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崔江以子さんの闘い
17.05.12 by



一年前の5月、ヘイトスピーチ対策法案が成立しました。多くの人が、メディアを通して崔江以子(ちぇ・かんいじゃ)さんの真摯な闘いを目にしたのではないでしょうか。
崔江以子さんは、在日コリアン(在日韓国・朝鮮人、在日、色々な呼び方がありますが、以下、こちらの表記を使用します)3世として、神奈川県川崎市の桜本地域で生まれ育ち、2016年5月に成立した「ヘイトスピーチ対策法」に尽力された一人です。一方、そのために、現在もヘイトスピーチの被害を激しく受け続けている当事者でもあります。
ヘイトスピーチに抗い続けるということ、法案成立までの思い、現在の被害や日常について、桜本という街の歴史、そして、北原みのりが長年ファンだった、ある一人の在日の作家とのエピソード等・・・大切なお話をして下さいました。
対談は崔江以子(ちぇ・かんいじゃ)さんが職員として勤務する桜本の在日コリアン集住地域にある川崎市の公共施設「ふれあい館」にて行いました。


■ヘイトスピーチとの闘い


北原みのり(以下北原)Twitter社が、(ヘイト書き込みを)削除しましたね(2016年11月、Twitter社は崔江以子さんの申し立てにより差別発言を削除した)。

崔江以子(以下崔)  あれは大きかったですね。嬉しかったですね。

北原 影響力は大きかったと思います。でも、あそこまでの闘いは本当に大変でしたね・・・。被害を受けた本人が声をあげなければいけない。厳しい闘いだったと思います。

 当事者がやるというのはやっぱり、自分が被差別者だということや、自分がされている差別を見つめなければいけませんから、当事者じゃなく、第三者が申告できるようなそんな制度になったらいいですよね。

北原 本当ですよね。私もネットの中傷やデマに苦しめられているけど、見ないようにしてしまう。だけど、声をあげる個人がいないと変わらない。その役割を江ちゃんが引き受けていること、それがどれだけ重たい闘いか、やられている人はみんなわかっていると思う。本当にあなたは凄い。

kanchan2.jpg 見ない強さが私にはないんですよね(笑)。気にしちゃう。全員に好かれたいなんて思っていないですけど、こんなに沢山の知らない人達から、「死んでしまえ」と思われてるのかと思うと、びっくりしたんですよ。 放置して、差別に抗うと、こんな目に合うというのが。 このまま、こういうネガティブな結果を示すわけにはいかなかったんですよね。 私は、闘うキャラでもないし、この一年間は、誰かをやっつけたいわけでも、勝ちたいわけでもなく、でも、絶対に負けちゃいけなかったんです、何をしても。あのヘイトのことに関しては。


それに、ヘイトスピーチに対してはカウンター市民が、これは自分たちの社会のことだ、自分ごとなんだと言って、当事者を闘わせないように抗って頑張ってきた背景が既にありました。そこに、私たち桜本の街や当事者がそこに乗っかることができた。

北原 桜本の闘いの歴史があるからこそ、カウンターとの共闘が成功したんだと思います。日々の闘い、諦めずに声を発して、政治を変えてきた桜本の街から学ぶことは大きいです。

 桜本には、在日の戦後補償の問題や、指紋押捺問題、参政権、公務員の国籍条項の問題、暮らしの中の就職差別や入居差別、その一つ、一つを、許せないんだと抗ってきた歴史があるんですよね。
そう抗ってきた私たちなのに、すぐ近くの川崎、ここから15分くらいの駅前で10回やられていた時は、逃げていただけでした。私自身、沈黙しか選択できなかった。だけど、ヘイトスピーチを根絶しなければ、闘わねばと思ったのは、本当の意味で当事者になった時、自分達の街が狙われて、襲われるとなった時です。

北原 初めて、ヘイトスピーチの存在を知ったのはいつ頃だったんですか?

