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わたしの言葉を。Vol.3「移動の自由はソフトクリームで乾杯」

イトー・ターリ2020.10.08

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颯爽と電動車椅子で動き回っていたわたしは、外出中にトイレに座れたものの、車椅子に戻ることに悪戦苦闘、なんとか一人で戻ることはできたが、ショックと疲労感と落胆のあまり、その場にいられずにそそくさと帰宅してしまったことがあった。以来、そんな綱渡りは続けることができず、友人に同行してもらうか、訪問先で助けてもらえる手はずをつけて出掛けた。昨年の6月に参加したグループ展の準備のために何度も上野まで通ったが、いつも友人の大野玲さんがボランティアで付き合ってくれた。

外出のために受けることができる公助は、障害者総合支援法においては視覚障害の方向けに「同行支援」、知的障害と精神障害の方向けに「行動支援」、重度訪問介護があって、外出がサポートされている。そして介護保険には「買い物と通院」に対してのサービスがある。これらは国の制度。

介護保険受給者のわたしがギャラリーや集会に参加したいと思っても何のサポートもないのだ。「買い物」は近所のスーパーに行くことが基本となって単位が30分、1時間、多くて1時間半だ。郵便局に行って、銀行に行って、八百屋に行って、スーパーに行ってなんて至難の技。いつも駆け足だ。「通院」は家を出て帰宅までのサポートだが、待ち時間は自費となる。
そんな不便さを解消してくれるものに「移動支援事業」があると知った。

「移動支援事業」は地域生活支援事業に属し、各地方自治体の裁量で施行する制度で、目的は社会生活上必要不可欠な外出、社会参加のための外出である。
わたしはこれを受給したいと自立支援課に行った。ところが「小金井市ではやってません」の一言で跳ねつけられる。それでも、ケアマネージャーの田中左代子さんとわたしは、「移動支援」を受給したいと個別に計4回自立支援課に出向いた。そして、窓口での会話の中に突破口を発見した。「小金井市では身体障害の中で視覚障害の人には施行している」というのだ。ならば同じ身体障害の肢体不自由者にないというのは不公平ではないか、これを突いていけば変えられると確信した。

が、どうやって運動していったら良いのか知恵が必要だった。

3年前、車椅子生活になってまもなく、車椅子に乗っている人を街で見かけることが少ないので、みんなはどのように生活しているのだろう思った。そこで身体障害者のための事業所を探すと1つしかないことがわかり、しかも65歳以上の新規さんは入れないと断られた。この実情ではなかなか会えるはずがないと思った。そこで若林苗子さんとSさんに声をかけて「身体障がいのある人と周りの人の集まりin小金井」という集まりを始めた。ミーティングを重ね、外に向かって「集まり」を企画しようとチラシを作り、若林さんたちが街頭掲示板や集会場に貼りまくった。「集まり」を3回、「上映会」を1回、1年の間におこなったが当事者の方は合計3名だけの参加、繋がることの難しさを感じた。ちなみに周りの人たちは述べ90人ぐらいが参加した。お誘いカードを作って配布もしたんだけれど。

なぜ、参加しないのか。「参加したくても出てこれない環境にいる」「情報が届かない」「充足しているので必要ない」。わたしのように最近障害者になった者にはわからないことがたくさんあるのだろう。小金井はファミリー住宅で成り立っている市だから、家の中のサポートで事が足りているのかもしれない。しかし、理由は様々だろうけれど、出掛けたくても出掛けられない人はたくさんいるはず。

わたしは一人で車椅子に自力で移乗出来ないという事実を突きつけられて、「そう、出掛けたくても出掛けられない。障害者にも移動の自由はあるはずだ」と叫んだ。

昨年の12月10日頃、交渉力のある沢部ひとみさんに同行を求め自立支援課の窓口に立った。
「身体障害者も『移動支援』の対象にしてほしいが、市の考えを教えてください」「いつまでに回答してくれますか」とたたみ掛け、「1月末日には電話で伝えます」とまで取り付けたのだった。それからはスピードを上げ、「移動支援」を獲得すべく走り出した。「陳情」か「請願」か、どっち? 陳情の方がすぐに提出できるからいいのでは、だったらそうしよう!

