ラブピースクラブはフェミニストが運営する日本初のラブグッズストアです。Since 1996

banner_2212biird

No Women No Music 第17夜 生き続けるカンボジアン・ロック~デング・フィーバー

ほんま えつ2015.06.08

Loading...

私はアメリカに住んでいる 小さいころから
とうさんとかあさんの苦労を見て
つらかった
とおさんとかあさんはカンボジアから逃げた
殺されないために
二人にとっては
カンボジアは苦しみで一杯だった場所
クメール・ルージュのことを考えると
私たち泣いた
〈略〉
クメール・ルージュが私たちに悪名をくれたとしても
まるで気にしない みんな同じだから
どこへ行こうと
私には誇りがある 心の中に
それは クメールの誇り
永遠に知られている

カンボジア移民の両親のもとで、アメリカで生まれカリフォルニア州ロングビーチで育ったプラッグ・ソシアリーPrak Sothearyの「クメールの誇り」Khmer Prideという詩だ。

約5万人ものカンボジア系住民が住むロングビーチのカンボジア・タウン、デング・フィーバーDengue Feverの女性ヴォーカリスト、チョム・ニモルChhom Nimolもこのロングビーチで歌っていた。カンボジア西部バタンバン(ポル・ポト派の活動拠点)で生まれ、2歳から11歳頃までタイの難民キャンプで育ち、2000年アメリカへ移住。男性メンバー5人とチョム・ニモルからなるカリフォルニアのガレージ・サイケロックバンド、デング・フィーバーの中心的人物ザック・ホルツマンとイーサン・ホルツマン兄弟は60~70年代のカンボジア音楽の衝撃を受け、当時のカンボジアン・ロック&ポップスをクメール語で歌えるヴォーカリストを探しロングビーチのクラブで歌っていたチョム・ニモルを発見したという。

デング・フィーバーのサウンドはカリフォルニアのインディ系ガレージサイケロックなのだけれど、インディガレージにありがちな内向きなマニアックさなどなく、西海岸のビーチを想わせる心地よさの中に、クメール語で時にはこぶしをまわしながらうたうチョムのカンボジア歌謡が見事にマッチし、なつかしくて新しいミクスチャーな味わい。しかしホルツマン兄弟はカンボジア歌謡をただ単に興味本位な面白さで取り入れたのではない。ほんとうに彼らは60~70年代のカンボジア音楽の黄金期に圧倒され敬愛していることが、クメール語で歌われるチョムの歌声の懐の深さから伺われる。

1953年フランスから独立したカンボジアは政情も安定し始め、多様な音楽文化も広がり、60年代後半にはベトナム戦争の最中、南ベトナムに駐留するアメリカ軍向けのラジオからリズム&ブルースやロックンロールが流れ込みカンボジアン・ロックなるものが生み出された。なかでも絶大な人気を得ていたのがロ・セレイソティアRos Sereysotheaという女性歌手だった。当時のノロドム・シアヌーク国王から“王都の黄金の歌声”とまで称えられたセレイソティアの歌はいま聴いてもびっくりするくらい斬新でノリノリのポップ・ロックサウンドなのだ!

そんな豊かなカンボジア音楽の黄金期は1975年からのポル・ポト政権下の民衆虐殺により終焉となった。この3年と数か月のうちに800万足らずの国民のうち200万もの人々が酷い拷問を受け殺された。あらゆる大衆文化は退廃の象徴である資本主義的行為とされ、多くの知識人、文化人も処刑された。ロ・セレイソティア、そして彼女の競演歌手として有名だった男性歌手シン・シサモットも現在までその詳細は伝えられていないが、この粛清の犠牲になったといわれている。聞いてはいけない音楽とされた彼らのレコードは割られ、

一掃された。その貴重な音源は粛清を逃れた数少ない人々が外国に持出し、または命がけでカセットテープを隠し持っていたものしか現存しないという。その貴重な音源が80年代以降、音楽ファンたちの手で掘り起こされているのだ。

デング・フィーバーはこの途絶えてしまったカンボジア音楽に新たな息吹を吹き込み甦らせた。2009年につくられた彼らのドキュメンタリー映像“SLEEPWAKING THROUGH THE MEKONG”はデング・フィーバーのカンボジア凱旋公演を追ったものだが、広場で行われた野外コンサートではいったいなにが始まるのかと集まったお年寄り、おじさん、おばさん、若者、子供たちを前に、かつてセレイソティアが歌ったカンボジア歌謡を、地元の学校の子供たち、先生らと一緒に歌い、バックではクメールの伝統舞踊アプサラの踊りを盛り込んだような振付で踊り歌う祝宴のようだった。そのDVDとセットになっていたオリジナルサウンドトラックのCDにはロ・セレイソティアとシン・シサモットのオリジナル音源も入っているのだが、見事にデング・フィーバーの音とコラボレーションされている。

今年に入って“The Deepest Lake”とういタイトルのニューアルバムもリリースされた。更に洗練されスケールアップし、カンボジア料理にバドワイザーでお腹いっぱい満足したような充実感。

ロサンゼルスで生まれたデング・フィーバーは、ポル・ポトが根絶やしにしようとしたカンボジアの大衆音楽を再び民衆のもとに届け、カンボジアン・ロックの更なる新しさを追究しようとしている。

当時の戦禍を生き延びてきたチョム・ニモルからは、プラッグ・ソシアリーが綴る「クメールの誇り」が共鳴する。“純粋な国家”という理想を掲げたイデオロギーは、人を幸せにする豊かな文化を根絶やしにすることはできない。
※「クメールの誇り」Pソシアリー『現代世界アジア詩集』(土曜美術社)より
☆website
http://denguefevermusic.com
http://denguefevermusic.com/video.php

Loading...
ほんま えつ

ほんま えつ(ほんま・えつ)

音楽、映画、本をこよなく愛して生きる趣味人女。
小学5年生のとき同級生の友達宅で聴かせてもらった「クィーン」に感動。
以後、洋楽を貪り始める。初めて買ったLPレコードは「アバ」のベスト盤。
いまではこれぞと思った音楽はジャンルを超えてなんでもござれの雑食派。
本連載、約10年ぶりのカムバックです。

RANKING人気コラム

  • OLIVE
  • LOVE PIECE CLUB WOMENʼS SEX TOY STORE
  • femistation
  • bababoshi

Follow me!

  • Twitter
  • Facebook
  • instagram

TOPへ