 2012年頃には新大久保でのことは知っていましたけど、どこか自分ごととして考えることは回避してたんですよね。2013年に川崎駅で遭遇してしまったんですけど、もう本当に怖くて、その場から逃げたんです。それが2015年11月の桜本でのヘイトデモが、ちょっと入ったら我が家の前、というコースだったんですよね。


この街で、戦中・戦後、本当に苦労してきた在日1世は今、ほとんど女性しか残ってないんです。男性は戦争で亡くなったり、いなくなってしまったりもあって。 
女性があの時代を生き抜いてきて、子育てをして、食べさせて、自らが学ぶ機会を逸している分、子ども達には学びを提供したいと提供して、そんな風に必死に生きた在日一世のハルモニ達が、やっと豊かな老いの時をこの桜本で仲間達と過ごしているのに……。


桜本の子ども達って、クラスの中に日本語がわからない子がいたり、名前が自分と違う、ミドルネームがある子がいたり、親がいない子や貧困の子がいたりとか、障がいのある子、そういった多様な子ども達がいるのが当たり前なんです。そういう中で、違いを攻撃の的にするんじゃなくて、豊かなものとして尊重しあうという姿勢が小さい頃から積み重なって育ってきているんです。だから、例えば喧嘩をしても、大事な部分であるその人の根幹になっている部分を攻撃するということはしないんです。
そんなこの街の子ども達やハルモニ達に、あの恐ろしいヘイトスピーチを聞かせるわけにはいかなかったので、「子どもを守れ、ハルモニを守れ」という呼びかけを、桜本でされました。


とはいえ、どうしようかなあ……怖いしなあと、家で話していたら、うちの子どもが、「自分も(ヘイトデモを止めに)行くよ」と、言うので、最初は私、半ば、仕方なしにだったんですよ。だって、怖いですもん。本当に、怖いですよ。
もしかすると、子どもの頃の喧嘩で「死ね」、「殺せ」とか言ったり言われることは、あったかも知れないですけど、大人になって、成人の方からあんな風に「死ね」、「殺せ」と言われるなんて……。
それが、私が彼らに何か過失があるのであれば、その過失を認めて、反省するなり改善するなり出来ますけど、ただ、そこに私がいることが許されない、生きていることが許されないんですよ、ただ、朝鮮人だからって理由だけで。


私は、一番最初にヘイトスピーチに遭遇した時から、絶対に自分の親には聞かせたくないなと思ったし、自分の親に、私が今こんなことをを聞いているということをことも知られたくないなと思ったんです。すごく親を傷つける事だなと思ったし、同時に、自分の子どもに、「あなたのオモニはゴキブリって言われる存在なのよ」なんて、絶対に知られたくないと思いました。本当に、びっくりしましたね。まさか自分の人生で、朝鮮人だから「殺せ」とか、「死ね」と言われる日が来るなんて。ただ怖くて、怖くて・・・。


kanchan7.jpg


■ふれあい館について

北原 ここ、ふれあい館のこと、教えてください。

 ここは児童館と市民館の複合施設で、0歳〜高齢者までの多様な人達が利用するんです。私達職員は人が来た時に、「ようこそ、来てくれて嬉しいよ」というメッセージは発信するけれど、「何しに来たんですか?」とは絶対に聞きません。


ふれあい館のスローガンは、「誰もが力いっぱい生きられるために」なんですが、どうしてそんなスローガンを掲げているかというと、力いっぱい生きたくても力いっぱい生きられない社会があって、だからその社会を見つめるために、あえてそのスローガンを用いているんです。そんな社会じゃいけないんだよっていうメッセージを発信しながら、あなたがあなたらしく、私が私らしく生きられるために、そのために私達は何でもするよ、というメッセージを子ども達に発信しています。


ここの特色は、10代〜20代で、中高生や若者の利用が多いんです。

北原 その世代が集まるなんて、珍しい公共施設かも。

 そうなんです。しかも、何か研究とか学びにきている子ども達じゃなくて、いわゆる、アリアナが好きで、ヒップホップが好きで、ラップが好きでという今どきの若者が、自分達の居場所として利用するんですよね。


