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スクールフェミ 『セメント樽の中の手紙』も「産めよ殖せよ教材」?!

深井恵2021.10.14

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プロレタリア文学の小説『セメント樽の中の手紙』(葉山嘉樹著)をご存じだろうか。筆者は高校1年生の時に学習した記憶があるが、いまでも主に1年生で使われる「精選 国語総合」(大修館書店)の教科書に掲載されている。

『セメント樽の中の手紙』は、こんなあらすじだ。主人公松戸与三は、貧しくてギリギリの生活を送る、セメント業に携わる労働者だ。家族には、妻とたくさんの子どもがいる。仕事では、セメント樽を開けて、コンクリートミキサーの速さに合わせて、中に入っているセメントを枡で量り入れるという作業を1日11時間している。鼻の中に入って鼻毛に付着して固まったコンクリート粉を取り除くこともままならない、過酷な労働状況だ。
その仕事中に、セメント樽の中から箱に入った手紙を見つける。その手紙は、コンクリート工場でセメント袋を作る作業をしている「女工」からのものだった。彼女の恋人はコンクリートを作る破砕機に落ちて、石と共に砕けて粉々になり、真っ赤なコンクリートとなってしまった。その恋人が着ていた仕事着で、手紙は包まれていた。「女工」の手紙には、「あなたが労働者だったら…」と繰り返し書かれ、労働者の連帯を求める記述がある。
同じ労働者として、コンクリートとなってしまった恋人が、どこでコンクリートとして使用されたのか、その時と場所、手紙を受け取った人の名前を教えてほしいという内容の手紙だった。手紙は、「あなたも御用心なさいませ。さようなら」と締めくくられていた。
与三は、その手紙を読み終えた後、子どもたちの騒ぎ声で現実に引き戻される。無力感と絶望感の中で酒をあおり、「へべれけに酔っ払いてえなぁ。そうして何もかもぶち壊してみてえなぁ」と怒鳴る。その言葉を聞いた「細君」に「へべれけになって酔っ払われてたまるもんですか。子供たちをどうします」と言われ、与三は、「細君の大きな腹の中に七人目の子供を見た」で小説は終わる。

『セメント樽の中の手紙』の教材としての今日的な価値は、指導書には次のように記されている。「ここに書かれた過酷な労働の実態や、そこから生まれる労働者の連帯は、何も昔の話ではない。2000年代でも『蟹工船』が話題になるなど、現代にも十分通用する側面を持っている。現在の自分との関わり、またこれからどのように生きていこうと考えたかといった視点を求めることも可能なのである」。

確かに、その点は評価できる。が、今回は、ジェンダーの視点で見たらどうかということについて触れたい。

この小説の初出は1926年とのこと。いまから95年ほど前の作品だからと言えばそれまでだが、「ジェンダー的にアウト」な表現が多数散見される。「女工」しかり、「細君」しかり。その他にも「『…かかあがまた腹を膨らましやがったし、…。彼はウヨウヨしてる子供のことや、またこの寒さをめがけて生まれてくる子供のことや、めちゃくちゃに産むかかあのことを考えると、全くがっかりしてしまった」と語られる。
妻を妊娠させてしまうことに対する自身の責任を、全く考えていない。「妊娠するのは100%女性の責任」という考え方が当時の「常識」だったのか。はたまた、どうやったら妊娠するのか、そのこと自体を知らない労働者が多かったのか。
「ウヨウヨしてる子供」という記述については、指導書に解説がある。「与三の子供が複数であることがわかる。また、この言葉から、今の生活に対して不満をもつ与三が、子供たちにあまり愛情を感じていないことを表現している」。

以上、終わり。避妊の方法をきちんと学んでいない時代だとか、家族計画をしっかり立てておかないといけないなどという解説は(当然のことながら?)ない。性の教育は、昔も今も行われていないということか。
その他、特に気になる解説があったのは小説の最後の部分だ。「彼は、細君の大きな腹の中に七人目の子供を見た」について、「この一文は、小説全体の中でどのような意味を持っているか、話し合ってみよう」と、学習のポイント(内容の理解)が設定されている。
その解答例として記載されている内容が、釈然としないものだった。「女工の恋人の死に対して、新しい生命の誕生という解釈、さらにその子供が女工の恋人の生まれ代わりだとする解釈もある。また、新しい生命を明るい未来につなげる、または与三がその新しい生命のために自分は頑張らなければならないという決意をした、というような多様な読みが可能である」。「厳しい現実を目の前にした与三の失望を表している」「生まれてくる子供は、新しい時代の到来を表している」「女工の恋人は死んでも、新たに生まれる労働者があるという、労働者の強さを表している。等の解答が予想される」。
「多様な読みが可能」としながらも、労働者は、現実を甘んじて受け入れて、そこに光を見出して、厳しい労働条件でも働くしかないとでも教え込みたいという印象を受ける。中でも「女工の恋人は死んでも、新たに生まれる労働者があるという、労働者の強さを表している」には、目が点になった。
避妊の方法を知らず、次々に子どもをもうけてしまう労働者を、「強さ」や「明るい未来」にすり替えていいのか。労災で死んでも生まれ代わりの子どもがいるという認識でいいのか。「少子化対策の教材」と捉えれば、貧しくても次々と子どもをつくってくれる労働者の存在は、「明るい未来」なのかもしれないが……。

以前このコラムに、教科書には「産めよ殖せよ」の教材が多いという話を書いたことを、久しぶりに思い出した。『セメント樽の中の手紙』も、実は「産めよ殖やせよ」教材としての位置づけなのかもしれない(考えすぎ?)。
小説教材と言えば、常にその主題は何かが問われる。この小説の主題について教科書の指導書は「当時の労働者の置かれている過酷な状況の実際(労働時間、賃金、危険な作業場等)への訴えと、その現実に根ざした労働者の連帯への呼びかけ、及び、その呼びかけに感情的に動かされながらも、実際にはどうすることもできないでいる労働者の現実」と解説している。

確かにそうかもしれないが、そこで終わっていいのか。「実際にはどうすることもできないでいる労働者の現実」で終わると、「労働者は、現実を甘んじて受け入れて、そこに光を見出して、厳しい労働条件でも働くしかない」と、この小説で学習した生徒たちは思い込みはしないか。
授業で最初に読み終わった時、ある生徒から「先生、これ本当の話?」と質問があった。「小説だから、作り話だよ」と答えたら、「作り話でよかった。破砕機で人が死んでなくてよかった」と安心していた。
小説であっても、「本当にあった話」だと受け取りがちな生徒が少なからずいる。教員から解説されれば、疑うことなくそのまま信じてしまう恐れもある。

『セメント樽の中の手紙』の内容は、いまの時代なら、どうだろう? と生徒に投げかけたいところだ。避妊や家族計画の重要性、子どもに対する責任は父親にも母親にもあること。過酷な労働に対しては、労働法規や労働組合、労働基準監督署等、労働者の権利を守る仕組みがあること…などなど。常に自分で考えて、教員の話を含めて批判的な視点でも捉えてみることを忘れないようにさせたい。

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