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子どもたちのSOSを受け止める場・保健室

打越さく良2016.10.17

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 子どもたちをとりまく問題を見渡せる場所、保健室
 このところ、保健室本がマイブームだ。私が弁護士になった動機のひとつは、困難を抱えた子どもに寄り添い、少しでもその困難を解消すること。弁護士になって、児童相談所の非常勤嘱託をしたり、子どもをもつ親たちの離婚事件等を担ったりはしているが、あくまで子どもとの関わりは間接的であり、直接向き合えることは少ない。トラブルを抱えた、そうだ、弁護士に相談しよう、と法律事務所の門を叩く子どもなど、そうはいない。しかし、虐待、貧困、いじめ、スクールセクハラ、デートDV、etc.、困難を抱える子どもたちは無数にいるはずだ。素敵な恋愛をしたかったのに、いつのまにかデートDVに陥っていることにならないようにという願いをこめて書いたのが、拙著『レンアイ、基本のキ 好きになったらなんでもOK?』(岩波ジュニア新書)だ。
 しかし、子どもたちが日常的に寄ってくる保健室を現場とした本の切実なアピール力にはかなわない。秋山千佳著『ルポ 保健室 子どもの貧困・虐待・性のリアル』(朝日新書)がいうように、保健室ほど、現代の子どもたちをとりまく問題を明瞭に見渡せる場所はない。そこで、保健室本を続々と読んでみたのである。

 「ほけんの先生」から中高生、大人たちへ
 『エッチのまわりにあるもの 保健室の社会学』(解放出版社)を著したすぎむらなおみは、女子高や定時制高校の養護教諭をしてきた。『保健室の恋バナ+α』(岩波ジュニア新書)の著者金子由美子は、30数年、中学の養護教諭を務めてきたという。子どもたちの成長を長年見守ってきたベテランの「ほけんの先生」による本はどちらも、数々の矛盾や課題を抱え、ストレスと向き合い、「自分らしさ」にこだわり、悩み、努力し、一生懸命人生について考え始めている子どもたちにとって、自分の直面する問題が「問題」であると気づくきっかけ、そしてそれをどう乗り越えていったらいいかのヒントを与えてくれ、大人たちには、子どもたちにどんな対応をしたらいいかを考えるきっかけを与えてくれる。

 実際に子どもたちが読んでくれるように、『エッチのまわりにあるもの』は、各章の冒頭に見開き2頁で、ほとんど漢字を使わず、ひらがなが多い導入部分をいれたり、随所に、「ことばのせつめい」として、「避妊・性感染症予防」等、大切なことを、平易に解説しようとする(「ひにん・せいかんせんよぼう」と漢字にはすべてルビ付きだ)。本文は若干説明的で、子ども自身というより大人向けかもしれないが、具体的な様々なケースで問題の様相を深く考えることができる。その上で、たくさんの注がつけられ、フェミニズムや社会学に裏付けられた分析が加えられており、読みごたえがある。

 たとえば、「ナツキが妊娠した。中絶することになったが、約束の日に彼はあらわれない。お金をパチンコで使ってしまったのだ。カンパでまかなって中絶はした。しかし、その後も彼はコンドームをつけるのも拒否してセックスする」といったケース(117頁)。ナツキちゃんらは、保健室に「おなかいたーい」などといいながら、「先生、どーおもう?」と愚痴のように話し始める。「被害者」という自覚はなく、単に困っている彼女たちに、「それじゃあ、しかたない。ほうっておくしかない」のだろうか。すぎむらも「救済者になりたいだけのでしゃばり、越権行為」を避けるべきという葛藤もあったという。しかし、あるとき、被害にあっている側の話を「中立」にきこうとするということは、実は加害者の擁護につながっている、と気づく。被害者と加害者は最初から水平線上にいるのではなく、垂直線上にいるということもできる。垂直線上にいるならば、「中立」とはまさに被害者より上方に位置し、被害者は下方に転落する。そして、「中立」にきくという行為は、被害者の訴えを「こころの問題」に扱いがちであり、「こころのもちよう」を変えればうまくいきますよ、それを変えていないあなたに非がありますよ、というメッセージを発していることになる。しかし、他方で、「あなたは気づいていないけれども、DVの被害者なのよ」となざすこともさけたい。DVが生じる「支配・被支配」の関係を清算しても、生徒と教諭である自分との間の「支配・被支配」の関係をうみだしかねないからだ。だから、自分で「気づき」に至るように促すことが大切だ。

 『保健室の恋バナ+α』は、序章で、「思春期の「ことな」たちには、まず「恋愛学習」を必修にすべきだと強く感じます」と記す(拙著を書いた動機と同じだ!)。報道されるような事件に至らなくても、三角関係のもつれ、ストーカーまがい、リベンジポルノ、デートDV、様々なトラブルがある。それなのに、性教育は、からだの変化や月経・射精などの生理現象の学習にとどまり、恋愛や失恋について学習する機会はない。
 金子由美子は、すぎむらと異なり葛藤することなく(葛藤したこともあったかもしれないが)、「あなたたち、長く続かないと思うよ」「お互いのために、この際別れちゃいなよ」と立ち入ったアドバイスをすることもあるという。お節介?いやいや、恋愛初心者である中学生が自分を犠牲にしている恋愛、お互いが疲れてしまう恋愛など続けていても意味が無い、と毅然としていてすがすがしい。

