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1年半ぶりにパフォーマンスを4月11日に非公開で行った。
会場は恵比寿にある工房・親。「命の最前線で対峙している病院や看護介護などの施設にアートを展示する」活動の一環として企画された「Loop beyond Art: 広がる、人と命の輪」展は4つのヴィジュアルアートと2つのパフォーマンス、1つのシンポジウムで構成された展覧会である。

パフォーマンスでは135kgの厚さで、15cm×9cmの大きさのトレーシングペーパーに印字された詩片を30枚用意し、上着の4つのポケットに忍ばせた。それを読む行為。内容に順番はなくランダムに読まれていった。
ここに、それらの詩片を掲載することにした。今思うことを記した。
もうひとりの人は鉱石の黒雲母を剥がす行為を黙々と続けた。

パフォーマンスのタイトルは 37兆個が眠りに就くまえにVol.2 「自分で額を撫でるとき」

 

病が私を押しつぶし、ベットの隅に頭を埋める
自分を慰めようとしたアクション
額を人差し指で撫でる
滑らず、むしろ凹凸を感じながら
私のできる最大の愛撫

身体の変化
脛の横の筋肉に緊張が走る
ひどい痛さ 横臥する夜間に
脚を伸ばした時に痛さに襲われる
そんな半月がすぎると
痛みは嘘のように消えた
すると足先が伸びて下方に垂れているではないか
最後のあがきを見過がしてしまった
非情な展開

 

介護保険制度に属することによって生活は維持されている。
しかし、制度に飼われているようだとしばしば思う。
30分に刻まれた時間に就寝までの排泄、着替え、移乗を済ませる。
会話を楽しむ間も無く、夜の時間の不安を口にすることの間もなく、
ヘルパーさんはドアを閉める。

 

ヘルパーさんの寝息も聞こえない
グレも静か
静寂
痰のゴロゴロも気配もない
静寂な夜更け
重量のあるトラックが走り抜けていく
私の居場所を教えてくれた

 

 

ピクつきは変調のサイン
音もなく気配もなく、気がつくと力を失っている
ピクつきはあちこちで起きる
脚から始まり、予期せぬ時にピクリとくる
背中で、腰で、脇腹で、
神経細胞が働きを放棄する
すると筋肉は細り静かになる
体は変形し、元に戻ることはない
静かになる

 

障害者と病人
私は「障害者」だと思っていた
ところが最近「病人」なのだと知った
血栓ができたら、下手したら死に至る可能性があると言われ
痰が詰まったら、そのまま死に至る可能性があると実感した
生命が奪われる可能性がある、その領域に踏み込んだ
脚が動かなくても手が不自由でも元気だった
進行性の病と付き合っていけるのだろうか
病を受容することはできるのだろうか。

 

お腹に力が入らない
いつの間にかよわいくしゃみに、かぼそい咳に
半年ぐらい前から
お腹がパンパンに出ていたのが痩せてきた
いいぞと思ったのは間違いだった
ただ単に力を失ったのだ
かぼそい咳払いでは痰も追い出せない
お腹に力が入らないとはこのようなこと powerless

 

猫のグレはなんでも見ている
母と私の言い合いは大嫌い、間に身を置いていて、
言い合いが治らないと見ると、
「行くよ」としっかり意思を示して姿を消す
グレはなんでも知っている

 

どうやら人工呼吸器を導入するかが分岐点になるようだ
生と死の分岐点
父が死の10日前言った言葉が離れない
「僕はもういいんだ」
私もそのように決めることができることを望む



人工呼吸器を導入した後の生活を想像することができない
生きるとはどのような状態を指して言うのか。
身動きができず、自力で呼吸ができず、自力で食物を飲み込めず、
でも生きていける。
サポートの充足した状況と生きる意志があれば生きることができる。

それが医療の現状だ。
しかし、ALSの患者の7割は死を選ぶ。

 