普通の若者は、こんな公共の施設を使わないで、駅前のカラオケボックスとかファーストフード店とかカフェで話したりしますけど、うちの子達はお金もないし、それに、ここを居心地がいいと選択してくれている。
大人から眉をひそめられてしまうかも知れないような若者達が、ここを居心地がいいと思ってくれて、みんな、利用者の小学生には優しくふるまったり、高齢者の自転車が倒れたらすっと直したりするんです。


私がずっと21年間ここで勤めながら、社会が求める「ちゃんとする」という姿になれない人が、本当はちゃんとなりたいんだけど、なかなかなれない人が、ここで少し元気になって欲しいなという思いがあるんです。「ちゃんとできてない人こそ、ようこそ」という思いがある。


一番身近で身軽に利用できる公的施設を目指しているんです。0歳の子から就学前のお子さんとその親が利用する子育て支援センターの機能も持っていて、そういう部屋もあるんです。
他の子育て支援センターを見ると、離乳食を手作りしていたり、布おむつを使っていたりとか、自分の子どもと子育てのために、あらゆる情報をキャッチしてよりよく生きようとしてる人達が集まりがちなんですよね。それは決して悪いことじゃないですけど、ここはむしろ、「昨日の夜、夜泣きでずっと泣くからつねくりたくなっちゃったよ」と、ぼそっと愚痴を言ったり、「離乳食作るの面倒だからスーパーで買ってきたんだけどあっためて」と言えるような場所でありたい。

北原 いいねえ。

 おしゃれをしないで、スウェットで、クロックスで、ブラジャーも付けないで来てもいいんだよという場でありたい。授乳用のブラとかありますけど、あれ、結構ややこしいですよね。授乳中の期間なんて、付けたくないですよね。ただ、もれちゃう、というのもあるけど(笑)。
楽な格好で来て、「疲れちゃったよ」、「子どもはかわいい時はかわいいけど、憎たらしい時は憎たらしい」って正直に言えるような、場でありたい。

北原 なんかね、世の中がきつきつなのよね・・・。

kanchan8.jpg 面白いのが、子育て支援センターに私の昔の子ども達が、若年母として戻ってくるんですよ。小学生の時も若者の時も、ずっと利用して、という子もいるし、健全な成長で離れていく、社会と接点が増えていってアルバイト先であったり、大学、就職先であったりと他の場所で生きていく子ももちろんいます。でも、そんな子達がまた、戻ってくるんですよね。自分の子どもを連れてね。 幸せに戻ってくる子達もいるけど、決してみんながそうではなく、若年母で出産して、相手は最初からいないという子もいます。 でも、困った時に思い出してくれる場がここだったというのが、とっても嬉しいなと思うんです。


最近、私がヘイトのことでメディアに出る時、よく、泣いてるところが発信されたんで、「見てびっくりしたよ」、「江(かん)ちゃん泣いてるから行かなきゃと思ったよ」と訪ねてきてくれたり。
で、みんな言うんです。「変わらないね!やってることも、言ってることも、泣き虫なところも全然かわらない」って(笑)。特別に差別はいけない、貧困だからって諦めてはいけない、と訓示を示したというより、あなたがあなたらしく生きて、そこに、共にあらせて下さいというのが私達の思いなんですね。



■鷺沢萠さんとの思い出


kanchan5.jpg北原 一番最初にお会いした時に、なぜか会ってすぐに鷺沢萠(さぎさわめぐむ)さんの話になったんですよね。江ちゃんが韓国留学の話しをしてくれて、それを聞きながら鷺沢さんのことふと思い出して、「鷺沢萠さんって読んでました?」、みたいなことを聞いたら「親しかったと聞いて、え〜〜!とびっくりしました。
小説『故郷の春』の主人公の江以司(かんいさ)、あれ、江ちゃんがモデルなのよね!


