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5月上旬、母に胃がんが見つかった。4月末に「吐き気が続いている」と母が言うので、すぐに胃腸科に連れて行き、検査をしてもらったところ、大きな腫瘍が見つかったのだ。

「1年以上前から発症していないと、この大きさの腫瘍にはならない。腫瘍ができ始めて何年かたっているはず」胃腸科の医師に言われた。ちょっと体の調子が悪いとすぐに病院に行く母だったので、そんなはずはないと思った。

そういえば1、2年前に「食べたら吐く」と母が言っていたことを思いだした。その時は、「すぐに胃腸科に行ったほうがいいよ」と病院代を渡した記憶がある。後日、胃腸科に行ったか尋ねると、「吐かなくなったから行ってない」と言っていた。「えー?! 行ったほうがいいと思うけど……」と言ったきり、そのままにしていた。あの時、無理やりにでも連れて行っておけば……。

総合病院で精密検査をしたほうがいいということで、紹介状を書いてもらい、すぐに連れて行って、精密検査をしてもらった。その日のうちに入院手続きをした。

さまざまな検査をして、1週間後に結果を伝えると総合病院の医師から言われた。その日程に合わせて、弟も県外から呼び寄せた。

検査の結果、進行が早いスキルス性の胃がんで、ステージ4とのこと。手術は手遅れでできないと言う。あちこちに転移もしていた。このまま何もしないと、半年もつか、もたないかだと言われた。

手術はしないが、抗がん剤治療をするかしないか、そして万が一、心肺停止になったときに、心臓マッサージなどをするかどうかも問われた。

母は「生きたいので、抗がん剤治療してほしい」と医師に伝えた。母の意思を尊重し、私も弟も同意した。抗がん剤による副作用のきつさがどの程度のものになるのかは、治療してみないことにはわからない。個人差も大きいという。

「生きたいから、心臓マッサージもしてほしい」と母は医師に言った。私も弟も、その場で同意した。

抗がん剤治療を始めて、果たしてどのくらい生きることができるのか。まったく想像がつかない。抗がん剤治療は、効果が見られなくなったら、そこで終わりだという。

抗がん剤治療を始める前に、まずは胆管を広げる手術が必要だと説明された。リンパ節が腫れて胆管を圧迫していて、消化液が肝臓から出ていないため、まずは胆管を広げる必要があるのだそうだ。金属のステントを入れて、胆管を広げるという。

局部麻酔で行うため、痛みがあるらしい。痛みに我慢できずに手術中に体を動かすと、手術がうまくいかなくなるから痛みに耐えるよう医師から話があった。

翌日、この胆管を広げる手術が行われた。弟と控室で母の手術が終わるのを待った。手術後、担当医に呼ばれて説明を受けた。
「手術は成功し、黄疸(おうだん)もよくなっている。膵炎(すいえん)もクリアした」
そう言われて、ほっと胸をなで下ろした。まずは第一段階クリアだ。

しかし、その後、医師から「お母さんは、もって、あと1年くらい。万が一心肺停止になった時、心臓マッサージをするとあばら骨が何本も折れて、その後お母さんがつらくなる。心臓マッサージは、これまでの経験からして、おすすめしません…… 」。

ある程度のことを予期していたが、やはり、はっきりと余命を告げられるとショックは大きかった。母の意思には反するが、心臓マッサージなどの延命治療はお願いしないことにした。

胆管の術は成功したが、がんが治ったわけではなく、母の命が終わろうとしていることを受け入れなければならない。

父が死んだ時のことを思い出す。父とは、高校生の頃に両親が離婚してから一度も会ったことがなかった。父の死は、「変死体として発見されたから、身元確認に来てほしい」と警察から連絡があったので、突然の死だった。

母の場合は少しずつ迫ってくるような感覚だ。いや、母に限らず、多くの人は誰しも死が少しずつ近づいてきているのだが、無自覚な日々を送っているだけだ。新型コロナウイルスの影響で、多少は「死」が身近になったとはいえ。

母の1回目の抗がん剤治療が終わり、次の抗がん剤治療は2週間後だ。今のところ、母は吐き気もなく元気なようだが、2回目、3回目と続けていくうちに、吐き気や脱毛などさまざまな副作用が出てくるかもしれない。痛みや吐き気ができるだけないことを願うばかりだ。

胆管の手術後、母の退院後について、ソーシャルワーカーを交えてのケース会議が開かれた。出席者は、担当看護師2人、ソーシャルワーカー、訪問看護師、ケアマネジャー、ヘルパー、家族(弟と私)だ。

弟以外は全員女性。ケアワークに携わるのは、圧倒的に女性が多い。先月のコラムを思いだした。

会議では、退院後の生活をどうするのかが話し合われた。高齢者福祉施設への入所(月に最低でも15万円ほどかかるという)か、ホスピスへの入所か(精神科にかかっている人の受け入れは、ほとんどないという)、自宅療養するか、精神科へ入院するか。

担当看護師の話によると、入院中の母の様子は、不安が大きく、紙おむつも1人では取り替えられずに看護師に頼っているということ。「要介護1」のレベルではないから、介護認定をし直して、介護の介入を最大限増やせるように手続きを進めたほうがよいということだった。

訪問看護師からは、「娘さんは同居されないんですか? 」と第一声。娘なら同居すべきといわんばかりの口調だった。その言葉、訪問看護師は弟には言わなかった。こんな時にもついついジェンダーの視点で物事を考えてしまう。

退院後の母の生活は、母の体力の回復と認知症の進み具合がどうなっているのかによる。一人暮らしを続けられるようであれば、転倒などの多少のリスクがあっても、自宅で療養する選択肢を選ぶだろう。

介護施設のクラスターも心配だ。抗がん剤治療によって、免疫力が落ちている母は、感染症予防に十分注意しなければならない。

一人暮らしができるレベルでなければ、やむを得ず、高齢者施設に入ってもらうしかあるまい。親不孝かもしれないが、メンタルを病んでいる母に付き合いきれず、家出したのは7年ほど前のことだ。

同居したところで、こちらには仕事もあるので働いている間の面倒は見られない。介護しながら働き続けると、こちらがまいってしまう。

「介護殺人」のニュースが頭をよぎる。第三者が介在していれば、その事件は起きなかったのではないか……身内だけで介護を担うには限界がある……などと、介護殺人のニュースのたびに、わが身に置き換えていた。

「介護休暇を取得する」という方法もあるのかもしれないと、介護休暇の取得について調べてみた。

すると、母の家に私が一緒に住むか、私のマンションに母を引き取るかして、母と「同居」しなければ、介護休暇を取得することはできないことがわかった。

要介護者宅で日中または夜間のみ介護を行う場合は取得できない。扶養関係があるだけでは該当しないという条件だ。介護休暇を取得するなら、どうしても同居させたいらしい。

母の介護はいつまで続くのかわからない。同居を強要されての介護休暇なら、取得するのにも二の足を踏んでしまう。

コロナ禍で、入院している母への面会も、原則禁止が続いている。担当医に特別許可を得て、週1回15分の面会が許されているだけだ。あとどのくらい、母と話ができるだろうか。

母にとっても私にとっても、よりよい選択肢を考えて、退院後のあり方を模索しようと思う。

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深井恵(ふかい・めぐみ)

九州某県の高校日本語教員。
日教組の「教え子を再び戦場に送らない」に賛同して組合加入。北原みのりさんとは、10年以上前(ジェンダー・フリー・バッシングがひどかった頃)に組合女性部の学習会講師をお願いして以来の仲。

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