いつものように横を向いて寝る。間もなく寝入ったけれど、痰はおとなしくしていられないで、再び攻勢に転じる。横になっていられず起き上がり、毛布を肩にかけてもらい、機を待つ。水筒の水とネプライザーの霧で触発させる。すると絶頂がこみ上げ、ぽこりと痰が落ちた。ヘルパーさんが4時間かかったねと言った。おつかれさまでした。お休みなさい。

 

姜徳景さんや金順徳さんたち日本軍「慰安婦」の絵画を観た時の衝撃は
そこに真実を見たからだ。
真実から目を背けるな。
真摯に謝罪することでしか解決の道はない。
このままでは誰もが未来を開くことはできない。
改めて宣言する。

 

究極の選択をしなければならないALS患者は
人工呼吸器を途中で外すことは許されないという。
頭は最後まではっきりしているのに意志の疎通の方法を失ってしまったら、
どんな世界が待っているのだろうか。
どのように生を全うするのか考えざるを得ない。

 

3.11が巡って来たが、放射能が飛散した川俣町山木屋を丸2年訪ねていない。
目をつむるとその風景が広がる。
しかしそれは現状の姿ではない。
見続けたかった。
人間の所業を風景の中に、小学校の校庭に、牧場跡地のポプラに、見続けたい。

 

 

昨晩のこと 泊まりのヘルパーさんを待って痰を出そうと、
喉の奥にいるゴロゴロを温存させた。
10時、ネプライザーをオン。精製水の霧を吸って吐いて、目はフィギアスケートへ。
ゆっくり、ゆっくりとヘルパーさんも構えてくれる。
痰が上に上がって来て、ゴロゴロが今か今かと、溢れて咽頭に、叩いてと声を振り絞る
タッピングの嵐、出た!
鍵山選手の演技前だった。

 

一人住まいの人間は時間に合わせて排泄を行う。
分刻みでやってくるヘルパーさんを待って。

介護度が高くても一日平均2時間ぐらいのサービス提供が限度なので、
全てが分刻みでセットされる。

穏やかな生活を期待することは困難だ。
スケジュールありきの生活。

「当たり前だろう」と声が聞こえる。

 

 

沖縄を訪ねる度に宜野湾市にある佐喜真美術館で
「沖縄戦の図」の前に佇む。

なぜまた来たのか自問する。

 


介護保険制度は「家族」が同居していることを前提に定められている制度だ
医療制度においても「家族」が顔を出す
痰の吸引は「家族」は研修を受けなくても行うことができる。
事故を想定して、責任の所在が問われないからなのか
同居しているパートナーは「家族」とみなされない
ここでもそうなのか

 

 

ヘルパーさんと親しくなる
一人一人違っていて面白い
気心が知れてくると楽しい
たとえ短い時間でも
弾んだ声で話したい
コロナ禍でも毎日やってくるよ

 

 

 

家にいるとテレビのニュース番組漬けになる。
安倍晋三政治のていたらくぶりにつきうことだった。アンダーコントロールから始まった嘘に慣らされてしまった。
自分がその一人かと思うといたたまれない。そんな中、性暴力に立ち向かう女性たちは毅然としていた。

 

 

突然ですが、
カインが世田谷線の松陰神社前に現在住んでいる
母の佐恵子は73年前まで玉電の松陰神社前に住んでいた
73年のズレをすっ飛ばしたのが精養堂というパン屋
「あるある、精養堂」
「商店街の魚屋を入っていったところに住んでいたの」
「ふんふん」
「それで抜けていったところに松陰神社」
「ふんふん」
「駅の反対側を行ったら世田谷通り」
「ふんふん、そうそう」
「うちは精養堂を入ったところ」
「え、そうなのお」
母は思いがけない脳裏の散策に興奮
散策は一里四方にまで広がった
カインは付き合ってくれて、母は久しぶりに満面の笑顔になっていた

 