 はい。『ビューティフルネーム』など、色々と出ています。作品に。『故郷の春』という作品は、私の誕生日プレゼントにもらったんです。

北原 そうだったんだ!

 それもサプライズで。「誕生日だからごはん作るからおいで」って言われて行くと、まるでビールを渡すみたいに、「はいよ」って渡されて。
あの人、大事な物は手書きなんですよね。シャーペンで。手書きで。

北原 はいよって・・・照れ屋さんっぽい・・・。

 そうですね。すごいシャイな人だったんで。

北原 鷺沢さんとは、どんな出会いだったんですか?

 鷺沢さんとの出会いもふれあい館なんです。2000年の成人の講座を「在日を生きる・感じあう・表現する」というテーマで開設したんですが、そのスピーカーで辛淑玉(しんすご)さん等、色々な方に来て頂いた10回連続講座の最初の1回目に鷺沢さんにゲストスピーカーに来て頂いたんです。

北原 その時のエピソードも小説になってますよね。

 はい、なっています。

北原 鷺沢さんに電話して、名前を「ちぇかんいじゃ、です」と名乗ったんですよね。

 そうそう、そうしたら「あんたの名前、変だよ」みたいに言われて(笑)。

北原 わはは!

kanchan9.jpg 「そうです、変なんです」と言って(笑)。 鷺沢さんは、一人で一方的に話すということはしないと決めていたんだそうです。あまりにもそれは一方通行だからって。で、対談でいいなら引き受けるけど、じゃあ打ち合わせを、と求められて、最初の電話から一週間後くらいに、指定されたのが自由が丘の・・・でもそこからちょっと様子がおかしい。初回の打ち合わせが自由が丘の焼き鳥屋さん(笑)。


北原 いきなり、焼き鳥屋さん(笑)!

 企画書を持って、行ったんです。鷺沢さんは、ちらっとは見るんですけど、「とにかく、よもやま話をすればいいんでしょ?」と。
あの人は、とっても人に関心が強い人で、私がどんな風に生きてきたのかとか、自分がどんな風に生きてきたのかって話で意気投合して、夕方6時くらいから打ち合わせしたんですが、川崎に帰ってきたら朝でしたね。

北原 ええ〜〜〜!

 はい。最後は鷺沢さんのおうちで。

北原 いきなり初対面で!

 ふたりともまあ・・・・・・。

北原 お酒飲むし(笑)。

 生きるのが不器用だっていうのがお互いわかって。シンパシーがあったんですかね。あと、人に対するハードルが低いんでしょうね、鷺沢さんが。

北原 どんな話ししたの?

 細かい話は覚えてないけど、私結構、自分の家族を愛おしく思っていて。自分が在日だって事はややこしいと思うことはあったけど、で、鷺沢さんも家族が好きだという話になりましたね。
あと、共通点としては、鷺沢さんも若い時にお父さんを亡くしていて、私も若い時に父を亡くしていて。

北原 路上で不思議な亡くなられ方をしているんですよね・・・。

 そうです。あと、お互い韓国に留学経験があって、そこでぎゃふんと言わされるような経験をしていて、お互い、悔しがりいだし、泣き虫だし、そういうことだったんですかね。



■石原慎太郎との「立ち喧嘩」!

 石原都知事に抗ったこともありましたね(笑)。

北原 なにそれ! 聞きたい!