「身体障がいのある人と周りの人の集まりin小金井」として集まりを2度も持って、いつも参加していた障がい者支援をしている人、地域自立支援協議会の委員でもある友人、介助事業所の相談員、市議、友人、大田区の介助事業所を運営をしている4人の方などなどが参加。真剣な話が飛び交った。移動支援の他市の現状、陳情書の文言について、陳情するにあたってやるべき事を伝授された。

1月初旬、市長から調査するという内容の返答が手紙で届いた。
1月末日、自立支援課から電話があり、課長を含め前向きに進めていると報告があった。
陳情書提出が迫ってきた頃には元市議の二人に個別に面談してアドバイスをもらったり、友人の市議が地域自立支援協議会の副代表を紹介してくれて、手紙でやりとりしたり、好きな会派の市議だけでなく万遍なく電話をしてお願いするようにとのアドバイスを実行した。バンクーバーの会の友人たちにも何度も相談したっけ。
2月19日、陳情書を提出。
3月11日、陳述の日を迎えた。議場にエレベーターがないので入れないわたしの代わりに大野玲さんが代読することになった。大野さんも介助する友人としての思いを述べ、わたしの陳述文を朗読した。
コロナで延び延びになっていたが、5月21日、陳情が厚生文教委員会で、全会一致で採択された。
6月2日、陳情が、小金井市本議会にて全会一致で採択されました。
7月9日「移動支援事業」施行日。
移動支援事業の利用対象の拡大について
更新日:2020年7月9日 移動支援事業の利用については、視覚障がいの方、知的障がいの方及び精神障がいの方を対象としていましたが、次の方について対象に追加されました。身体障害者手帳の交付を受けた方で、肢体不自由のうち、下肢1級・2級、体幹1級・2級又は乳幼児期以前の非進行性の脳病変による運動機能障害(移動機能に限る。)1級・2級の方

ああー、高次脳機能障害、難病、全身性疾患などは含まれていないではないか。肢体不自由のうち、下肢1級・2級、体幹1級・2級となると歩けない人ということ。例えば上肢の不自由な人で例えばトイレに行けない人だっているだろうに。力が抜けた。言ったもん勝ちじゃないか。まるでわたしの症状に合わせたみたい。それで、後日申請しに自立支援課へ出向いた時に、範囲が狭くなっている理由を聞いたら、「障害が複合している人が多いから、範囲が狭くなっているわけではない」と答えた。

うーん、「移動支援」申請の日ということで、奥歯を噛んで帰ってきた。

移動支援の実行は思いがけない始まりだった。大野さん(重度訪問介護資格者)が登録しているくにたちの事務所に契約しに行った。契約を終えると、「今日から使えますよ」と言われて、「そうします!」と答えた。小さなプロムナードにあるアイスクリーム屋、ソフトクリームを青空の下で食べ、それだけでは足りなくてコーヒーもいただいた。

参考に陳述書を添付します。

 

イトー・ターリさん提出の陳情について、陳情者本人がここで趣旨等を説明することが不可能なため、私が代読するために参りました。この陳情は身体障害者の移動支援の見直しを求めるものですが、この議場はエレベータのない建物の4階にあり、車椅子利用者である陳情者本人はここに来ることができませんでした。直接、意見を述べ、発言することが適わなかったイトー・ターリさんが今どんな心境でいるか、どうぞご理解頂きたいと思います。 

まず私が代読という形でここで発言するに至った経緯を簡単に補足説明いたします。私自身も学生の頃から長く小金井市に住んでいます。地域生活支援、自立支援に関する市の施策は、私にとっての問題でもあります。私は美術館やアートに関わる仕事をしてきました。パフォーマンス・アーティストであるイトー・ターリさんとは、アートを通じた交流もあり、また同じ小金井市民として、地元で一緒に展示を企画したこともあります。身体による表現、パフォーマンス・アートを長年発表し続けてきたイトー・ターリさんが、筋肉が衰える難病になり創作活動が困難になってしまったのは5年前でした。私は、私にできることはないか、手伝えることはないかと、必死に考えました。近所に住んでいますので、外出の際の介助を頼まれることも度々ありましたが、この数年間で思い至ったのは、私が介助している場合ではないということです。余りにも公的な支援が足りない。車椅子の乗り降りが出来れば、外出の機会は広がります。自力で出来なくても誰かに乗せてもらえれば出掛けられる、外に出られるのです。私は何度も外出に同行しましたが、まず自宅に伺い車椅子を乗り換える介助から始まります。玄関をでるとき、いつもとても嬉しそうです。やっと外にでられるのです。そして私はいつもなんと理不尽な制度なのかと思います。地域生活支援事業はどうなっているのか、障害者自立支援とは何なのか。

