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「サベツの壁」

茶屋ひろし2015.04.14

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渋谷区の同性パートナー条例が可決したというニュースは、レインボーの旗を数人で持っている写真をツイッターで見て知りました。あ、知っている人がいる、とその中の一人をしばし見つめました。
新宿二丁目のバーで時々すれ違っていました。ワインばかり飲んでいつも酔っ払っているというイメージだったので(人のことを言えませんが)、へー、と失礼な感心をしてしまいました。
職場で新聞を眺めていたら、赤旗を始め、読売、毎日・・と各紙に同じ写真が使われていて、ますます、へー、とその人の顔を見てしまいました。こうして、公の場に出てくるイメージもなかったからです。
私が知らなかっただけで、ずっと人権活動をされていたのかもしれません。


今年に入ってからは他にも、初めて国会でLGBTに言及した質問がされたということもありました。共産党員の男の子から、その池内さおり議員と勉強会をしたことや、これまで党に地道に働きかけてきた話を聞きました。


そういう仕事を、内田樹さんが「雪かき」と表現していたように思います。雪を除けてもまた積もるかもしれないけれど、それをする人がいないと道ができない、というような意味だったと思います。
こういう「確かなもの」が現れるときは、花火が打ちあがるような派手な喜びではなくて、その背後にある星の光に気づいたような嬉しさがあります。


さて、去年の夏から隔月で通っていた、御茶ノ水の店長研修が、この二月で終わりました。


講義の中では、自己啓発のゲームみたいなこともしました。二人一組になって、相手がいうことに、とりあえず「それはいいですね!」といってください、とかそういうやつです。
自分のレシピをつくってください、というのもありました。自分が何でできているのか発表するというのです。「私はサッカーと唐揚げでできています」とか。


白いA5半の紙を配られて、そこへ「自由な発想で」レシピを書いてください、時間は10分です、そのあと発表してください、ということでした。
ゲイしかないか、と思いました。自覚していなかった10代と、女装気味だった20代、二丁目でいろいろと済んでしまった30代を、なんとなく円グラフにしてみました。それらが同じ分量で残っています。今のことはわかりません。
研修にいくたびに毎晩行われる飲み会で、カミングアウトをすませていましたが、知らない人もいたようで、あらためて全員の前での発表となりました。


好意的な反応を示してくれる人がほとんどで、中には二丁目に飲みに行きたいという人たちもでてきて、二月の最終日に、一緒に行く約束もしました。
いい人たち、というか、大人ばかりでよかったわーと、すっかり安心してワンノブゲイで過ごしていました。


最終日は講義のネタも尽きたのか、一日かけて四人の話を聞くだけの日でした。ホテルの会場で他の団体さんらと一緒に、鎌田實さんや出口治明さんらの話を一時間ずつ聴くのです。
四人目に登壇したカメラ屋の社長は、声の大きな男性でした。北関東で十数店舗を展開しているチェーン店の二代目か三代目で、ビックカメラやヨドバシに負けずシェアを保っている戦略を話す、ということでした。


話し始めて15分あたりで、フィルムからデジタルに切り替わったころの話になり、富士フィルムが化粧品を開発したといって営業に来たとき、「オレはホモやオカマじゃないんだから」といって断ったと発言されました。
聴いていた私は体がびくっとなりました。それは笑いをとろうとしていて、実際会場からは、笑い声が起きました。
50代だと言う社長は丈の短いジーンズを穿いていて、声もでかいけどチンコもでかそうだな、とぼんやり股間を見ていた隙を衝かれました。


そのあと怒りモードに入ってしまい、話なんて耳に入らなくなってしまいました。どうしたらいいんだろう、と目の前のコップと水を見ながら悩みました。席を立ってしまおうか、と思いました。私は一番前に座っています。
この水をひっかけてやればいいのかしら、それともすぐに抗議の声を挙げたらよかったのか、と勇ましいことも思い浮かびましたが、そんな慣れてないことをしても手や声がひっくり返るだけです。
今度同じようなことを言ったら、席を立とうと思いました。


それにしてもなかなか彼の話を聴く体勢に戻れませんでした。フェイスブックを使って客同士をつなげる、というアイデアがようやく耳に入ってきたころ、ご自分でもおっしゃっていましたが、各地で同じような話をされているようで、その話し方はよどみなく勢いもあって慣れている様子で、だからなおさら、さらっとそういうことをいわれたことが残念というか、やっかいだわ、と思いました。


配られたアンケート用紙が目の前にありました。項目が四人の講師に分かれています。これに気持ちを書いて帰ろうと思いました。彼の話が終わり、周囲が席を立ち始めても、私は紙に向かっていました。書くところが少ししかなくて悩みます。
「フジフィルムの化粧品のくだりで、『ホモやオカマじゃないんだから』といった差別発言が出たことが残念でした。私はゲイなので、そのあとムカついて話を聴けなくなって困りました」
と書きました。私の社名と実名入りです。


途中でポイっと捨てられないで本人の元へ届くといいけど・・と思いながら、セミナーのメンバーと隣の会場へ、書店組合か何かの立食パーティーに向かいました。心は晴れないままです。ふと、この話をこの中の誰にもできない、と尻込みしてしまいました。
カミングアウトして受け入れられたと思っていましたが、あそこで笑い声が起きたのです。誰が笑って誰が笑わなかったか、なんてわかりません。ただなんとなく、みんなの目を見ることができなくなりました。


その夜は何人かと二丁目へ飲みに行く予定でした。実はその前日にも何人か連れて行きました。20代の男子たちは他のお客さんに服を脱がされかけ、一人は辟易して、もう一人は楽しんでいました。
けっきょくその日も男子二人を案内して、三軒目にいつものゲイバーに落ち着き、私が酔っ払ったので、二人を先に帰したあと、ようやくマスターにカメラ屋の話ができました。
「最後まで彼の話を聴いて、アンケートに書いたんだから、それでいいのよ」といってもらって救われました。


翌日、前述の共産党の男の子に会って、誰にもいえなかった話をしたら、「そこまで深い理解はされてなかったからじゃない?」といわれ、そ、そうね、と驚きました。

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茶屋ひろし(ちゃや・ひろし)

書店員
75年、大阪生まれ。 京都の私大生をしていたころに、あたし小説書くんだわ、と思い立ち書き続けるがその生活は鳴かず飛ばず。 環境を変えなきゃ、と水商売の世界に飛び込んだら思いのほか楽しくて酒びたりの生活を送ってしまう。このままじゃスナックのママになってしまう、と上京を決意。 とりあえず何か書きたい、と思っているところで、こちらに書かせていただく機会をいただきました。 新宿二丁目で働いていて思うことを、「性」に関わりながら徒然に書いていた本コラムは、2012年から大阪の書店にうつりますますパワーアップして継続中!

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