 自由が丘の鷺沢さんがよく行くレストランに、ある日、私と私の連れ合いと3人で食事に行ったんですが、いたんです。石原さんが。席についたらもう、あちらが食事を終わって帰られるところで。


ちょうど「三国人発言」の後です(※200年、当時現職の都知事だった石原慎太郎氏が自衛隊の式典での挨拶の中で「不法入国した多くの三国人、外国人が非常に凶悪な犯罪を繰り返している」と発言。抗議や批判が巻き起こった)
あ!って気がついたら、鷺沢さん、もう腰が浮いてた(笑)。
「行くぞ」って。(笑)。私は、「行くの?」って。(笑)。


すごくおしゃれなレストランなんですけどね(笑)。レジの所で。近寄って行ったらやはり、SPの方が制するんですけど、その人越しに、話しかけて、
「都知事!我々は第三国人ですが!」と始まって。(笑)。
そして、私達は第三国人と称されることについての抗議をしたんですよね。そうしたら、石原さんも石原節で「君達、もっと勉強したまえ。新聞読みなさい」と。

北原 はあ〜?「君達、勉強したまえ」って言ったの?おめーが学べ!

 それでも鷺沢さんは、「当事者が止めてくれと言っているんだから、あなたの勝手な感覚でそう呼ぶな」と伝えたんですよね。彼は、「新聞だって使ってた時代もあるんだ。朝日だって使ってたとか」と。で、「石原さんが朝日嫌いなの分かりますが、私達が使わないでと言っているんです」と。
終わった後、「少し話しできましたね。オンニ、良かったですねえ」と言ったら、「あれは話じゃねえ。立ち喧嘩っていうんだよ」って(笑)。


後日、私の結婚式に来て、スピーチしてくれたんですけど、その内容がその話。石原と立ち喧嘩をしたんだっていう(笑)。他にも、「結婚生活ていうのは、気が遠くなるほど、苦しくて、つらいものだ」とも言っていました。

北原 (爆笑)

 しかも、「私達は石原と立ち喧嘩して勝ちました」って話してました(笑)。
めちゃくちゃな結婚式で(笑)。辛淑玉さんも来てくれたんですが、「江以子はサバイバーだ」とか言って。

北原 それ結婚式のスピーチですか(笑)。

 市民集会ってみんなに呼ばれてます(笑)。




■嫌韓感情が吹き荒れる時代に

kanchan10.jpg  2002年のワールドカップ日韓共催の時に、鷺沢さんの立ち位置が注目されて、沢山、お仕事が増えて、その時、ちょっと嬉しそうだったんですよね。その前に留学していたことも役にたって、言葉も出来て。開催地に行ってインタビューしたり、そのフィールドで用いられることをすごく喜んでいたんですよね。 鷺沢さんが先にいってしまった後に、韓流ブームが来たので、「オンニ(お姉さん)、はやくいきすぎたよ、今いたら大もうけだったのに」って(笑)。


北原 ほんとだね。でも、あの頃から、嫌韓感情が一部で吹き荒れるようになってしまった。

 自分のホームページも持っていたし、日常生活で発信してたのですが、2ちゃんねるとかでネガティブに書かれることもあったんですよね。今の私と一緒ですけど。すっごい傷ついていました。しっかり傷ついていましたね。泣いてたし。

北原 その時、何かおっしゃったんですか?

 一緒に泣くくらいしか出来なかったですよね。だから、今、「私、大変なんだから、一緒に来て泣きなさい」と言っています(笑)。

北原 鷺沢さん、韓流ブームに立ち会えなかったけど・・・でも、今の世界を見たら、どう言うだろう。

 悔しいときは、「きーー」って言ってたんですけど。たぶん、きーって言ってると思う。

宝物の写真をお見せしますね。2001年のうちのお祭です。ハルモニと一緒にチマチョゴリを着て、パレードしたんです。マイチョゴリですよ、鷺沢(さぎさわ)さんの。

北原 楽しそうですね

 鷺沢さん、よく寝起きで、「ふれあい館」に通ってきてました。ハルモニ達の識字学級に来て、自分が作家だとかひとことも言わないんですけどね、おしゃべりして、ラーメン食べて帰って行く。早起きは不得意だったと思うんですけど、朝10時に来てましたね。

北原 ここで、何をしてたんですか?