ヘルパーさんが桜吹雪の中を走ってくるので気持ちがいいと言う。
「今年の桜は満開になったのと二分、三分咲きのがあってね」と続けた。
そこで私は「気候変動に合わせられないのもあるのでしょう」と言った。
「買い物の時に桜を見ましたか」「デイサービスの行き帰りに1本だけ」
しきりに桜を推奨し、外に出て楽しめと。でも今日はなんだかうざったく聞こえた。

 

昨晩のこと 
泊まりのヘルパーさんを待って痰を出そうと、
喉の奥にいるゴロゴロを温存させた。
10時、ネプライザーをオン。
精製水の霧を吸って吐いて、目はフィギアスケートへ。
ゆっくり、ゆっくりとヘルパーさんも構えてくれる。
痰が上に上がって来て、ゴロゴロが今か今かと、溢れて咽頭に、
叩いてと声を振り絞る
タッピングの嵐、出た!鍵山選手の演技前だった。

 

 

契約していた介護事業所が17ケ所だったとは。それほど人材不足だったのか、コミュニケーションを維持するのは困難だったでしょう。生きる意義を感じられなくなったのでしょうか。それほど辛い生活だったの。悔しかった?反論もできない?私は想像ができないの。教えて、私に。

 

巡回介護というのがある。主に夜中の排泄をサポートするサービス。ところが私の街では巡回介護をやっている事業所はないし、他市の事業所にあっても男性だけが携わっていると聞く。同性介助を望む私のような者にはサービスが存在しない。利用者が選べる体制を作って欲しい。不平等がまかり通っている日本の介護。

 

影山選手のフレッシュな演技が終わった時、私はつい「痰から解放!」と大きな声で叫んでしまった。途端に差し込みが喉に刺さった。息が細くなり呼吸困難、それに伴いまた山ほど痰がでる。あー、深呼吸、喘ぎながら深呼吸と念じる。落ち着いたのは1時間後、、、ベットに移動した。

 

生命をかけて痰に立ち向かう。ひとり自分だけでは怖くて立ち向かえない。腹筋、肺筋がないので立ち向かえない。日常的に続くのかと聞くと、そうだと言う。受け入れがたいのだけれどなあ。

 

炎天下、普天間基地の周りを歩いた。へリコプターの部品が落下する事故があった普天間第二小学校、その隣の保育所はフェンスの脇にある。近くの集合住宅の屋上に勝手に上がって、基地の内部を覗き見た。オスプレイが並んでいた。基地の南端にたどり着くと涼の取れる木があり、根元に腰を下ろした。芝と乾いた滑走路、真っ青な空のコントラストが眩しい。ぶるぶると鈍い音が聞こえると、瞬く間に着陸態勢のヘリコプターの太い腹が迫り、頭上を越えて行った。

 

 

なぜ表現するのか、何を表現するのかを考え、それを形にしていくことが楽しいからだ。

 

寺崎明子というフェミニストがいた。
よくパフォーマンスを見に来てくれたが、
原発に抗議する集会でよく会うようになった。
デモの行き帰りに経産省前テントによると寺崎さんが詰めていた。
癌を患っていた彼女は力を振り絞って活動した。
その寺崎さんは死の直前、
私に障害者用のシステムキッチンをプレゼントしてくれた。

 

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イトー・ターリ

イトー・ターリ(いとー・たーり)

1951年 東京生まれ、在住 パフォーマンスアーティスト
1980年代後半からパフォーマンスアートを始め、国内各地、アジア、欧州、北米で活動。
エポックは1996年に行ったパフォーマンスでのカミングアウトだった。セクシュアルマイノリティであることについて考察し、パフォーマンスを行ったのだが、そのことは黙殺されている声や忘れ去れている事への「応答」へと導いていくことになった。
身体、ジェンダー、軍事下の性暴力、原発事故をテーマとした。また、ウィメンズアートネットワーク<WAN>(1994~2003)、PA/F SPACE(2003~2013)を運営、人が出会う場を思考した。
最近は筋肉が萎縮してゆく難病を抱えてしまったが、「身体」との旅を続けたいと思っている。
写真:Alisha Weng

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