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4月15日の夕方、部屋から出てきた娘が、「ノートルダムが燃えている」と携帯電話を差し出した。目の前に赤く屋根が燃えている映像を突きつけられても、私は信じられなかった。いまどきフェイク映像などいくらでも作れる。「誰がこんなものフェイクで作るんだよ」と娘に一蹴されて、ようやく現実だと理解した。私は滅多につけないテレビをつけて、24時間ニュースの映像の前に座った。

すでに屋根はメラメラと火が広がり、尖塔の内側が真っ赤になっていた。それは初めて見る内側から照らされたノートルダムの尖塔で、不謹慎ながら美しかった。ニュースは同じことを繰り返していた。原因は「暫定的」に修復中の工事現場から火が出た模様、アメリカのトランプ大統領からのメッセージ。予定されていたマクロン大統領の談話は中止になった……。

「そんなの見てたって、さっきとおんなじだよ」と親を馬鹿にしたい年頃の息子が言った。映像もまた同じものを繰り返していて、現状がどこまで進んでいるのかわからなかった。私は尖塔が燃えてなくなってしまうのだろうかと気が気でなかった。Facebookでその心配を発すると、一人の友人が「今にも落ちそうです」と教えてくれた。「石でできているのだから、なくなることはないだろう、真っ黒にはなるだろうけれど」と息子が言ったが、現場を見ていた友人から「いま、塔が落ちました」コメントが入ったのはその直後だった。

私は呆然としたが、まだ事の重大さを理解してはいなかった。火はまだ一向に収まる気配を見せなかったし、消失してしまうかもしれないのは尖塔だけではなかったのだ。いつまでテレビにかじりついていたか。もう夜も更けたころ、「消化に向かっている。構造は救われた、正面も大丈夫」とのニュースを聞いて就寝した。「明日からは、ノートルダムの尖塔のない世界を生きるのだ」と思いながら。

私の喪失感は、他の多くの人が感じたものと同じだろう。私が生まれる何世紀も前からあり、私が死んだ後もあり続けると信じていた確固としたものが、目の前で消滅するのに立ち会った衝撃。あまりにも当たり前であるために意識することがなく、なくなって初めて知る愛着。

ずっと教会にも行かず、キリストのことも考えず、信仰などおざなりにしていたことが、私の中でチクリと痛んだ。私は幼児洗礼を受けたカトリック教徒なのだ。そんな個人的なことを書くのは、多くのフランス人たちがこのような思いを共有しているに違いないと思うからだ。

自分の意志で後から入信した人が多い日本のキリスト教徒にくらべて、フランスのカトリック教徒はキリスト教に対してあまり真面目でない。クリスマスと復活祭くらいは教会に行き、ご馳走を食べるけれどただそれだけという人も多い。フランス第1位の宗教と言っても、ちゃんと宗教実践している人の数で言ったら、2位のイスラム教に負けるのではないか。聖週間の初日に、ノートルダムに火の手が上がるのを見た不真面目なカトリック教徒たちは、ノートルダムが焼身自殺をして訴えているように感じたのではなかろうか。いや、自分たちの無信仰が教会を滅ぼすように見えたのではないだろうか。

ノートルダムを惜しむ気持ちは、私のカトリックの部分だけが反応したのではなかった。痛手を負ったのは、人生の半分近くをパリで過ごし、当然そこにあるものとして暮らしていた私だった。フランス人も外国人も、パリに住む人々のほとんどが、カトリックであるなしを問わず、同じ喪失感を味わったに違いない。その悲哀の中で感じた連帯の気持ちは、東日本大震災で東北が津波に襲われた時のものに似ていて、誰も人間が亡くなっていないのに比較するのは不謹慎とは思いつつ、自分の中に「日本人」というアイデンティティとは別に「パリ人」というアイデンティティが育っていたのかと気づく思いだった。

再建しよう、私たちのノートルダムを再建するのに私も貢献するのだ、と強く思って眠りについた。きっとあの夜は、フランス中の人の気持ちがひとつだったのではないかと思う。

翌朝、起きるとピノー財団が1億ユーロ、LVMHが2億ユーロの寄付を表明していた。お金持ちがたくさんお金を出してくれるのは当然だし、良いことだと思った。
しかしそれからL’Orealが2億、Totalが1億と続き、あっと言う間に大企業からの寄付ですでに8億ユーロ以上が集まっていた。

人々はざわつき始めた。「巨額の寄付には打算がある、寄付をすると所得税が60%まで免除になるから」「多くの慈善団体が資金に困っているのに、そっちにはなしでノートルダムか」「新しいノートルダムは、大企業のロゴでいっぱいになるだろうよ」
ただ税金逃れのためにやっているとは思わないけれども、こうした巨額の民間企業の寄付の前には、私などの雀の涙ほどの寄付はなきに等しいだろうとは思った。それでも私は寺院修復のために瓦を寄進したりするのは好きなので、寄付をやめようとは思わないが、「私のノートルダム」への気持ちは少し冷めてしまった。