 この識字学級のことを「共同学習」ってここでは言うんですけど、私たちが日本語をハルモニ達に教えて、ハルモニ達から私たちは生き方を学ぶ。
鷺沢(さぎさわ)さんはご自身のハルモニとは、コリアンルーツであることを語りあうことが出来ないままだったので、その取り戻しではないでしょうけど、穴埋めというか。そして、桜本のハルモニ達、街を愛してくれたんですよね。




■今もヘイトスピーチがある社会に生きているということの現実


 差別は人を殺すということは、私も行政交渉なんかでも用いてきた言葉ですが、実際に我が身にふりかかってきた時、本当に怖いですよ。
本当に怖い。日本社会みんなが私のことを敵視してるんじゃないかっていう風に思ってしまう。
今、ネットでたくさん書かれることは、一つ一つ、嫌だし、怖いし、でも、はじめは、どこかで、私の中にも、「ネットだから仕方がない」というあきらめがあったのかもしれない。でも、ネットでもエスカレートしてくるし、実際、酷い嫌がらせの手紙とか来たんです。リアルに転換してきているのが、本当に怖くて。
警察に相談したんです。今も、この職場と、家と、子どもの学校は、私をネットで検索したらわかってしまうし、家もだいたいこの近くだと分かってしまう。だから、警察にパトロールをして頂いているんです。
しかし、して頂いている以上、私にも、求められていることがあって、表札を外す、インターホンに出ないように電源を抜く、回線電話も切る等……。

北原 電話も。

 はい。子どもだけで家にいる時間もあるので、そこから情報が漏れる可能性があると。
一番キツいのは、下の子、小学生の子と外を歩かないようにと言われていて。
それは、相手は私を分かるけど、私はわからない。私にいなくなってほしいと思っている粘着質の人達がいるんですけど、何かあった時に逃げられないし、守れないし、ということで。
「アイス食べたいからコンビニ行こうよ」って子どもに言われた時に、行かれないんですよ。まさか、四六時中狙われていると思っていないですけど、万が一の時に、「あの時、コンビニ行かなければ……」と思ったら嫌だなと思って、連れ合いと一緒に、子ども達に今の状況を説明して、「みんなを守るために、表札は取ったんだよ、インターホンは切ってるんだよ」と説明をしています。
外で会っても親子だってわからないように振る舞ってくれと、行政機関からは言われていて、「外で会っても挨拶は無しね」と子ども言っているんです。


少し前に、小学生の息子が横断歩道の向こうで「あ、オモニ!」といつも通りに手を振って、その後に、「しまった!」って顔をして、手を下げて、信号の向こうで私にごめんねって動作をしたんですよね。
本当に申し訳ないなと思った。
私や連れ合い、上の中学生の子の傘は、普通の傘なんですけど、小学生の子の傘は、よく無くすので、名前を貼ってあるんですね。
それも、表札を外しているのと同じで、名前が出ていたら意味がないので、家の中にしまおうねということになったんです。家の中にびちょびちょのまま入れて。
雨が続いた時に、彼も気が緩んだんだと思うんですけど、私も仕事から疲れて帰った時に、夜、玄関を見ると、傘立てに傘が入っていたんです。私、もう、 かっちーんときちゃって。
自分が疲れていてるからもあったんでしょうけど、ただいま、とか、おかえりを言う前に、「どうして傘立てに入れたのよ!」と、すごい強い口調で咎めたんですよ。
子どもは泣きながら、「オモニごめんなさい……。傘を傘立てに入れてごめんなさい」って。
その時に私もは、っと我に返って。傘は傘立てに入れるものじゃないですか。こんなの生活じゃないなと思って。


だから、闘うことを止めないんですよね。
こうゆう状況を仕方がないって思うのは、出来ないから。うん。
今こんな思いを子どもにさせちゃってるんだから、このストーリーの最後は、大変だったけど良かったね、というところを目指したいじゃないですか。
それは、私が今、自分が当事者になってしまっていて、頑張って今の悪い状況を凌駕していくだけではなくて、社会の中で、おかしいよという気運が高まってると思うし、私が自分で自分のことを一生懸命解決しないといけないということではなく、おかしいよ、変えなくてはいけないよ、と思う社会があるんだから、カウンターの人達だったり、頑張って発信してくれるメディアの人も、支えてくれる弁護士さんも、何よりもこの地域の仲間がいる。


