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AV出演強要被害や、リベンジポルノなどの被害を訴える女性たちを具体的に支援する、「ポルノ被害と性暴力を考える会」(以下PAPS)の理事になって、2年目になる。



2月21日、PAPS理事長の田口道子さんが亡くなられた。
一月前に入院され、あっという間のことで、正直、まだ実感がわかない。2年前に手術をされたことは知っていたが、詳しいことは教えていただかなかった。入院後初めて、近しい人から、重い膵臓のがんだったことを聞いた。


「田口道子」という名前をネットで検索しても、Wikipediaにその名前があるわけではない。
AV出演強要問題と絡めても、この方の名前が前に出てくることは殆どない。
それでも、日本のAV出演強要問題は、田口さんの存在がなければ、もっともっと遅れていたと言ってもいいはずだ。
この2年間、田口さんの凄まじい働き方を、そばでみてきた。
被害者がいないとされてきたAV業界の被害を見いだし、社会問題化してきた人。
生涯を女性福祉にかけ、多くの女性たちを助けてきた人。
徹底的に裏方として、困難に喘ぐ女性を具体的に助け続けてきた人。
2年前にPAPSをNPO法人化し、女性たちが尊厳を持って生きられる社会を目指し、文字通り走り回った人。
PAPSの最後の仕上げ、そのために人生の残り、この二年を全てかけて下さったのだと、田口さんの訃報を聞き、頬を叩かれたように気がつく。


そもそも、AV出演強要問題が社会問題になるきっかけをつくったのがPAPSだった。


その女性は、高校生の時に街でタレントにならないかとスカウトされ、肌の露出の高い作品に出てきた。
成人後、「契約だから」とAV出演を強いられ、その後精神的苦痛を訴えたところ、「あと9本残っている」「出ないなら1000万円払え」と言われた。その彼女が助けを求めたのがNPO法人化前のPAPSだった。
彼女の訴えを聞いた田口道子さん、宮本節子さん等がプロダクションに契約解除を訴えたところ、プロダクションがまさかの逆切れ訴訟をおこし、女性に対し2460万円を支払えと訴えたのだ。


結果は女性の勝訴だった。AVプロダクションが出演女性を訴える前代未聞のこの裁判はメディアで大きく報道され、「AV出演強要問題」は一気に社会に広まった。
きっとこれまでも同じような目にあう女性はいただろう。そしてその多くが、黙ること、諦めることで終わらせていたはずだ。そういった中でこの女性の諦めない力が現実を動かした。そしてこの女性が闘う道を選べたのは、田口さんをはじめとするPAPSの支援があったからだ。


裁判後、PAPSには連日のように「私も被害を受けた」と眠れない夜を過ごす女性たちの声が届きはじめた。その多くは、「私も悪いのかもしれないのだけど・・・」と何度も何度も逡巡したあげくに、ようやく届けられる被害だ。
日本の#MeTooはもう、ずいぶん前から、こんな風に始まっているのだと、PAPSに寄せられる声に触れるたびに思う。公にはなかなか聞かれなかった声、でももう、黙っていられない叫びだ。


PAPSの歴史は女性たちの闘いの歴史そのものなのだと、記しながら実感している。
そして女性の闘いの歴史などというものは、その多くは「社会的関心」を持たれることはさほどなく、書き残されることもなく、消えてしまうことが殆どだ。だからこそ、私はいつかPAPSをきちんと残さなければという思いでいたけれど、今、ここで少し残しておきたいと思う(早足になるけど)。


PAPSのはじまりは、90年代のバクシーシ山下に遡る。


バクシーシ山下というAV監督が、90年代初頭に「女犯」という「作品」を発表した。
恐怖に泣き叫ぶ女性に複数の男性が暴行し、ゲロを吐きかけ、トイレに顔を突っ込まされる・・・それが延々と流れる暴力「作品」だった。
当時の世間の反応は驚くほど「冷静」で、むしろ監督の才能を評価する声の方が大きかった。
発言力のあった宮台信司さん、また高橋源一郎さんも、その世界を限りなくリアルに近いファンタジー、または人間の闇を捉えたかのように評価していた。有名なフェミニストたちですら正面からの批判を避け、沈黙した。


そのバクシーシ山下が、理論社「よりみちパン!セ」で、14才に向けた性の本を記すことになったのが2007年だ。その時、真っ先に声をあげたのが、田口道子さんら、主に婦人保護施設のソーシャルワーカーだった。


婦人保護施設とは1956年の売春防止法をきかっけに全国の都道府県に作られた施設で、性売買の搾取や、性暴力、DV被害にあった女性たちが生活を立て直すための場として今も機能している。
田口道子さんは20代から婦人保護施設で働いていた。性産業に巻き込まれ、生活を破壊されていく女性を長い間、現場で支え続けてきた田口さんのような立ち場からすれば、青少年向けにバクシーシ山下が性について書くということは、これは、一出版社の表現の自由の問題ではなく、女性の人権そのものを問う闘いだったのだ。絶対に黙るわけにはいかない闘いだった。


結論を言えば、理論社は決して彼女たちに真摯に向き合うことはなく本は出版され、そしてバクシーシ山下は今も作品をつくり、また「女犯」はネットで今も買える状況になっている。出版社の対応は、「表現の自由」がわからない者を相手にしているかのように、木で鼻をくくったような冷酷な嘲笑だったという。
それでも、彼女たちは短い期間で1万名もの署名を集めた。署名協力には、婦人保護施設だけでなく、児童養護施設や、知的障害施設関係者も少なくなかったという。それは、児童や知的障害者の施設にもポルノや性搾取の被害者が少なからずいることを、現場のワーカーたちが共有していたからに他ならない。