マクロン大統領は、「5年で新しいノートルダムを」と言い出し、フィリップ首相は、国際コンクールをして新しい尖塔の案を募集すると言った。私たちの関心は、ノートルダムはどう「再建」されるのかに移った。「もとのままに修復する」か、「新しいデザインのものを作る」か。

初めはびっくりした。元の形に戻す以外の選択肢があると思わなかったから。しかし、マクロン大統領は、今の時代に合った、新しい建築になることを排除していない。あの美しい尖塔以外の何かが建つなんて許せないことだと思った。確かに屋根に使われた木や、積まれた石灰岩は、同じものを調達するのは難しいかもしれない。同じ方法で再建するのも大変な時間や人手がいるだろう。第一、技術があるのか。そうなると材質や技術は、今日のものにならざるを得ないのだろうけれど、デザインは元あったものを踏襲するのではないか。そういう修復技術なら、すでに持っているはずだ。

しかし同じ屋根、同じ尖塔を作るのではなく、21世紀に相応しい、今日的なデザインで、我々の時代のノートルダムを作るべきだという意見も目についた。SNSにはすでに複数の建築家からアイディアや提案が流れている。ルーヴル美術館のピラミッドのようにガラスでできた尖塔や、植物を植えた遊歩道になった屋根。それが発表されると、塔は元のものを再現せよという署名がネット上に現れた。
私たちは皆、ノートルダムに愛着しているのに、思い描くノートルダムの明日の姿はこんなにも様々だ。

振り返ってみれば、ノートルダムはいつでも、私たちの知っているあの姿をしていたわけではない。災害に遭っては修復され、形を変えて来た。私たちの愛着する尖塔にしても、ガタがきた鐘楼の代わりに19世紀に建てられたものなのだそうだ。であれば、今度は21世紀の尖塔を建てて悪い理由はない。全体との調和を満たしさえすれば。ルーヴルのピラミッドだって建った時はずいぶん酷評もされた。今では馴染んでそこにあるべきもののような顔をしてそこにあるし、第一、美しくはないか、あのピラミッドは。そういう声が聞こえて来る。

そう、そして今は、ノートルダムはカトリック教徒だけのものではなく、異教徒や、無宗教のパリ人たち、フランス人たち、そして世界中の人々のものでもある。再建されるノートルダムは、そういうノートルダム、私たちの時代を反映したものであるべきかもしれない。私は、変わっていくノートルダムの姿を受け入れるべきかもしれないと思い始めた。

しかしそれは、現実にどんな形になるのだろうか。「現代の反映」とは、寡占的大企業の繁栄、その国家に対する優越であったりするのか。信仰や慈悲の喪失であるのか。人間が人間であるより数字である時代なのか。そういうものを形に結晶させた建築が、ノートルダムになるのだろうか。それは美しいものなのだろうか。

天才的な建築家は、時代精神を現す形を産むことができるだろうけれど、それは以前にあった形を現代の技術で再現するよりも、ある意味、ずっと難しいことのように思われる。

いずれにしても、ノートルダムの再建はすぐには着手できないだろう。「5年で再建」なんて、マクロン大統領は見識に欠けていないか? お金にものを言わせてそんなに急いで再建したノートルダムは、碌なものにならないだろう。

今はまだ、損傷の程度の調査、いやそれ以前に、これ以上の損傷を防ぐための処置が必要な段階なのだ。火は止まっても、浸食した水の作用は続き、簡単には乾かないそうだし、屋根がなくなってしまえば、その下の壁を支えるものがなくなり、風やその他、外からの力に対する抵抗が弱くなる。ノートルダムをこれ以上の崩壊から守れるか、損傷したものを直せるか、そしてどのような形が作れるのか、あるいは作れないのか。大聖堂の建築は、時代の一大事業であり、芸術作品そのものなのだという、言い古された言葉を改めて反芻するのであった。

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中島さおり

中島さおり(なかじま・さおり)

エッセイスト・翻訳家
パリ第三大学比較文学科博士準備課程修了
パリ近郊在住 フランス人の夫と子ども二人
著書 『パリの女は産んでいる』(ポプラ社)『パリママの24時間』(集英社)『なぜフランスでは子どもが増えるのか』(講談社現代新書)
訳書 『ナタリー』ダヴィド・フェンキノス(早川書房)、『郊外少年マリク』マブルーク・ラシュディ(集英社)『私の欲しいものリスト』グレゴワール・ドラクール(早川書房)など
最近の趣味 ピアノ(子どものころ習ったピアノを三年前に再開。私立のコンセルヴァトワールで真面目にレッスンを受けている。)
PHOTO:Manabu Matsunaga

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