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「その気(け)と人権」

茶屋ひろし2010.03.11

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前回のコラムで「さらだ」というサークルの紹介をしたところ、そのあとに続く名称が間違っているとサークルの方から指摘を受けました。正しくは「さらだ~セクシュアルマイノリティと人権を考える会」でした。お詫びして訂正いたします。
その会誌を横に見ながら書いたはずなのに、私は「セクシュアリティと人権」と書いていました。「性的少数者と人権」ではなくて、「性的指向と人権」になっていました。
昔、地元の友達にカミングアウトをしたとき、「俺はそういうのは個性やと思っているから」と言われて、「なんか違う」とその理解に反発したことがありました。
けれど、ゲイは個性、と改めて唱えてみると、間違っていない気もします。
このコラムを書き始めた頃は、「同性愛者」という言葉に違和感を覚えていました。それは例えば、人から「あなたは同性愛者ですか」と尋ねられて、「そういうところもありますが、いやそれだけではないような・・」と曖昧さを醸しだしたい気分になるということです。
ゲイという言葉は、「陽気な」という意味から来ていると言います。「ノンケ」という異性愛者のことを現す俗語も、「その気(け)がない、ホモっ気がない」から来ていると聞きます。どちらも「気」を現しています。けれどそれが「人」も現すことになっています。
ホモセクシュアルという言葉も、同性愛という意味と、同性愛者という意味で使われることがあります。
さらに前回の砂川秀樹さんの話では、最後に「同性愛って(一口)にくくれない」という図解でしめくくられていました。それはアメリカで行なわれた男性に対する調査で、男性同性愛的な欲望があることと、男性同性愛的な行動があることと、ゲイとしてのアイデンティティがあるということを、同時に別々に問うと、すべてが重なる人は全体の24%だった、という結果を見ながらの話でした。他に、「欲望」があるだけの人が44%、とか。
「セクシュアリティ」という言葉を訳すときに、リブの視点からだと話を人権に持っていかないといけなくなるので、代替のきかないものとしての「性的指向」になりますが、「その気(け)」の視点からだと、「性的嗜好」もあるな、という気がします。
二丁目にやってくる様々なゲイの人と接していると、この人は「嗜好」だな、と思うことは珍しくありません。いっとき、ビデオ屋で元力士だという人にナンパされていた時期がありましたが、この人がそんな感じでした。その巨体と痩せてたるんだ皮膚感と潰れた耳と毎回くれる国技館のグッズで、彼を元力士だと信じました。
「各界でもけっこうコッチのやつはいるよ」なんて、聞いてないのにヒソヒソと言います。「やー、バレたら干されるよ」なんて、質問していないのに慌てます。
話を聞いていると、この人はゲイというより、「男遊び」が好きな人、という印象を受けました。
前にも、「リブの連中が嫌いだった」というゲイの人に会ったことがあります。彼はやたらと江戸時代の「男色」や「衆道」の話を好んでいました。
オカマの語源となった「陰間茶屋」は今のウリ専のようなところだったのか、と想像しますが、江戸時代の話はどれも、オッサンが若い男性を好む、という意味の同性愛行為を指しているように思います。この文化を現代にアレンジして引き継いでいるのがジャニー喜多川さんじゃないかと推測します。
角界の真偽はよくわかりませんが、梨園の世界ではありそうです。
カミングアウトをした私への父の理解の仕方も、もしかしたらこの流れに近いのかもしれない、と思います。今は「男遊び」が好きでフラフラしているけど、いずれ時がくれば結婚して落ち着くだろう、といった感じでしょうか。同性愛行為はあくまで「いっときの遊び」です。そうじゃないかも、と言うと「じゃあ、女になるのか」と来るわけです。
テレビで華やかな「オネエMANS」は女形の文化を引き継いでいるから受け入れられているところが大きいのかしら、と思います。美輪さまから始まり、美川憲一、ピーター、おすぎとピーコへと受け継がれてきた芸能の役割は、なにかしらの「美」を伝えることなのか、なんて思います。今のオネエ系タレントの職業もメイクや華道や、あるいはニューハーフになっています。
日本で受け入れられやすい同性愛的な欲望や行為は、嗜好や芸能として解釈されていて、アメリカからやってきたゲイリブの主張と異なります。
ゲイリブが嫌いな彼や元力士は、自分の欲望に関して日本的な受容のされ方を望んでいるのかもしれません。
そうすると、前回書いた「べつに」カミングアウトしなくても生きてこられたクールなゲイ男子もこっちに近いのかもしれません。
まあ、それも日常か、なんて思います。
ただ、日本的な文化への回帰だけだと、同性愛的な欲望や行為は、期間や相手が限定されていたり、芸能人のイメージに近くならなければいけなかったりと、少し窮屈に思います。
個人の選択としてのそれを否定するわけではありませんが、同性愛的欲望はあって受容されている、という土壌(認識)があるのなら、そこにそれ以外の種を蒔いても育つかもしれません。その種がゲイリブのいう「人権」というものだったかと思います。
「女性の方々にも、女として生きているときがあったり、特に女を意識せずに生きているときがあったりすると思います。同じように、ゲイであるワタクシもゲイとして生きているときがあったり、特にセクシュアリティを意識せずに生きているときがあったりします。」(「じりラブ」 うたぐわ 集英社 2010)
カミングアウトするときに伴う困惑に、いつでもゲイ、どんなこともゲイ視点で見ていると思われないか、さっきのはそうだけどこれはゲイだからそうしたわけではないんだけど・・、ということもあります。
ゲイの人権運動、ってなんだろう、と思います。
ゲイ(陽気)やホモっ気の「気」を持つことが一般的ではないもの(いっときの遊びや芸能の世界、あとは「この変態!」とか・・)に回収されて終わらないように、一般化していくことかもしれません。

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茶屋ひろし

茶屋ひろし(ちゃや・ひろし)

書店員
75年、大阪生まれ。 京都の私大生をしていたころに、あたし小説書くんだわ、と思い立ち書き続けるがその生活は鳴かず飛ばず。 環境を変えなきゃ、と水商売の世界に飛び込んだら思いのほか楽しくて酒びたりの生活を送ってしまう。このままじゃスナックのママになってしまう、と上京を決意。 とりあえず何か書きたい、と思っているところで、こちらに書かせていただく機会をいただきました。 新宿二丁目で働いていて思うことを、「性」に関わりながら徒然に書いていた本コラムは、2012年から大阪の書店にうつりますますパワーアップして継続中!

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