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わたしの言葉を。Vol.5 いよいよ、重度訪問介護がやってくる!

イトー・ターリ2020.12.11

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重度訪問介護支援(障害者総合支援法内)を長らく待ちわびた。進行性の病と聞かされた時に、あの生活ならやっていけると思い、気持ちを楽にさせてくれた制度だから。

実は病気が判明する前の3年間、私は昼間の7時間、重度訪問介護をして働いていた。洗濯し、食事を作り、お使いに行き、一緒に外出しレストランに入ったり、利用者さんが居眠りすれば私も眠りかけ、電話をかければ電話器をホルドし、トイレとなればいそいそと介助する。利用者さんの手となり足となり、それは徹底したものだった。自立生活のためのサポーターだ。長い時間いるのだから会話も弾み、その人柄に触れてゆく。考えさせられることが色々あったけれど良い時を過ごさせてもらった。

初めて訪問した利用者さんのところで、あの東日本大震災に遭遇した。遅い昼食を済ませ、話をしていた時に、グラグラガタガタときた。天井を見るしかできない利用者さんが「怖いよー、怖いよー」と叫ぶ。私も潰されたくないと思い、強い揺れの中で「外に出よう」ということになった。脚を持って体を引きずり、玄関のところで胸を抱いて、エーィと外に出た。無我夢中の馬鹿力、気づけば外通路で寄り掛け合っている二人。冷たい風が肌を刺した。隣の住人の母娘も通路に立ち尽くしていた。

運よく客人が来ることになっていたので、一緒に部屋に移動した。部屋に入ると2、3のものが床に落ちているだけだったので、気恥ずかしい思いがした。

あの外に出た判断は良かったのか、未だにわからない。介助者としてどうだったのだろう。しばらく経って、利用者さんのうららさんに聞くと「ほっぺたがあたってて安心した」と言ってくれた。

強烈な重度訪問介護初日の洗礼だった。

下之防修子監督が撮った佐々木千津子さんを描いたドキュメンタリー映画「ここにおるんじゃけえ」を見ると、ヘルパーと利用者が繰り広げる生活のあり様、そして人としてのやりとりからその世界の豊かさを知ることができる。ぜひ見て頂きたい世界だ。

昨夜、思いがけなく『こんな夜更けにバナナかよ』がテレビで放映されて、じんわりと見ていた。後半のいいところで玄関のチャイムがなって、私のヘルパーさんが入ってきた。30分の滞在でトイレと着替え、ベットへの移乗をしなければならない訪問介護、映画どころでなくなって、音声だけが虚しく聞こえていた。「映画を見ているので待ってください」と言えないよね~。30分ではね〜。

ヘルパーさんは寒い中自転車で飛ばしてくる。仕事ととは言え、大変だ。
ヘルパーをしていた私は両方の気持ちがわかる。何の因果で介助を受ける側に回ってしまったのかわからないけれど、受けて立っていこうじゃないの。

重度訪問介護ならば生きていけると思っていた私は今回の重度訪問介護申請に至るまでに長い時間を費やした。63歳半から65歳になるまでの1年半を障害者として過ごしていたにもかかわらず、強制的な自立支援課の指導によって、介護保険の範疇に入ってしまった。この切り替えの前に、進行性の難病と診断が出ていたのだから、将来を見越した的確なアドバイスを当時の相談支援専門員から受けていたら、あるいは私がもっと知識を持っていたら、障害者の権利を放棄せずに持ち続けることが出来たはずだ。そうすれば、4年半の生活は異なったものになっていただろう。

少なくとも、市の介護保険の窓口で、要介護5の後は病院か療養施設行きだと身も蓋もない言葉を浴びせられ、またケアマネからは要介護5を使い切らなければ重度訪問介護は受けられないと根拠のない市の指導を真に受ける言葉を何度も聞かされることはなかっただろう。どうして、市民の質問に脅かしの言葉が先に立つのか。これでは諦める人が後をたたないのではないか。それが狙いか。