インターネットを、夜中とかに見てると消えて無くなってしまいたくなる瞬間だってある。だけど、ネガティブな感想を持つことはあっても、全体的にこの1年間については、一度も孤独や孤立を感じたことはないんです。
絶望や哀しみに呑み込まれそうだなと思った瞬間はあるけれど、決して呑み込まれなかったし。信じるに値する社会だし。
差別に抗ったからといって、生きることが苦しくなるような社会ではないよってことを、示したいていうのがあるんですね。


だからと言って、歯をくいしばって我慢しているかというと、決してそうではないです。よく泣いていますが。桜本の若者達が、凄く心配してくれて、「かんちゃん今、タイヘン?」て確認するんです(笑)。「うん、今ちょっとだけタイヘン」と言うと、「法律出来てもまだタイヘンなの?出来てもタイヘンだったら、何が出来ればタイヘンが減るの?」って聞いてくるんです。「出来た法律がより活かされれば、タイヘンは減るんだよ」って話すんです。



■それぞれの、鷺沢さんへの思い


 鷺沢さんの死は、まだ乗り越えてないのかも知れませんね。失った傷みたいなものが強くて、先に逝った鷺沢さんの傷もしっかり見つめなきゃいけないんだけども・・・

北原 読者として、鷺沢さんの痛みを、どうしても引きずるような気持ちになります。それはきっと今の時代につながる痛みだからかもしれないです。・・・知り合いじゃないけど「先に死んでんじゃねーよ!」って思っちゃいます。

 今いなくてどうするのよ……とね(笑)。鷺沢さん、北原さんと似てるかも。すぐ泣くの(笑)。絶対、すごく仲良くなってたと思いますよ。

北原 ほんと!? 会いたかったなあ……! 江ちゃんは、LPC読者の方に鷺沢さんの作品のどれをおすすめしますすか?

 うーん。鷺沢さんの作品。ありますよ、全部ここに。


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北原 あ〜すごい全部ある。(本をめくりながら) ほんと、めちゃくちゃ美しい人だね・・・。

 でもお風呂嫌いなんです(笑)。傘もささないし。媚びないんですよね。自分の貧困の体験とかを、ある意味、あの時代の表現者で表現する人いなかったですよね。

北原 そうだよね。いないのよね、彼女みたいな人。とても繊細で、ものすごい痛みを伝えながら、でも豪快で、そしてとても自由になれる。

 ……なかなか選べないですね。『私の話』が、おすすめですね。正直だから。

北原 ぜんぶ好きだな・・・。「コマのお母さん」の鷺沢さんの目線が、とても好き。鷺沢さんの生活の空気、愛する者への視線が伝わってくる。

 2000年に会ってそこから濃密な何年間かを過ごして、でももう、お別れしてからの方が何倍にもなってしまって。今でも私、依存してるのかなって思います。辛いことがあったりするとお墓に行って、永遠、話してきます。
2016年の4月に、ヘイトのことで本当に苦しい時に、法律が出来るか出来ないかという時に、嵐の中にいるような時、本当に苦しい時に、お墓に行って……鷺沢(さぎさわ)さんの愛した葉桜の頃でしたね、3時間くらいずっと。ぶつぶつ、ぶつぶつ話してきました。「オンニが先にいっちゃうから、こんなこと私がやらなくちゃいけなくなった。あなたが生きてれば、あなたがやればよかったのに」とか(笑)。

北原 聞きながら「きーっ!」って一緒に怒って、泣いてますね。

(インタビュー・構成 金涼子)

