東京で自分らしく生きること そして韓流 第13回「独立する韓流たち」
2019.12.27
Loading...
20代・30代・40代と、研究職から臨床そして福祉へと仕事の現場を移って来た。今もすごく仲良くしている職場もあれば疎遠になった所もある。その分かれ道が例外なく、こちら都合でないことに気づいた。どこでもモメる機能不全組織ってあるものなのですね(日本の国立の医局で性的少数者へのハラスメントを受けたことは言っておきます)。
郷ひろみがジャニーズからバーニングに移籍した時は共演NGとかはあったのだろうか。地上波には出られていたけれど。今や最高裁で児童への性的虐待の事実が認定されたジャニーである(BBCでも報道された)。もう2度と子ども時代に憧れた楽曲の数々を同じ目で見ることはない。一方、古巣サンミュージックともソニーとも関係が良く見える松田聖子は、復帰や再契約を繰り返している。会社の懐が深いのとアーティストとの利害関係が一致しやすいのだと思う。
韓国にも大手芸能プロダクションは存在していて、この15年ほど3番手か4番手に居続けているJYPエンターテインメントという事務所がある。TWICEやアジアで活躍中のGOT7が在籍中だ。ここから巣立って行った人たちについて今回書いてみたいと思った。それぞれが素晴らしい活動を見せてくれているからだ。
最近では映画「建築学概論」やドラマ「ドリームハイ」でブレイクした演技ドルで女性アイドルグループMiss Aのぺスジや、同じく「ドリームハイ」主演の一人で男性アイドルグループ2PMのオクテギョンがJYPを卒業し、本格的俳優事務所に移籍して活動の場を移した。オクテギョンの場合、今後も2PMとしての歌手活動はJYP事務所がマネージメントできる条件の契約が可能な俳優事務所を選んで。
芸能界も人生と似ていて勢いのある時ばかりではない。人生は更に長い。ブームは時の運もある。一時代を築いた後も充実した活動ができてこそ幸福な一生ではないだろうか。移籍や独立後、不幸な境遇に陥るアーティストを日韓共に多数目にする。本人たちだけのせいでないケースが多い。
先日ピ(日本活動名RAIN)のファンミーティングに3年ぶりに行って来た。現在のJYP事務所の屋台骨を作った元所属アーティストだ。日本でも東方神起より前にドームコンサートを実現するなどいろんな意味で先駆者だが、筆者はアメリカ在住中に彼を知った。
韓流ドラマもKPOPも知らなかった頃、TIME誌の100人にアジア人トップで出ていて着眼した。映画「スピード・レイサー」と「ニンジャ・アサシン」のアメリカでの受け入れられ方は熱狂的だった。若者にアカデミー賞より影響力のあるMTV Movie AwardでBiggest Badass Star賞をノミネートだけでなく受賞したほどだった。ハリウッドでカッコいいアジア人というのは本当にレアだ。サイレント期のSessue Hayakawa、白黒映画のToshio Mifune、カラーになってからはBruce Lee、Jackie Chan以来だ。アジア・パシフィックアイランダーとしての自尊心を再確認させてくれた出会いだった。
日本に帰国してからその音楽に触れてまた衝撃を受けた。事務所代表JYP氏によるプロデュース作品はR&Bにヒップホップを取り入れかつ東アジア的な叙情性のある楽曲の数々で、彼の声質とダンスに適していた。筆者イチ推しグループ2PMのメンバー6人それぞれの魅力が、事務所の先輩ピの中にその原型を見出すことが可能だ。円満独立後もJYPとは関係良好で、筆者も彼のコンサートに通うことが世知辛い日常の中で特別な思い出になって行った。
1年半前のファンミーティングは海外出張と重なって行かれず、満を持して購入した東京公演が、直前に職場の都合で行けなくなった。これで4年半会えないとかだと寂しいので諦めずに検索したところ、大阪公演の当日引換券というのが買えた。高速バスは体力上厳しいのでぷらっとこだまという割引チケットで大阪1泊弾丸遠征して、翌早朝何事も無かったように大阪から出勤した。
3年ぶりに会うピはパパになっていて、変わらずプロフェッショナルなサービス精神でハイタッチまでしてくれた。その笑顔に、チケット2枚買って良かったと思えてしまった。現在日本人男性の若者アーティストも韓国で育成中とのことで、プロデューサーとしても頼もしい。
一方プロデューサーということでは、BTSの事務所Big Hitエンターテインメント創業者代表パンシヒョク氏もJYP出身だ。元々作曲家だったパンシヒョクは独立後、JYP練習生から新人勝ち抜き番組でデビューが決まった2AMをBig Hit所属でCDプロデュースを行うなど、古巣と友好的な関係で事務所を成長させて行った。筆者の高齢の母が2AMのイ・チャンミンのファンなので、コンサートに連れて行くのが親孝行になっている(81歳の誕生日は、イ・チャンミンと超新星ソンモとの日本だけのユニット250というので、一緒に有楽町ヒューリックホールに行って来ました)。
イ・チャンミンのお父さんは料理上手で本格的なカフェをやっていて、2013年にソウルに行った時に寄って見たところ、ちょうどその前日当時バンタンと呼ばれていたBTSの7人が来ていて、直筆の書込み付きの楽しげなポラロイド写真が数枚無造作にピンで止めてあった。パンシヒョク代表が、自身の事務所でゼロから立ち上げた初めてのグループだった。デビューして一定の注目は得たものの、チャート上位に行くほどの人気はまだついていない時期だった。
ポラロイドをよく見ると、明らかにビジュアル面でも突出したメンバーが居る一方、ビジュアル以外の才能面で選ばれている若者も複数人数いるグループだとわかる力強い笑顔だった。ラップもサウンドも自作自演で、現代社会を生きる若者の悩みを当事者目線で作品に投影できる才能を、時間をかけて育成したことが現在の成功に繋がったのだと思う。
学校や恋愛と同様、所属組織も長いキャリアで一つだけの人もいれば、種々の巡り合わせで複数になる人も多い。新天地で安心して活動するのを保証してくれるのも、移籍に際して祝福して送り出してもらえる関係性が構築できているからだ。JYPと過去アーティスト達の関係はそこがすごいと感心している。法人なので人格は無いのだが人としての徳を感じる。母校として卒業生を見守る姿勢が完璧なのだ(最初に戻るが日本の事務所はどうだろうか)。会社の枠を超えてBTSがリスペクトを込めたピのカバーが4千万回近く再生になるのも、そうした背景があるからだ。
現在BTSはチケットを取るのが大変なので、ワールドスタジアムツアー最終公演も京セラドームファンミーティングも首都圏の映画館の座席に座って観た。共にKPOPを観てきた同志だった畏友が長い闘病生活を経て先月逝去したので、ソウル公演ビューイングは北原みのりさんと大阪公演ビューイングは一人で鑑賞した。自身もアーティストだった畏友はBTSに人類の進化した姿が観られたと喜んでいた。しばらくの間あちら側から一緒に見守ってくれていると感じている。