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「怒り」を絢爛たる色に染め上げる『大奥』、よしながふみの手腕

高山真2014.09.15

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 「名作」と呼ばれるのは、どんな作品なのか。その定義、基準は人それぞれでしょうが、あたくしにとっては、こんな感じです。

「物語そのもののクオリティはもちろんだけれど、それ以上に『どう読んで、どう解釈しても自由である』と、読者に思わせてくれる懐の深さを持っていること」

 たとえば小説でいえば、あたくしは硬質な文体が好きなようで、三島由紀夫などはそのテーマよりも文体とか比喩の見事さで好きだったりします。ありがた迷惑なほど濃密な描写は、たぶん三島本人も好きであろう、多彩なカットを施したクリスタルのグラスのようで、「意味」以上に「美」が前面に押し出されている感じでね。

 で、三島の小説は、まあ本当にいろいろな解釈をされているわけで、『仮面の告白』が世に出た当時、なんと「同性愛小説ではない」と主張する文芸評論家もけっこうな人数にのぼったとのこと。思わず鼻で笑ってしまうけれど、そういう言説さえ「アリ」とするような「許容レベル」が、名作と呼ばれる理由のひとつなのでしょう。読者からの、さまざまな角度からの評価、解釈に対する受け身っぷりが際立ってる。ゲイっぽいというか、なんかBL用語みたいになってしまうけれど、「ウケの多彩さ、激しさ」に関して他の追随を許さないわけね。

 ちなみに、「硬質な文体が好き」なあたくしなので、村上春樹の「文体」は肌に合いません。うねうねと増殖するシダ植物のような文体は、読んでいるうちに悪いほうのため息が出てしまうの。

 ただ、先ほどの「どう読んで、どう解釈しても自由である」という部分に照らし合わせると、村上春樹の作品も、極めて幅広い解釈をされているわけね。今回のお題には沿っていないので詳しくは書かないけれど、村上作品に関して、あたくしにもあたくしなりの解釈はあります。その「ウケの多彩さ、激しさ」1点のみで、あたくしは村上作品を「好きではないけれど、名作」と思っているわけです。

 さて、あたくしはマンガもかなり読みますが、いまお話しした「ウケの多彩さ、激しさ」を持ち、あたくしも大好きな作品のひとつが、よしながふみの『大奥』です。つい最近、最新刊の11巻が発売されました。一般的にも有名な作品だし、ラブピースクラブのユーザーである方々であれば、たぶん「読んでいる」という人のほうが大多数を占めるでしょうから、どのようにあらすじを要約していいものか、逆に迷うのですが……。「若い男子だけがかかる謎の疫病が大流行し、男子が激減した江戸の世では、将軍から何から女が務め、男は『子を成す存在』になった(要するに『子種を放つ機械』)。そんな世の江戸城には、将軍の世話をするため、男たちだけで構成された『大奥』が存在した」というファンタジーと、実際の史実を、可能な限り両立させて描こうとしている一大野心作、という感じ。

『大奥』のことは、第1巻が発売されたとき、このラブピースクラブのエッセイで書いたことがあります。そのときからパソコンを何度か買い替えているせいで、もう原稿は残っていないけれど、明治大学教授で作家活動やテレビ出演もしている齋藤孝が、AERAで「今後、男は精子だけを求められる時代になるのかなあ」という感想を書いていたことを取り上げたはずです。「能天気」のなんたるかをここまでクリアに知らしめるサンプルもないだろう、って感じだったから。

「読み方や解釈? そんなものはどうぞお好きに」という、この作品のウケの見事さに齋藤孝だけでなくあたくしも甘えさせていただき、「いや、よしながは『女は昔から、今に至るまで、卵子しか求められてこなかったんですけどね』という厳然たる事実を、男女を逆転させることではっきり描いているんでしょ?」と書いた覚えがあるわ。

 豪華絢爛な一大絵巻の中に、こうした、作者が「女」であるゆえに感じさせられた怒りや哀しみ、そして、現代に生きる日本人の「いまの問題」を織り込んでみせる。よしながのその手腕にあたくしは惚れているのです。

 例えば、6巻で、将軍綱吉(もちろん女)が、父親(しかし、役割的には「母」に近い)の老いさらばえた姿を見て、「母上である家光公との思い出はない。私が麻疹にかかったとき、夜通し看病をしてくれたのは父上だった……」と思い出を語ったのち、「あわれな女であろう。一国の将軍でありながら、もうろくした父親の期限を損ねる事が何よりも恐ろしい」(句読点のみ、こちらで追加)と、「母(なる存在)を切ることができない娘」の葛藤が綴られる。
 あるいは8巻で、「女だけの料理人の世界で頭角を現した男が、首切りの憂き目にあう」というシーン。著作権の問題があるので、どこまで引用していいものかどうか迷うけれど、まあ、こういうことが書かれている。

「お前はがんばりすぎたのさ。どうがんばっても、男は板長だけにはなれない。料理人の中に男がいるってだけなら物珍しさでなんとかなる。でも、板長が男となるとそうはいかないよ。『男の板長がいる店でなんか食べたくない』って、お客様の足が遠のくからね」

 言うまでもなく、これは現代の日本で仕事をする女たちが必ずぶつかる「ガラスの天井」のことを言っているのだ、とあたくしは解釈しています。

 で、最新刊の11巻。まだ世に出て間もない作品の引用をすることが、さすがにはばかられるので……。「女と政治」に関する、よしながふみの激烈な怒りが表明されています。こればかりは読んで確かめていただきたいと切に願います。

 物語は、すでに「男女逆転」から一歩進んで、「男が(お飾りとはいえ)将軍につき、大奥は女の世界」になりました。今後、よしながが、いまの女たちが抱える痛みや哀しみをどうのように掬い上げながら、どのようにこの作品に幕を引くのか。あたくしは楽しみでならないわ。今後もあたくしはこの作品を、自分勝手に、それこそイケるオトコの衣を1枚1枚はぎ取っていく権力者にでもなったようなつもりで解釈し、わかったような気になって楽しんでいくと思います。実際にはぎ取っているのは真実の衣などではなく、「見せパン」ならぬ「見せ衣」に過ぎないかもしれないけれどね。そんなこちらの姿を醒めた目で見つめながら、「攻め」の行為を余裕たっぷりで受け入れる魔性のウケオトコが、『大奥』。1巻ではけっこうな頻度で出ていたBL的要素は、いまはすっかり影を潜めておりますが、この構造そのものが「BL」という感じだわ。うふふ。

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