4年間のうちに、介護保険制度下の生活に徐々に慣れていった。駒切れの介護時間が効率を先行させる四角四面な陣取りゲームのごとくに埋まっていく。起床から就寝までに、日々4つ、6つのスケジュールに対応するのだから超忙しい。必要だから介護が増えていった結果なので不満を言うのは筋違い。私の場合は普通の母の様な要介護人と違って、お医者さん、看護師、作業療法士、理学療法士、身体介護ヘルパーが加わるのである。こんな日常ありえへん!!介護受給というお仕事をしているみたい。トイレの介助を頼みたいけれど、生活介護のヘルパーさんに身体介護は頼めない。ちょっと手を貸して!

そのうち、私の身体が悲鳴をあげて、安眠できないよーと訴えることと相成った。寝返りができず、脚が痛く眠れない。体位を変えてくれる人が欲しい。寝不足の昼間は頭がボーッとして回らない。パフォーマンスへの気力も遠くなる。本も集中できず読めない。

要介護5を使い切るまで待ってられるか。「私」が消えていくのはごめんだ。というわけで、重度訪問介護を申請した。「安眠したい」がその申請理由。

10月の末、面談を申し出、友人の大野さんと市役所へ。みんなのアドバイスと応援を胸に出かけた。思いの丈を話し、大野さんも言葉を加えてくれた。担当のケースワーカーはしっかり聞いてくれた。1週間後、市の担当者から連絡があり、市の担当者、ケアマネージャー、障害者自立生活支援の相談員、私の4者で話し合いをしたいと言ってきた。オブザーバーとして友人の沢部ひとみさんにも立ち会ってもらい、話し合いに臨んだ。担当者は夜間に重度訪問介護支援を毎日出すと回答した。え、支援するってこと! 私は初めから毎日はきついと答える。その後、障害支援区分認定調査を受け、相談支援専門員も決まり、トントンと進み、12月中旬に市の決定が下る方向で進んでいる。こんなに順調に進むとは思っていなかった。病気がALSだからということもあるようだ。しかし、今回、事が早く進んだのは相談支援専門員になってくれた人のサポートにあると思う。

3年前社会福祉センターのリハビリ台で身体を動かしたくて、グループを名乗り部屋を借り出した頃から知り合いになり、話を聞いてもらったり、「身体障がいのある人と周りの人の集まり」の集会チラシを渡したり、映画上映会にきてくれたり、パフォーマンスを見に上野まで来てくれたり、すごく応援してくれた。昨年は在宅医療の東郷先生の講演会の案内をくれて、それが縁で東郷先生に訪問診療をお願いすることができた。今回の件でも相談に乗ってもらっていて、相談支援専門員になってもらえないかと持ちかけたのは私だった。本当に大変な役目を引き受けてくださりありがとう。

いよいよ、これから本格的な介護生活が始まる。介護保険と障害者自立生活支援の重度訪問介護の共存が始まる。私にとって新しい制度に乗って、巡り会うヘルパーさんたちといい時間を持てるようにやっていきたい。

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イトー・ターリ

イトー・ターリ(いとー・たーり)

1951年 東京生まれ、在住 パフォーマンスアーティスト
1980年代後半からパフォーマンスアートを始め、国内各地、アジア、欧州、北米で活動。
エポックは1996年に行ったパフォーマンスでのカミングアウトだった。セクシュアルマイノリティであることについて考察し、パフォーマンスを行ったのだが、そのことは黙殺されている声や忘れ去れている事への「応答」へと導いていくことになった。
身体、ジェンダー、軍事下の性暴力、原発事故をテーマとした。また、ウィメンズアートネットワーク<WAN>(1994~2003)、PA/F SPACE(2003~2013)を運営、人が出会う場を思考した。
最近は筋肉が萎縮してゆく難病を抱えてしまったが、「身体」との旅を続けたいと思っている。
写真:Alisha Weng

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