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男と不妊治療vol.1 男の私が不妊治療を語る理由

笹谷遼平2019.03.26

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「心拍が確認出来ません」
私と妊娠8週目の妻は耳を疑った。無数の「?」が頭に去来する。その婦人科医師の声は鉄琴のように無機質に、しかし私たちの脳髄の底まで響いていた。そのときから、私たち夫婦の不妊治療は始まっていたのかもしれない。2015年の冬のことだった。

結果から言うと2018年の秋に娘が生まれた。妻は40歳、夫の私は32歳だった。本コラムは私たち夫婦の、その3年間の記録であり、男の私から見た不妊治療の実際である。男が不妊治療を語る? 笑止! と思われる方もいるかもしれない。確かにそのとおりだ。不妊治療や出産の身体的、精神的負担のすべては女性にかかってくる。相当なものだ。男は横で「頑張れ頑張れ」なんて言いながら音頭をとるくらいしかできないのだ。

しかし「男は無力だ」とは言わないことにしている。無力で当たり前だし、そう言ったところで誰も救われない。そして「結局生まれたんでしょ。産めた人が何を言っても」と言われるかもしれない。しかしその視点が問題なのだと思っている。実際、批判も覚悟している。

しかし、誰が語ってもいいのではないか。もっといろんな人に知られ、語られるべきではないか。

もちろん、不妊治療は非常にセンシティブな話題である。ただ、それをセンシティブにしているのは何だろうか。子を持つ男がそれを語るのはおかしいだろうか。

私の職業は映画監督、とは名ばかりの何か、である。シナリオを書いたり、ドキュメンタリー映画を作ったりはしているが、何事においても自分の至らなさを感じる毎日だ。しかし、不妊治療については何かに記しておきたかった。そしてできれば男性にこそ読んでほしいと思っている。

不妊治療は男性にとって他人事なのか? そうではない。子供がいる、いないで悩んでいる人はきっと誰のまわりにもいるはずだ。大切なのは互いの立場や心を少しでも想像することなのだと思う。大きな自省の念も込めて。私の体験したことが、何かの一助になればこれほど嬉しいことはない。しばしお付き合いいただければ幸いである。

 

身体と心に呪縛をかける「正常」という言葉


不妊治療とは「呪い」である。書いて字のごとく、妊娠しないことを「治療」するのだ。つまり、妊娠して正常という前提の言葉なのだ。近代まで、子どもを産めない女性は「石女(うまずめ)」と卑下され、夫に離縁されてもしかたがないと言われてきた。明確な差別である。酷い話である。残念なことだが、現代の日本でもその精神構造はあまり変わっていないのではないかと思う。不妊治療が「正常に戻す治療」である限り、「呪い」なのだ。

私は1歳のころからアトピーを患っていた。顔と体は常に真っ赤で傷だらけ。30年以上経った今でも全身にステロイドを塗りたくりなんとか炎症とつきあっている。アトピーとはラテン語で「奇妙な」という意味である。私は常に「正常」にする為の治療に取り組んでいた。そこには「正常」でなければならないという強迫観念があった。いや、今もある。それこそが「呪い」なのだが

私と妻は娘が生まれるまで、世に溢れる若い家族連れが妬ましかった。

たとえば道で若い親子にすれ違う。すると落胆が襲いかかる。「あの人たちにはいるのに、なぜ私たちには子どもがいない?」という呪いだ。彼らにも苦労がありドラマがあるはず。しかし彼らがただ楽しそうに見え、憎く思えてくる。それは言い換えれば短絡的な妬みである。

しかも大問題なのは、それを直観的に感じてしまう自分の醜さである。

見た瞬間に「なぜ私には?」が襲いかかる。考えるのではなく、光のスピードで条件反射的に感じているのだ。自分はつくづく醜い人間だ。夫婦揃って煩悶の毎日だった。そんな感情を跳ね除けるような強さを、私たちは持っていなかった。