外出先ではトイレ介助が必要になることもあります。介助してくれる人がいなければ、外出できたとしても2時間ほどで帰ってこなければなりません。例えば新宿でも、電車の往復だけで車椅子ではすぐ2時間たってしまいます。友人知人を頼り「いつもすみません、ありがとう」と同行ボランティアをお願いする、その精神的・物理的負担を考えてみてください。もちろん私は、私が出来ることなら喜んで手伝いたいです。でも同時に、これでは無理だ、限界だ、と強く感じます。当事者が自らボランティアを募らなければならない状況を、小金井はいつまで放置しておくのか、強い憤りを感じています。なぜ小金井市では移動支援事業の対象外となっているのですか?これは早急に見直すべき問題です。

陳情提出者・本人による陳述を、代読する前に、まず、私がここにいる理由について補足説明させて頂きました。では、以下、陳述を代読いたします。

 

陳述

地域生活支援事業「移動支援事業」を見直し、身体障害者もその対象とする事を要望します。

 今から10年前、片足立ちや爪先立ちができなくなったのが始まりでした。2年後には走れなくなり、身体表現を仕事としている私には隠し様がない事実としてのしかかりました。発症して何が起きたのかわからないままの4年後、神経内科に2度の検査入院をしました。その結果、脊髄性筋萎縮症と診断が下りました。その頃には仕事を続けることができない状態までになり、杖をついても歩けなくなり、車椅子生活が始まったのです。

 自由に店に入れない、電車に飛び乗れない、エレベーター探しにトイレ探し、初めて障害者の悲哀を知りました。それは家の中でも起こり、その時の身体の変化に添ってバリアフリー化をなんども重ねてゆくことになりました。

筋力はゆっくりではあるけれど確実に衰えて、2年ほど前から手や腕にもおよび、掃除洗濯だけでなく、調理も出来なくなりました。そこに、昨年の10月、追い討ちをかけるように遺伝子検査の結果、筋萎縮性側索硬化症ALSであると告げられました。こんな理不尽なことがあるのかと関係する複数の医師に聞くと、否定しないどころか、検査結果に全く疑いさえ掛けませんでした。

 筋力だけがひたひたと低下して行く体験をする中で、生活に不便を感じている当事者の人に会いたい、聞いてみたい、分かち合いたいと思うようになりました。そして、3年前のことですが、「身体障がいのある人と周りの人の集まりin 小金井」という任意の集まりを3人で始めました。チラシを作り、市民掲示板に貼り、公民館や障害者福祉センターなどに運び、広報しました。時に映画の上映会を行ったりしましたが、当事者の方はほとんど来ませんでした。当初なぜ来ないのかと不満に思いましたが、なんどか体験するうちに理由が見えて来たのです。「来れない、外に出られないのだ」と思うようになりました。その思いが決定的になったのは、私自身が外出用の車椅子に移乗できなくなり、自力で外に出られなくなったことでした。行きたくても出かけられないのです。

 自由に出かけられないことの精神的なダメージは大きく、好奇心、向上心を奪うのです。私は今まで積み上げて来た人間関係が希薄になって行くことに寂しさを感じています。若い身体障害者は何を思って生活しているのでしょうか。家族の差し出す手を待っているのでしょうか。自由意志で外に出られないのは人権が侵されていることだと考えて良いのではないでしょうか。行き先を自分で決める。行き方を自分で決める。「移動支援事業」には物理的な移動だけではない要素が詰まっているのです。世界を広げ、生きている実感を手にいれる手段が「移動支援」には含まれているのです。そのために他人の手を借りて、その上で生きることを楽しむのです。このことは障害者総合支援法に掲げられている理念でもあります。

