ラブピースクラブはフェミニストが運営する日本初のラブグッズストアです。Since 1996

オランプ・ド・グージュのエプロン

中島さおり2015.05.29

Loading...

ちょっと前の話で恐縮だが、2月の末、パリの国会議事堂みやげに、オランプ・ド・グージュの「女性人権宣言」をプリントしたエプロンが売り出されたが、人々の顰蹙を買って、あっという間に消えてしまったという事件があった。
 パリは世界一の観光都市だ。美術館・博物館のショップの充実ぶりは生半でない。最近、パリのピナコテークで開催していたクリムト展に行ったら、クリムトは食器会社のために絵を描いたのかと見まごうほど充実した食器のコレクションが置いてあったし、オランジュリー美術館に行けば、モネの「睡蓮」がスカーフにも鉛筆にもマウスパッドにも化けて、お持ち帰りできるようになっている。
 美術館ではないが、国民議会議事堂(フランスの下院。上院の議事堂は別にある)も負けてはいない。三色旗マグカップや、雄鶏刺繍のよだれかけやマリアンヌ像の文鎮など、フランスのシンボル・グッズは、ショップのみならず、ネット販売でも簡単に手に入る。かの有名な、「フランス人権宣言」を刷り込んだポスターだって、もちろんポチっと一押しで買えるのだ。
 ちなみに「人権宣言」はただただ歴史の教科書の挿絵であるわけではなく、フランスの根幹を支える憲法である。憲法改正論議で「海外では憲法はしょっちゅう改正されている」というのを聞くことがあるが、人権宣言に手を加えようとすることは絶対にない。変えているのは「共和国憲法」の方だけだ。日本の改憲論議で私が一番、スキャンダラスだと思うのは、現自民党の改憲草案が、日本国憲法がどういうものであるかを定めた第10章で、基本的人権に言及した97条を丸ごと削除していることだ。これは、日本国憲法における基本的人権が、フランス人権宣言を含む「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」であることを明記し、「現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利」であることを確認した条項だ。つまり、日本国憲法のルーツが人権思想にあることを記した、憲法の魂にあたるもので、これを殺したら憲法が死んでしまうというような部分である。憲法を変えてはならないとは言わないが、憲法そのものを否定するような「改正」を思いつくような人たちに憲法を変えさるようなことは、絶対に許してはならないと思う。
 話が脱線した。国民議会のネット・ショップの話だった。
 「人権宣言」だけでは不平等、という理由だったかどうかは知らないが、「女性人権宣言」もネット・ショップに登場した。美貌の女権活動家、オランプ・ド・グージュは、ご存知の通り、フランス革命当時に「人間と市民の権利宣言」(「人権宣言」の正式名称)の「人間」には「女」が含まれていないことをいち早く見抜き、「女性と女性市民の権利宣言」を書いて世に問うた、元祖フェミニストである。
 この宣言は、主に「人権宣言」の各条項の主体を「人」から「男性と女性」に、「市民」を「女性市民」または「男性市民と女性市民」に書き換えることで、女性に「市民」としての権利を保障しようとした。第一条に「女性は自由なものとして生まれ、かつ、権利において男性と平等なものとして生存する」と定めているのは、今日の眼から見ると当然に見えるけれど、当時の革命家たちの意識はこれにはほど遠かった。「女権宣言」は、国民議会に検討を求めて提出されたが、実を結ばず、革命の後にやって来たナポレオン民法によって、フランスの女性は完全に家父長制に従属させられてしまう。フランスで婦人参政権が認められたのは、それから百数十年後、日本と同じ1945年だ。
 そんなわけで、オランプ・ド・グージュは、その時代には反革命容疑で処刑されてしまった不運な女性だが、今日では革命のなかにあったフェミニズムの萌芽として、英雄視されている。
 「女権宣言」が国会グッズ・コレクションに入ったのは良かったが、プリントされたのがエプロンという、女性が長らく閉じ込められて来た領域、「料理・家事」に強く結びつく対象だったことが良くなかった。「不適切」というブーイングが捲き起こり、たちまちのうちにカタログから削除されてしまったのだ。
 モネの睡蓮だって、鉛筆やマウスパッドと何か関係があるわけではないのだから、「女性人権宣言」がエプロンに刷り込まれたのも、格別理由はなかっただろう。最近、憲法9条をプリントしたTシャツというのをネットで注文した私としては、男女仲良く「女性の権利」をプリントしたエプロンをつけて台所仕事をするのであれば、問題ないような気がするので少々残念だ。「人権宣言」がエプロンになっていたなら、ひょっとして「女権宣言」のエプロンも、あわてて引っ込めることはなかったかもしれない。
 けれど、フェミニズムとエプロンがどうもミスマッチだというのも理解できないことではない。
「エプロン姿の似合う女性が好き」とか、逆に「エプロンをする女は許せない」とか、エプロンには「性的役割分業」という余計な意味合いがありすぎる。そんな意味からエプロンを解放して、「作業中に服を汚さないための便利グッズ」に戻してやれる日は、まだ遠いのだろうか、とふと思った。

Loading...

中島さおり(なかじま・さおり)

エッセイスト・翻訳家
パリ第三大学比較文学科博士準備課程修了
パリ近郊在住 フランス人の夫と子ども二人
著書 『パリの女は産んでいる』(ポプラ社)『パリママの24時間』(集英社)『なぜフランスでは子どもが増えるのか』(講談社現代新書)
訳書 『ナタリー』ダヴィド・フェンキノス(早川書房)、『郊外少年マリク』マブルーク・ラシュディ(集英社)『私の欲しいものリスト』グレゴワール・ドラクール(早川書房)など
最近の趣味 ピアノ(子どものころ習ったピアノを三年前に再開。私立のコンセルヴァトワールで真面目にレッスンを受けている。)
PHOTO:Manabu Matsunaga

RANKING人気記事

Follow me!

  • Twitter
  • Facebook
  • instagram

TOP