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沖田×華の『透明なゆりかご』に見る、「母」に向けるフラットな視線

高山真2015.12.28

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 ラブピースクラブの連載でも何度か書いていますし、5年ほど前に別のペンネームで書いた『エゴイスト』という小説を書く動機のひとつでもあったのですが、「『母』という存在といかに向き合うか」は、あたくしの人生の大きなテーマのひとつです。あたくしの母は、お酒をほとんど飲まない人でしたが、30歳で肝臓を病んで倒れ、38歳のとき、あたくしが14歳のときに肝臓がんで亡くなっています。母の家系には肝臓で早死にした人間がけっこうたくさんいるので、もしかしたら遺伝的な要因もあるのでしょうか。

 そういった過去とも関係しているとは思うのですが、どうもあたくし自身は、「母なるもの」に対して、過剰な意味づけをしがちです。「母親依存症」とか「母親に多くのことを決めてもらわないと人生が立ち行かない」といった、日本でよく言われる「マザコン」的な資質は自分には薄いと思っていますが(実際問題、依存しようにも人生決めてもらおうにも14歳からは不可能になったし)、それでも、「マザーコンプレックス」という言葉で表現されたら「ああ、確かにあたくしはそうだわ」と思わざるをえません。

 だからなのか、「母」を描いた作品には強く惹かれる自分がいます。映画で言えば、ペドロ・アルモドバル監督の『オール・アバウト・マイ・マザー』で描かれた「血縁や性別を超えていく『母』」のように、胸が温かくなるものももちろん好きです。が、それとは正反対の、「血を分けた息子に対するグロテスクなまでの愛情」を描いた、ポン・ジュノ監督の『母なる証明』もオールタイムベストの中の1本に入れていたりします。本で言えば、信田さよ子さんや田房永子さんの著作も大好き。なんと言うか、あたくしは「あたくしが感じている『母』、あたくしにとっての『母なるもの』が、唯一の正解ではない」ということを、きちんと叩き込んでおきたいと思っているのかもしれません。

 そういう意味で、ここのところ大好きなマンガがひとつ。沖田×華(おきた・ばっか)氏の『透明なゆりかご』です。作者は高校では看護学科に通っていたそうですが、当時、見習いとして勤めることになった産婦人科の病院での経験を作品化したものだそうです。

 中絶、不倫からの出産、中学生の出産、自分が産んだ子を「外れ」と言ってしまう母親…。『透明なゆりかご』で描かれているのは、ほとんどの作品ではスルーされてしまうほうの「産婦人科の現実」です。しかし、作者の沖田氏は、そのどれをも「母失格」とか「自ら招いた不徳」といった視点では捉えていません。「ママ、おめでとう!」と祝福される出産と地続きのもの、祝福される出産と非常に距離が近いもの、「たまたまコインが裏に返れば、こうなるかもしれない」というものとして捉えている。そして、祝福されない妊娠・出産(そして性暴力)においては本来「女性の問題」と必ずセットにして語られなくてはいけないはずの、「男性の問題」にも、静かに、しかしはっきりと目が届いている。その視線のフラットさ、そして、「視線をフラットにしてもなお、すべての事象に対して愛情深い」という作者の基本姿勢が、この作品を素晴らしいものにしているのでは、と強く感じます。

 なんでも、沖田氏は小中学生の時に学習障害や注意欠陥・多動性障害、アスペルガーの診断を受けたそう。それはそれで非常に大変だったであろうことは想像できます。世の中で「常識」とされることがわからない。「暗黙の了解」で進むことを想定に入れておくことができない…。「常識」や「暗黙の了解」をベースに進んでいく学校教育は、沖田氏にとってはとんでもなく苦痛だっただろうなあ、と思います。

 ただ、「他人事ゆえの軽口」との非難を受けるのを承知で言うなら、その資質は、『透明なゆりかご』において、「すべての事象に善悪の順位をつけず、かつ、すべての事象に等しく温かい視線を向ける」という形で花開いたように思えるのです。「母性」という極めてあやふやなものを、「常識」や「暗黙の了解」をベースにさっくり判断・定義することなく、「私にはよくわからない」ものとして、「あやふやなまま」描こうとする労力。そうした「作り手としての誠意」を感じる作品に会えたことは、あたくしにとって大きな喜びでした。年末年始、「テレビはつまらないけど、やることもない」と思っている方がいらしたら、まだ2巻までの刊行でそれほど時間もとらないし、お手に取ってみてはいかがかしら。

 さて、あたくしは1月26日あたりに発売になる、高山真としては8年ぶりになるエッセイ集『恋愛がらみ。』(小学館)のあとがきをようやく書き終わりました。このところ「体調が安定しない…」と言い訳を繰り返し、このエッセイも何回もトバしてしまい、ラブピースクラブさんにもご迷惑をおかけしてしまいました。ラブピースクラブさんにも推定4人の読者の皆様にも、深くお詫びいたします。で、『恋愛がらみ。』のあとがきにも書いたので、その発売に先んじてここでも書いてしまいますが、あたくしは現在、肝臓がんの治療中です。「『母』という存在といかに向き合うか、が、あたくしの大きなテーマ」と、今回のエッセイの冒頭でも書きましたが、こんなところでも母子癒着。困った話ね。うふふ。

 余命宣告は受けていないし、夏から秋にかけての手術で数値的には安定しているそうだし、仕事で人に会おうと思ったら全然会えるくらいに体力はあるし、何よりあたくし個人がまだまだしぶとく生き残る気マンマンですので、『恋愛がらみ。』を遺作などにする気は一切ナシ。というか、まあ先々に治療費も用意しておきたいので、ぜひぜひひとつ、よろしくお願いいたします(脅迫的なセールストークね。ほほほ)。

タイトルこそ『恋愛がらみ。』ですが、いままで書いてきたものと相反するようなことは言っていないつもり。「恋愛が素晴らしい」ではなく「恋愛とか結婚をする・しない」を、一度フラットな状態に置き、「恋愛するもしないも、すべてあなた自身のハピネスのためである」ということを、どれだけ「いまのあたくし」が伝えられるか…。そのことに限界まで挑戦したつもりです。2016年は読者の皆さんにお目にかかる機会も作るつもり。2016年もどうぞよろしくお願いいたします。

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