房さん自身が今まで誰にも言えなかった深刻な悩みは、特定の人間に限って「キレて」しまうこと。普段は温厚なのに、キレると物を投げる、暴言をはく、つかみかかる、泣き叫ぶ…、理性を取り戻した後に毎回自己嫌悪に。
そんな辛く苦しい毎日から、穏やかな生活を手に入れるまでの日常をコミックにしました。ラブピースクラブ限定のサイン本です。
販売価格:¥1,080(税込)
●著者:田房永子 ●出版:竹書房 ●131ページ ●2016年6月30日

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田房永子(たぶさ・えいこ)

漫画家・ライター
1978年 東京都生まれ。漫画家。武蔵野美術大学短期大学部美術科卒。2000年漫画家デビュー。翌年第3回アックスマンガ新人賞佳作受賞。2005年からエロスポットに潜入するレポート漫画家として男性向けエロ本に多数連載を持つ。男性の望むエロへの違和感が爆発し、2010年より女性向け媒体で漫画や文章を描き始める。2012年に発行した、実母との戦いを描いた「母がしんどい」(KADOKAWA 中経出版)が反響を呼ぶ。著書に、誰も教えてくれなかった妊娠・出産・育児・産後の夫婦についてを描いた「ママだって、人間」(河出書房新社)がある。他にも、しんどい母を持つ人にインタビューする「うちの母ってヘンですか?」、呪いを抜いて自分を好きになる「呪詛抜きダイエット」、90年代の東京の女子校生活を描いた「青春☆ナインティーズ」等のコミックエッセイを連載中。

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