よく言われるように、年賀状も悩める問題だった。妻の同年代の友達が、子どもが生まれましたという写真付きの年賀状を送ってくる。しかも子どもの笑顔のアップの写真を3コマ並べる離れわざである。この人たちは何を思い、この幸せそうな写真を送るのだろうか、この年賀状を見て不快に感じる人がいないと思う感覚の違いに、しばしばクラッときた。自分の子どもは普遍的にかわいいと思い込み、まわりが見えなくなる、送る側も呪いにかかっていれば、受け取る側も別の呪いにかかっているから手に負えない。

私たちは「もっと想像力働かせてよ!配慮してよ!」と思うし、あちらは「そんなくらい許容してよ!人として狭いよ!」と言うかもしれない。これは終わりなき論争なのか。ただ単に、不快に思う人がいると認知されていないだけのような気もする。

そもそも、この社会を包む空気感にも問題を感じる。「女性は子どもを産む機械」なんて発言は論外だが、兵器購入には大金を使うけど、保育園は増やさない、にもかかわらず少子化著しいから子を産んで国に貢献しろという空気感。つくづく恐ろしい同調圧力である。世にはびこる幸せ像は「パパとママがいて子どもがいるハッピー」であり、子どもがいない夫婦に対しては子どもに「恵まれなかった」と断じてしまう。

誰もが幼いころからメディアによってそう刷り込まれているのだ。それ以外の選択肢があって、違う選択肢も幸せなのだとはあまり言われないのだ。一択の幸福観はそろそろ辞めよう。

異性のパートナーがいる私の友人は「子どもはいらない」と言う。私はその言葉の意味を判断しきれないでいたが、次の瞬間、そんな自分を大いに恥じた。そのまんまの意味なのだ。私も「一択の幸福」に毒されている。一人でいる幸福、(もちろん同性も含め)パートナーと二人の幸福、そして子どもを持たない幸福があって当たり前なのだ。

ただ、その多様な幸福を社会は歓迎していないように見える。もし、社会やメディアからの圧力が、自分の欲求に変化して「子どもが欲しい」と思わせる呪いにかかってしまったとしたら、それほど悲しいことはない。あくまで部分的な話である。

では、私たちが感じた妬みや醜さの根源はなんだろうか。

もちろん個々人の心の問題だ。

しかし、「正常」でなければならないという強迫観念が強い人ほど、「自分は醜い」と思い込み自分を責めるのではないだろうか。一択の幸福観がそうさせているのかもしれない。

私は前に、娘が生まれても世を歩く家族連れが妬ましいのか?と聞かれた。恥の上塗りになるが、妬ましくなくなった。本当に、つくづく醜いのだ。現金なのだ。だからこそ、醜さの源を突き止めたい。そして共有したい。

つくづく思う。

娘が生まれても不妊治療は終わらなかった。

男女の性差、努力が反映されない理不尽、まわりからの圧力、他人の立場に立つ想像力、あらゆるテーマがここに集約されているのだ。妬みとは、女に石と書く。なんと恐ろしい字だろうか。

では、この字が成り立つときから、いや、人類のはじまりからこの呪いは続いているのだ。終わるはずはない。

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笹谷遼平(笹谷・遼平)

1986年京都生まれ。大学卒業後、映画を作り始める。「昭和聖地巡礼」(2008)「蝋塊独歩」(2009)「すいっちんバイブ新世紀(2011)「カミカゼという名の塹壕」(My Rode Reel 2017 Best Japanese 賞受賞)2019年夏「馬ありて」公開。 http://horse-beings.com/  

ドキュメンタリーから劇映画、シナリオまで「自然の中で人間がいかに生きるか」をテーマに映画を作っている。

最新作「黄金」(2018年伊参スタジオ映画祭シナリオ大賞受賞作品)が完成。
映画の予告編はこちら。
https://youtu.be/iufIM2Wir-0

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