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江ちゃん、たくさんお話してくれてありがとう。江ちゃんと話していると、いつもどばどば涙が出て、甘えるように泣いてしまうのです。いやいや、ほんと、私が泣いてる場合じゃないっていうのにね。
一年前の5月、色んなメディアで江ちゃんがヘイトスピーチ対策法案成立に向けて様々なメディアで声をあげているのを見ました。自分に毒を吐く人に対しても、目線を反らさず向きあおうとしていた江ちゃんの姿は忘れられない。当事者が一番前に立って闘うのがどれだけしんどいことか。それなのに何故この人は、自分を苦しめる人にも手を差し伸べるんだろう。何故闘えるのだろう。いったい、どんな人生を送ってきたのだろう。絶対に会いたいと思っていました。
それからしばらくして初めてお会いした時、なぜかすぐに鷺沢萠さんの話になり、江ちゃんが「親しかったんです」と教えてくれた時の驚きは特別なものでした。
ちょうどその頃、鷺沢さんのことを考える日々が続いていたのです。「もし鷺沢萠さんが生きていたら、今の世界をどう見ただろう。何を書こうとしただろう」と。
自身のルーツが韓国にあることを知った鷺沢さんが、追いかけるように民族や歴史について描こうとした真摯さ、他者の人生を書くことで味う”罪悪感”、痛みから逃れないで留まろうとする迫力、そんなことを鷺沢さんの作品から感じてきた読者として、もし今、鷺沢さんが生きていたら、差別感情を剥き出しにして人を壊すような今の社会を、どのように見ただろう。もう一度、きちんと鷺沢さんを読みなおしたい・・・そんなことを、考えていた矢先の江ちゃんとの出会いでした。
鷺沢さんが江ちゃんの人生に深く関わり、そして「今」も関わっていること。江ちゃんの闘いの背景に、彼女との時間があった、「今」もあるのだということ。それは、私が江ちゃんをテレビの中でみて「この人はなぜ闘えるんだろう」と不思議に思ったことの、一つの答えのように感じました。
ねだるように鷺沢さんとのエピソードを聞く私に、ワインを豪快に飲み続ける江ちゃんが「ここら辺にいて、話聞いてそう」と、後ろをチラっと見たときに、私もなんとなく、二人の友情の仲間に少しだけ入れてもらえたような気持ちになったものです。


一人じゃ闘えない、だけど一人じゃなきゃ闘えない、でも自分だけのためだけじゃ闘えない、一緒に泣いてくれる人がいないと闘えない。江ちゃんの話を聞きながら、私も諦めたくないよ、一緒に闘うよ、という思いを深めました。江ちゃん、ありがとう。一緒に、私もがんばりたい。立ち喧嘩しながら、勝っていこう。(北原みのり)

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これまで日本全国でくり広げられてきた路上やネット空間でのヘイトスピーチの被害は広がる一方で、その度に京都朝鮮第一初級の裁判、大阪の李信恵さんの裁判など、各自が対処していくしかありませんでした。
今回、桜本という在日コリアン集住地域、生活圏への侵入を食い止めようとした崔江以子さん親子の存在は、桜本の市民、そしてカウンター市民や弁護士、議員、メディア等、多くの人たちの力が合わさる契機をつくり、超党派議員の現地視察、そして「ヘイトスピーチ対策法」の成立、さらには、2016年6月の川崎市内でのヘイトデモの中止へと結びつきました。本当に大きな一歩だと思います。個人の無力な闘いにせず、皆で声を上げ、共に闘っていけば、おかしなことを当たり前のように変えていけるという実例を、久しぶりに感じることが出来ました。崔江以子さん、本当にお疲れ様です。ありがとうございます。(編集部 金涼子)


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kanija.jpg【プロフィール】1973年 川崎市桜本生まれ 1995年より川崎市ふれあい館勤務。外国につながる子どもや市民のサポートや多文化共生の地域活動をしている。 ヘイトスピーチを許さない川崎市民ネットワーク事務局として川崎市の人種差別禁止条例制定を求めて活動中。