 この「移動支援事業」が今まで小金井市において視覚障害者を除く身体障害者にないことは信じがたいことです。なぜ、知的障害、精神障害、視覚障害者へのサポートがあって、その時、身体障害者はどうなっているのかと想像しなかったのでしょうか。知っていても申請がないから放って置かれたのでしょうか。理由を知りたいところです。

 陳情書にも書きましたが、小金井市には公にしている身体障害者向け作業所は一つだけ、街に出てくる車椅子生活者の姿はとても少なく、立川や国立をはじめ近隣地域にはある障害者自立生活センター(CIL)も一つもないという実態は身体障害者がいかに社会から閉ざされているかを表しています。

「移動支援事業」は地域生活支援事業の範疇にあり、各自治体の裁量によって施行される事業です。もし、身体障害者へも「移動支援」が支給されていたら、この疲弊した状況を軽減できたのではないでしょうか。もちろん、「移動支援」が全てではありませんが、制度化されていないが故に、当事者にとっては住みにくい街、事業者にとっては事業展開しにくい街となっている一因なのではないでしょうか。

 この2年ぐらいの間に、私や私のケアマネージャーが自立支援課に個別に4回は訴えましたが、「小金井では施行していません」という一点張りで取り合ってくれませんでした。昨年の年末に切羽詰まった私は友人と共に自立支援課に出向き、再度、再度「移動支援事業」の施行を願い出ました。そしてついに、他市の状況と予算についての調査をするという約束をもらったのです。また、市長宛に手紙を書きましたら、やはり調査し経過報告をするという返事をいただきました。一歩踏み出せたと思い嬉しかったです。

そこで、議会へもアプローチしようと思い、今日という日を迎えました。

私にはもう一つの願いがあります。

介護保険受給者も障害福祉サービスの併用ができることの周知の徹底を要望します。

 私は現在68歳で介護保険によるサービスを受給しています。63歳半の時に身体障害者手帳の支給を受け、電動車椅子の支給や就労継続支援(B型とA型)を受けました。1年半後、65歳の誕生日から介護保険が優先する体系に切り替わりました。その際に、予想できる不利益や利益についての説明を、自立支援課や相談員から受けることはありませんでした。

当時、私は身体の状態を保つためのリハビリを受けたいと障害者福祉センターに問い合わせたところ、65歳以上の新規の人は対象外だと言われました。いわゆる65歳問題の渦中にいることを知ったのです。

 現在は介護保険のサービスを受給して生活を成り立たせています。それでも、介護保険にはない「移動支援」を受けたいと切に願っています。介護保険では買い物、通院以外の理由で外出できません。そこで、用事がある時は友人にボランティアで手伝ってもらっています。しかし、それぞれの生活がある中で、継続することは無理なことです。車椅子への移乗やトイレでの介助をしてくれる「移乗支援」のヘルパーさんが本当に必要です。

 今、願うことは、介護保険と障害者の福祉サービスを併用して、人権が保障される施策の中で生きて行くことです。是非、介護保険受給者も障害福祉サービスの併用ができるという国の基本的方針を踏まえ、小金井でも、そのような考え方が役所内で周知徹底され、国の方針にそった、当事者のよりそう運用がなされていくことを要望します。

 「障害のある人もない人も共に学び共に生きる社会を目指す小金井市条例」(小金井市障害者差別解消条例)が本格的に協議されていると聞いています。その中にある「合理的配慮」を踏まえた実のある適用を望みます。

     身体障がいのある人と周りの人の集まりin 小金井

           イトー・ターリ(本名:伊藤三和子)

 

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イトー・ターリ(いとー・たーり)

1951年 東京生まれ、在住 パフォーマンスアーティスト
1980年代後半からパフォーマンスアートを始め、国内各地、アジア、欧州、北米で活動。
エポックは1996年に行ったパフォーマンスでのカミングアウトだった。セクシュアルマイノリティであることについて考察し、パフォーマンスを行ったのだが、そのことは黙殺されている声や忘れ去れている事への「応答」へと導いていくことになった。
身体、ジェンダー、軍事下の性暴力、原発事故をテーマとした。また、ウィメンズアートネットワーク<WAN>(1994~2003)、PA/F SPACE(2003~2013)を運営、人が出会う場を思考した。
最近は筋肉が萎縮してゆく難病を抱えてしまったが、「身体」との旅を続けたいと思っている。
写真:Alisha Weng

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