 子どもたちを追い詰めるのはデートDVだけではない。JKビジネス、スクールセクハラ、貧困、ダイエット…。『保健室の恋バナ』には、様々な、相談窓口も紹介されている。外国人、転校生、LGBT、「男らしさ」の呪縛に悩む男子etc.、孤立した子どもたちが、自分を肯定していけるように、どう働きかけられるか。2冊とも、その点を必死に考え取り組んでいる「ほけんの先生」の経験に根ざした心強い助言がたくさんつまっている。

 子どもを救う最前線としての機能を発揮するには
 各地の保健室に通って取材を重ねた秋山千佳は、『ルポ保健室 子どもの貧困・虐待・性のリアル』(朝日新書)で、予想を絶するような事情を抱える子どもたちの状況を丹念に描写するとともに、子どもたちの心身両面の健康をカバーしようと奮闘し、あるいは奮闘することが難しい養護教諭の姿を追う。
 養護教諭は、他愛のない雑談から、子どもたちのSOSのサインに気づき、必要であれば担任教諭と情報、意見を交換する。そんなことができる学校であれば、子どもたちは行きつ戻りつであっても、徐々に成長し、回復していく。もっとも、もの凄い苛酷な家庭環境に置かれた子どもの場合、養護教諭が支えようとしても、限界はあるのだが(しかし、支えようとしないよりはずっと救いとなる)。

 しかし、他の教師たちが「保健室はサボりの温床」ととらえ、気軽に保健室へ行くことを許さない学校では、子どもたちは「居場所」を見つけ出すことができず、不登校になってしまう。それはすなわち、学校という外部が虐待や貧困などのサインを気づき手を差し伸べることができなくなることを意味する。教師に受け止めてもらえず、保健室にも行くことを許されず、学校に来られなくなった子どもたちがいるある学校は、教師たちの学力向上への熱意が高く、学力調査の結果が優秀だとか…。その結果には不登校の子の存在は反映されていないという。学校は、勉強を学ぶだけの場ではなく、人間関係を構築し社会性を身につけ、自己肯定感を育んでいく場のはずだ。私も、著者とともに、「サボり」「ウソつき」とされ、学校から姿を消していく子どもたちがいる学校が、「優れた学校」だと評する気にはなれない。

 個々の子どもたちの困難とその回復のプロセスを丹念に追ったストーリーのひとつひとつに涙する。回復や成長のプロセスに必要なのは、養護教諭が言葉で受け止め励ます、といった単純なものではない。わいわいと集まってくる他の子どもたちや教諭など様々なアクターたちとの日常的なかかわりも作用するのだ。養護教諭自身、一人で背負いこむより、スクールカウンセラーらと「チーム」で関わるほうがいい。ある養護教諭が「疲れてくると続かないから」と述懐するとおり、教諭も元気でなければやっていられない。何か一言で救済する、ということはないが、一言で取り返しがつかないことも生じるのが恐ろしい。休みがちな生徒に「また?」と言ってしまい、その子の表情が曇る。そして不登校になってしまう、という痛恨の出来事を語る養護教諭がいる。誰しも疲れているときもあり、鈍感な一言を言ってしまうこともある。しかし、傷ついた子どもには、繊細な対応がしたい、それをすることが可能なほど教諭たちに余裕のある学校であってほしい。

 学校の現場では未だにLGBTへの理解が十分とはいえず、無神経な対応がされている。LGBTの子どもが壮絶ないじめにあっても、担任も「変わった子」ととらえ対処しようとしない場合がある。そうして苛酷な中学校生活を送った「寺田さん」は、偏見のない養郷教諭の白澤章子先生が「よく打ち明けてくれたね。あなたはあなたのままでいいんだよ」と受け止めてくれたことで、自殺のイメージがよぎっても、「私は生きるんだ」と自らを鼓舞することができた。そうして、中学校を卒業し、現在は「女としてのベースがあっての男」と性自認し、現在社会人となり、白澤先生が開いた「川中島の保健室」でコンサートを開いたりして、手伝っている。

 「川中島の保健室」とは、長野県の小中学校で40年間養護教諭を務め、定年退職した白澤先生が2009年に、学校の保健室のように、心身や性の悩みを無料で気軽に相談できる場所としてオープンしたものだ。年間でのべ640人ほどが利用し、全国から視察が絶えないこの場所を、「寺田さん」らは、「陽だまり」と表現する(第4章)。