PAPSは、この理論者への抗議と署名を集めたことをきっかけに2009年に立ち上がった。
とはいえ、当時のPAPSの課題は「被害者がいない」ことだった。
「被害があるのは分かっている。しかし、被害者が名乗り出ていない」のだ。
それは例えばバクシーシ山下の「女犯」の時も同じだった。
どんなに女性たちが批判を繰り広げても、「被害者はいない」とされた。当事者が声をあげなければ「被害はなかった」ことにされるのが、性暴力問題の現実であり、しかしとはいえ、当事者が最も声をあげにくいのが、性暴力そのものなのだ。


「その声」が初めて、PAPSに届いたのは2013年だった。
声の内容について、私は詳細は知らない。が、田口さん等は、それまでソーシャルワーカーとして培ってきた技術をもって結果を導くことができたという。そしてこの経験をもとに2014年、PAPSはHP上に「相談してください」とAV被害者に呼びかけはじめるのだ。
被害者に向けて「あなたは一人ではない」と支援者がまず声をあげ、「被害者の声を聞く」「そのために待っている」という姿勢を打ち出したのだ。その存在があったからこそ、語り始めた被害者がでてきた。
バクシーシ山下の地獄のようなAV「作品」から四半世紀年以上経た後に。
それは田口道子さんが、宮本節子さん等と共に拓き、明かにした性暴力の現実だった。


書くことは、まだまだある。きっといつかPAPSのことをまとめる日がくるのだと思いながら、もう一つ、記しておきたい。
PAPSは、2013年、六本木の森美術館で行われた会田誠の展覧会「会田誠展:天才でごめんなさい」にも抗議の声をあげている。AV問題が展開していく、少し前のことだ。
公共の場で、女性の四肢が切られている画、女子高校性たちがミキサーにかけられている画、そのようなものを提供する森美術館に責任を求めたのだ。森美の対応は本当にひどかったという。


「デュシャン、知ってますか?」
そんな風に、森美側は、抗議の意味を理解しようとはせずに、ただただ女性たちを「芸術オンチなおばさん」として扱った。会田誠氏自身も美術手帖(17年11月)でこの時のことを、彼女たちを嘲笑するように振り返っている。


さきほど、ネットのニュースで会田誠等の美術講義で苦痛を受けたと女性が大学を訴えたニュースを読んだ。記事によれば、会田氏は授業中下ネタを楽しげに語り、女性の性虐待「アート」を予告なくスクリーンに映し出すなどした。女性が大学側に苦痛を訴えても、学校は対策を執らなかったという。
美術オンチだと思われたくないばかりに、暴力「アート」も、笑える余裕を見せ知的に受容するのが大人な女のアートな振る舞いとされるような空気で、このような訴えを起こすことは、どれだけの勇気であったことだろう。そして、ようやくこういう声が美術界に生きる人、生きようとする人からでてきたことに、大きな意味を感じる。


田口さんが、もし、このニュースを知ったらどう思われただろう。
にやりと笑って、目を細めて、「当然よね」と仰るだろうか。
どんなに嘲笑されても、無視されても、ただただ目の前の泣いている人を助け続けた人。性の尊厳の回復を、女性たちと共に求め続けた人。そのために、私たちに大きな課題を残した人。PAPSの基礎をつくって、さあこれからようやく本格稼働だよ、というところで「じゃ、任せたよ」と逝ってしまった人。


田口さんは去年「語り始めた被害者たち~明らかになってきた現代の性暴力・性搾取~」というタイトルで講演をしている。
「慰安婦」にさせられた女性も、そしてJKビジネスに巻き込まれた女性たちも、AV産業に巻き込まれた女性たちも、みんな黙らされてきた。
自らお金のためにセックスを売ってるんだ、自分の遊びのためにやってるんだ、被害なんてないんだ、と言われていた中で、「私たちは性暴力にあったのだ」と語り始めたた当事者たちの声が今、世界を動かしはじめている。これまで見えなかったこと、私たちが見ようとしなかったことを、見せてくれている。
それは、田口さんのような「聞く力」があってこそ、「語り始めた声」だったのだと思う。


明日、田口道子さんのお別れ会がある。田口さんの訃報がまだ届いていない方へのお知らせになれば。
場所と時間を知りたい方はlove@tkc.att.ne.jpにご連絡下さい。
お別れと、そして感謝を。共に届けましょう。

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北原みのり

北原みのり

ラブピースクラブ代表
1996年、日本で初めてフェミニストが経営する女性向けのプレジャートイショップ「ラブピースクラブ」を始める。2021年シスターフッド出版社アジュマブックス設立。
著書に「はちみつバイブレーション」(河出書房新社1998年)・「男はときどきいればいい」(祥伝社1999年)・「フェミの嫌われ方」(新水社)・「メロスのようには走らない」(KKベストセラーズ)・「アンアンのセックスできれいになれた?」(朝日新聞出版)・「毒婦」(朝日新聞出版)・佐藤優氏との対談「性と国家」(河出書房新社)・香山リカ氏との対談「フェミニストとオタクはなぜ相性が悪いのか」(イーストプレス社)など。

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