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医療の暴力とジェンダー Vol.16 トランスジェンダーの人々の手術について

安積遊歩2021.12.27

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先回は自分がされた手術の残酷さ、愚劣さを書いてみた。今回は、その視点に則って、トランス ジェンダーの人が、自分の身体を傷つけてでもジェンダー規範に自分を合わせたいと追い込まれ てする手術について書いてみる。

私は私の身体の声をかなりよく聞ける方だと考えている。もっともよく聞こうとしている声は、頻発する骨折を慎重に、注意深く避けたいという声だ。骨折を避けるためなら、なんでもしようと思って きた。しかし骨折よりさらに痛い手術をされるようになってからは、手術の痛みは、骨折のそれを 遥かに上回ることを思い知った。何より手術は人工的に骨折を強いられるものだったから、その 医師から強いられる屈辱と痛みを十分に言語化するのは不可能に近い。トランスジェンダーの 人々が手術をされる時、そこへの想いはどんなものであるのだろう?

手術は痛い。なんどいっても、どういっても痛い。手術の後には後遺症もあるし、様々なリスクが あまりにも大きい。それでも手術をするのはなぜか。命を救うためである。ところが私がされた手 術やトランスジェンダーの人たちがされている手術は、命の継承とは直接関係がない。

トランスジェンダーの人たちの手術は、皮膚を切られるまでは一緒だが、私のそれとは違って骨 をいじることない。ただただ乳房やペニスの削除、あるいは形成のためのための手術だ。一体ど れくらいの人が手術を受けているのか。私の手元には統計はない。しかし、もともと身体の仕組 み的に、あるものを削除するというのは、どんなに身体にとって非合理であることか。もちろん、 無いものを現出させることにも大きなリスクが伴う。

ところで私は手術の前に身体を改変させるためにホルモン剤を使った人たちの話しを何人かから か聞いた。あるFtMの友人は、生えなかった髭が生え、肩幅が少し広くなってきた時に、とても 嬉しかったと教えてくれた。しかし、喜びはそれくらいで、それからは身体とのせめぎ合いがどん どん始まっていったという。

彼は、飲食業の店を持ち、同じトランスジェンダーの仲間たちに声をかけて、仕事をしていた。は じめは、その仕事が忙しすぎて、関節の痛みがおこったり、時々倒れるというようなことがあるの かと考えていたらしい。

ただ、それはそうではなかった。ホルモン剤の影響だろうと気づくまで10年以上の時がかかり、気 がついた時には店を手放さざるをえないほどに動けなくなっていたという。彼は、自分の身体に起こったことを冷静に見ていたから、2度とホルモン剤は使わないと決断した。ただ、そのように決 断したからといって、それまでのプロセスを後悔しまくっているわけではないが......。

ところで話しを手術に戻そう。実際に手術をして、乳房を削除した友人はいないけれど、その手術 をしたいと言われ、懇願に近いお願いをして、やめてもらった友人はいる。どう考えても、乳がん や病変のない乳房を切除するというのは、私からしたらあまりにも悲しい決断だ。

烈火の火事現場に遭遇した人が中から子供の声が聞こえる様な気がすると言って、周りに助けも全くない中、そこに飛び込んでしまう様な無謀さにも思える。つまり、火事場の奥から聞こえている様な子供の声は、自分のその性では在りたくないと嘆き叫ぶ、自分の小さな声。その声を取 り巻いて社会という、私たちにとっては火事場のような残酷な世界があるわけだ。

私は生まれた時から曲がった骨は変な骨、真っ直ぐにならなければならない、と言われ、変な骨 を治したいと自分でも思わされていったわけだ。8回の手術はその私自身の小さな声にも促され てしまったわけだが。その声は私自身の声ではなく、社会から押し付けられた声だと気付く過程 で手術はやめた。

社会という火事現場は小さい自分の声を絶えず押しつぶしてくる様に思える。だからと言って、そ の声をよく聴かずに、兎に角助けなければと自分の身体を犠牲にするトランスジェンダーの人た ちの手術。それは人間的でいたいからと言って、なんの助けもなく、火事現場に飛び込むという 無謀な選択だ。自分の声だと思い込んでいる小さな声は火事場の様な残酷な社会から生き延び るために必要なのだと思い込まされていると私には見える。手術をしなくてもあなたがあなた自身 であることを主張して欲しいと、心から心から願う。

ところで、私の懇願のおかげがどれくらいあったかはわからないが、今のところ彼は、乳房の切 除手術には至っていない。

トランスジェンダーの人が手術をすれば戸籍上も男女の記載を変えれるという法律が2004年、ト ランスジェンダーの人たちの運動で通った。メディアからはそれがトランスジェンダーの人に希望を与えるものである、という論調ばかりが聞こえてきた。

しかし私は手術の残酷さと家父長制度の闇を問わずに、自分たちのジェンダー記載を変えさせる だけでいいのかと暗澹たる気持ちになった。その法律から遡って8年前には、私たちは長期に渡る運動によって、ようやくの想いで強制不妊手術を止められた。しかしトランスジェンダーの人々の運動はメディアに載ってから数年で可決が決まった。一体、そこにはどんな政治と意識が働い たのか。

その予測は当たって、その後手術をして、性別が変わった夫婦が子どもを生んだ時、その子の親権にはなにか複雑な問題が提起されているというニュースが流れた。

夫婦別姓の法律さえ、未だ通らない日本。その日本社会がトランスジェンダーの人々の手術につ いてだけは簡単に法律を変更した。それは、トランスジェンダーの人々の悲しみや辛さに無知無関心を決め込み、ただネグレクトという虐待に走っているだけとしか私には思えない。

私たちは私たちの周りに居る全ての人に、できるだけの愛情と注目、そして思いやりを持って関 わり続けよう。そしてそれはまず、自分自身に対してもそうであって欲しい。私は障害を持つ体と いう言葉をやめて、争えない体という言葉を使い始めている。争えない体こそが平和を作る。そ の真実を持って命に直接関わらない手術という暴力を止めていきたいと願っている。

続く

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安積遊歩

安積遊歩(あさか・ゆうほ)

1956年2月福島市生まれ
20代から障害者運動の最前線にいて、1996年、旧優生保護法から母体保護法への改訂に尽力。同年、骨の脆い体の遺伝的特徴を持つ娘を出産。
2011年の原発爆発により、娘・友人とともにニュージーランドに避難。
2014年から札幌市在住。現在、子供・障害・女性への様々な暴力の廃絶に取り組んでいる。

この連載では、女性が優生思想をどれほど内面化しているかを明らかにし、そこから自由になることの可能性を追求していきたい。 男と女の間には深くて暗い川があるという歌があった。しかし実のところ、女と女の間にも障害のある無しに始まり年齢、容姿、経済、結婚している・していない、子供を持っている・持っていないなど、悲しい分断が凄まじい。 それを様々な観点から見ていき、そこにある深い溝に、少しでも橋をかけていきたいと思う。

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