 「陽だまり」のような安心できる保健室がどこの学校にも、地域にもあったらいい、としみじみ思う。とはいえ、養護教諭一人に「陽だまり」の機能を果たせというのは困難だ。貧困化を背景に、特にダブルワーク、トリプルワークが当たり前なひとり親家庭など、親子が顔を合わせる時間すらない場合もある。貧困は強いストレスにもなり、親が精神疾患を抱えていることもある。今の子どもの問題には何かしらインターネットが絡んでいるが、ネット上の問題に対処する自信が無い教員たちは少なくない。熱意のある養護教諭もいるが、そうでない養護教諭もいる。疲弊しきって限界寸前の養護教諭もいる。「自助努力」にゆだねていては、養護教諭の「アタリ」「ハズレ」、ばらつきが出てしまう(第5章)。

 困難を抱える子どもたちを学校がどのように支えられるか。養護教諭の個性や力量次第ではなく、どのような体制が望ましいかは、まだまだ検討途上にあるようだ。『ルポ 保健室』には、貧困や虐待、いじめなどに直面する子どもたちを支える場となりうる保健室に、その可能性を発揮する方策を探る手がかりが詰め込まれている。

「周辺」である女たちとしての養護教諭
 すぎむらなおみの研究書『養護教諭の社会学 学校文化・ジェンダー・同化』(名古屋大学出版会)は、自白すると、最近読み始めたばかりで、まだ読了していない。しかし、ぐいぐい読み進めている。養護教諭のほとんどは女だ。なんと、2006年度学校基本調査によれば、養護教諭(小中高)は女性が39,154名、男性はたったの20名。まちまちな学歴等のほかに、女性である、ということも、養護教諭が「周辺」であり続ける要因となっていたのではないか。本著は、養護教諭が体現する「複合差別」の実態や「周辺」の理由を明確にすべく、歴史的・実証的に検討を進めていく。

 第2章の「職制運動時代の学校看護婦たち」は、養護教諭の前身である学校看護婦が、1930年代の選挙権も被選挙権もない時代に、あの手この手でロビーし、教員と同等の身分を得ようとした「職制運動」の様相を描き出す。それぞれの学校や地域の実情などから個別に雇用され、名称も「学校看護婦」「学校衛生婦」「学校看護手」「医務補」などとまちまち。看護師免許がなくてもよしとする自治体もあった。勤務形態も数校兼務の場合もあった。このように統一性がない形態は、その生活を不安定にさせ、社会的認知も低いままとする要因となった。

 この状況を改めたいと奮闘した女たちの運動に、選択的夫婦別姓の実現を目指しながらも様々な限界にぶつかっては呆然とする私はひとごととは思えない箇所が多数あり、目がしらが熱くなる。「まあこのまんまでいいし」とゆるいひともいて一枚岩ではない。文部省を突き上げすぎて、おまえらはアカかと嫌悪されてあたふたすることもある。中心人物たちは献身的に運動に打ち込む結果、家庭生活も仕事もままならないものの、表には立たない他の女たちに支えられたりもする。待遇がひどいから闘っているのを知りながら、(意地悪でか?)接待を進める学校医たち、接待させる官僚、議員の記述にはむっとする。それでも理解してくれる官僚や議員はまだいい。そうした人物が異動したり失脚したりするとまた揺り戻しにあう、と案外歴史は属人的なものに左右されたりもする。

 素晴らしい女たちの運動と褒め称えるだけでは、無邪気に過ぎる。「男たち」の役に立ち、「男たち」に認められることを望むことにもなり、軍国主義を支えるべく「健康的な人的資源の確保」にいかに役立つ存在か、をアピールしてしまった、と忸怩たる思いを後に吐露する活動家もいる。後の時代の私たちは、その苦い経過を糾弾するのではなく、「男たち」に認められようとして方向性や手段を誤る可能性はどんな運動にもありうることの教訓にすべきだろう。

 批判すべきところもあるが、率直なところ、今よりずっとずっと女たちが社会を変えるには制約が強かった時代でも頑張りまくった女たちには頭が下がる。保健室だけでなく、私がいるところも、「現場」のひとつだ、と思い返す。私ももっともっと頑張る。陥穽に気をつけつつも。

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打越さく良

打越さく良(うちこし・さくら)

弁護士・第二東京弁護士会所属・日弁連両性の平等委員会委員日弁連家事法制委員会委

得意分野は離婚、DV、親子など家族の問題、セクシュアルハラスメント、少年事件、子どもの虐待など、女性、子どもの人権にかかわる分野。DV等の被害を受け苦しんできた方たちの痛みに共感しつつ、前向きな一歩を踏み出せるようにお役に立ちたい!と熱い。
趣味は、読書、ヨガ、食べ歩き。嵐では櫻井君担当と言いながら、にのと大野くんもいいと悩み……今はにの担当とカミングアウト(笑)。

著書 「Q&A DV事件の実務 相談から保護命令・離婚事件まで」日本加除出版、「よくわかる民法改正―選択的夫婦別姓&婚外子差別撤廃を求めて」共著 朝陽会、「今こそ変えよう!家族法~婚外子差別・選択的夫婦別姓を考える」共著 日本加除出版

さかきばら法律事務所 http://sakakibara-law.com/index.html 
GALGender and Law(GAL) http://genderlaw.jp/index.html 
WAN(http://wan.or.jp/)で「離婚ガイド」連載中。

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