受難週の礼拝に行ったら教会が閉まっていた。キリスト教的には復活は誕生の数十倍は重要だから(歴史上父のない子が産まれることは間々あるが、唯一無二の「甦り」を信じると告白するのが古来からの使徒信条なので)驚いた。筆者は信者ではないが、祖母が矯風会支持者で、母も矯風会外国人部ライシャワー夫人が住んでいたチェコ・キュビズム建築のライシャワー館のある女子大出身、というクリスチャンホームに生まれたため日曜学校にも親しんで育った。その頃の牧師がその後本郷教会を経て、退職後赴任した教会に行ったら閉まっていたのだ。
ボストンでは清教徒が開いた教会が、19世紀になると次々に十字架を下ろし多宗教共生のユニテリアニズムを掲げ出し、反奴隷制や20世期の公民権運動の原動力となった。それが2000年代の同性婚運動へと連なって行った経緯があるので、クリスマスとイースターは必ず仲間とユニテリアン教会に行って、皆で家で祝日の手作り料理をする習慣を16年続けた。今年は日本基督教団が礼拝自体をやめたので無理ですが。
母は現在高齢なので彼女の山梨の家に移ってもらおうと考え、(筆者は「緊急事態期間中もサービス継続すること」と自治体から直接通達を受けた対人支援職だが)週末休みを取った。がしかし妹の猛反対に遭った。京王線と中央本線に乗せられない、とのことだった。今列車の窓は全部開いているし下りは空いているのだが、別日に義弟に車を出してもらうことにして断念した。
仕方ないので週末を利用して、シンガーソングライターだけでなく作家でもあり、季刊文藝最新号の「アジアの作家は新型コロナ禍にどう向き合うのか」特集に閻連科や温又柔と並んで「コロスウイルス」と題したエッセイを寄稿しているイ・ランの、ライブストリーミングとインスタライブをまとめて視聴した。3月のビザ停止で日本ツアーがキャンセルになったのを受けて、急きょスタジオやアトリエから配信することになったのだ。
イ・ランは芸術は無価値ではないので公演の無料配信は良くないと語っていた。PayPalのアーティスト側の手数料負担の大きさの理不尽についても困っていた。国内外でコンサート活動を封じられた中で、今できることをやっていると言う。命や芸術人の価値についてよく考えるそうだ。ちなみに芸術の対価の一つでもある「拍手」は実は朝鮮半島には植民地時代に伝わったので、「大長今(チャングムの誓い)」の時代には無かったのにドラマ内で描写されていて話題になった、とプチ話題も提供してくれた。
元アイドルの女性友人に、収録後局の偉い人と遊んだりという嫌なことをしなければならない仕組みについて、どうしたらできるの?と訊いたら「自分のスイッチをオフにすると、苦しくならずにできたよ」という答えだったそうだ。そこまでの収奪でなくても、色々な局面で人は生き延びるためにスイッチ・オフを選択する時がある。でも自分の本当の命が少しずつ死んでしまう。
現政権になってから国が始めた「文化芸術人福祉財団」の話も興味深かった。アーティストの健康保険から芸術教育の求人のマッチングサービスまで、と芸術人が共生できる福利をサポートする公的な相互支援制度になっている。セウォル号事件以降、おかしいことにはその原因を明らかにして正そうとする市民運動に勢いがついて、人権を回復する制度かどうか検証する健全なチェック機能を様々な分野に行き渡らせたのだ。それって「一揆」だよね、と思った。
緊急事態宣言を出すことなく、国として大規模検査体制を徹底保証して早期発見・早期隔離を実施し、陽性者数は膨大に増えたが致死率を低く抑えた。そして活動が制限された影響を受けた多様な人々について、補償のセーフティーネットを充実させる、公開生・透明性の大きい社会から学ぶことは多いと考えさせられた。
時間が出来てしまったので母と、百想芸術大賞テレビ部門大賞を受賞してシリーズ化した人気番組「三食ごはん」を初回から観た(各種サブスクで観れます)。母も好きな歴史ドラマ「イ・サン」の主役・王サンを堂々76話にわたって演じた国民的俳優イ・ソジンと、彼とKBS大型土日現代ドラマ「本当に良い時代」で異母弟役を50話の長きにわたり共演した2PMのテギョンが、週末毎にソウルから離れたカンウォン道の田舎の古農家に泊まって、とにかく全食自分たちで作って食べる、というリアリティー番組だ。
ニューヨーク市立大卒のイ・ソジンとボストン育ちのテギョンは、情緒的にもオープンで筆者も共感しやすい人柄と、素でも家族のような相性が魅力だ。歴史ドラマそのものの風光明媚な断崖絶壁、玉筍峰はそのまま水墨画のようだ。ふもとに広がる深紅のタカキビ畑地帯にある古い家は、トイレも屋内にはなく電化製品も使えない。コーヒー豆は外の石臼を手で回して挽いて、ミルクはテギョンがヤギのジャクソンから搾り、卵をもらう雌鶏のマチルダの鶏小屋も、国連セツルメントのボランティアだったイ・ソジンが建てる。犬のミンキーはテギョンが親替わりになった。
現代人がややもすると自分ではやらなくなってしまった家事労働だが、謙虚な素人時代経験を持つ二人が、時に苦労しながら助け合って上達していく様が究極の共生篇で、もういつまでも見てられますこれ。一方で現実のカンウォン道は南北二国間に分断され、韓国側ではピョンチャン五輪の遺構や、カジノIR施設で荒廃した村がゴーストタウン化した、困窮と格差著しい地域でもある。そして(そのせいもあってか)風景は限りなく美しく自然は厳しい。日本で言えば東日本大震災後打ち棄てられた東北三県の風土の愛おしさと相通じるだろうか。
筆者も母の山梨の家に行くと、普段はしないのに必ず朝6時に起きてパンを焼いてから二度寝する。その気になって強力粉にライ麦やレーズン、くるみやマーマレードとかを練り込んだりしている。このところ近親者との死別が続いた。1年4ヶ月前に人生最大の抑圧者だったアルコール依存症の老父が死に、5ヶ月前に似た境遇で姉のように受け止めてくれた理解者だった親友が旅立った。3ヶ月前には仕事でもプライベートでも支援を続けてきた20代の若者を失った。いずれも筆者の、人となりを形作ってくれた存在だ。イ・ランではないが命の価値を考えずにはいられない月日が続いている。
彼らが与えてくれたものが人生の宝物になっている。姉替わりの友から引き継いだものに、死は終わりではなく共に生きていくことだと教えられた気がしている。死に向かって生きて行く間、悔いなく仲間と過ごせる時を大切にできるようになるからだ。ユニテリアニズムでは「想像上の天上の世界を、人類が現世で実現しようとする努力」を「奇跡ではない真の復活」と考える、とこれまでのボストン暮らしで自分なりに理解した。母の人生がどう終わるかは未知だが、彼女が生きた歴史も引き継ぐ証人として、傷ついた人・棄てられた人の言いたいことを全力で受け止めて理解して、不正があれば共に #一揆 に加わりながら連帯する気持ち、を新たにした母と過ごした復活週だった。
今日の1曲: イ・ラン「イムジン河」