昔の本を読んでいる。
2003年出版、松井やよりさんの自伝「愛と怒り 闘う勇気」(岩波書店)。
松井さんは、私の世代にとっては“生きているフェミニスト”の一番先輩のような存在だった。1934年生まれの朝日新聞記者。朝日新聞が800万部刷られていた時代、どんな小さな記事であっても書けば伝わる・・・という意思をもって取材し、女性の人権、アジアの女性たちの困難、日本の戦争加害について書き続けた。今の50代は、新聞記者としての松井さんの仕事に触れることができた最後の世代だ。「女のニュース」が家庭欄に留められていたような時代、松井さんの手によって書かれた「女を巡る社会」は、女性たちを人生を変える力を持つものだった。
「愛と怒り 闘う勇気」は2003年4月、松井さんの死後に出版されている。末期がんが発見されたった82日後に松井さんは亡くなった。68歳の人生だった。アカデミアのフェミニストとは違う活動家であり、実践の人であり、たぐいまれなリーダーであり、行動の人であった。
私は生前の松井さんに会うことはかなわなかったが、松井さん逝去のニュースを知り、いても立ってもいられない思いで渋谷の東京山手教会で行われた告別式に女友だちと参加した。教会のステンドグラスから差し込む光の柔らかさ、会場に溢れる様々な世代の女性のつながりが印象的で、私は松井さんは春に亡くなったのだと思いこんでいた。それほど、女性たちの松井さんへの敬意と感謝に溢れていた、やさしい時間だったのだ。調べると、松井さんは2002年12月27日に亡くなっていて、告別式は大晦日の前日、12月30日に行われていた。
松井やよりさんが亡くなって24年。今、なぜこの本を読まねばと本棚から取り出したかといえば、今年、買春者処罰の検討に向けて国が動きだしたからだ。
松井さんは仲間と共に「買春」という言葉をつくり、「買春」という言葉を新聞で批判的に使った最初の記者だった。
1973年、韓国の金浦空港で女子大学生たちが「売春観光反対」のデモをした。空港でデモがあったということからわかるように、当時、日本の男たちは韓国に買春ツアーに大挙して押し寄せていた。松井さんが取材をしていくと、旅行会社が買春込みでパッケージしているツアーに年間50万人もの日本人男性が参加していることが見えてきた。ところが当時の日本で、それはあまりにも男にとっての当たり前の日常であり、松井さんによる買春を告発する記事は取り上げられず、むしろ朝日新聞社内で別の男性記者が「貧しい国に女がいる限り、国際売春は絶えない」ということを堂々と書いたりするほど反発は大きかったという。
本の中で松井さんははっきりこう書いている。
「買春観光問題は社内での私の立場を決定的に悪くした。ウーマン・リブというレッテルを貼られてしまったうえに、今度は『買春記者』というイメージがついて、社内で私の居場所がなくなるのを感じた」
それでも松井さんは買春する日本人男性の問題を追いかけ、買春が性搾取と経済搾取であることを告発し続けた。イデオロギーによらず、現場に出向き、声を聞くことを自分に課し書き続けた。社内で迫害されても、800万人に届く新聞に書ける立場を、聞かれることのない女性たちの声のために守り続けたのだ。松井さんは、定期で採用され定年まで働いた朝日新聞最初の女性でもある。
松井さんは記者としてだけでなく、活動家としても果敢だった。
日本の戦争責任問題では話があう左翼の男性たちであっても、買春問題には口を噤む男性が少なくなかったなかで(今と同じ)、女性たちと「アジアの女たちの会」(後の「アジア女性資料センター」につながる)を立ち上げ、記者としての枠を超え、国境を越え、女性の人権のために行動した。
松井さんが現役の記者だった時代、日本は世界一豊かな国になっていった。
貧しさ故に性を売る日本人女性の姿は見えてなかったのかもしれない。松井さんの関心は国内の性搾取ではなく、経済格差が激しいアジア諸国への日本人男性による性の侵略だった。しかも70年代には買春ツアーで海外に行っていた日本人男性たちは、80年代になると海外から女性たちを連れてくるようになった。松井さんによれば特にタイ人女性に対する人身売買は苛烈で、欺され来日し監禁された女性たちが、自分たちを管理するタイ人女性を殺すという事件も起きるようになった。そういう事件を松井さんは丁寧に取材をした。
もし松井さんがご存命だったら今の日本をどう見るだろう。女性たちが貧困に喘ぐ2026年の日本。性産業に居場所を見いだすような状況に女性たちが追い込まれている。そんな社会になるなんて、いったい誰が想像しただろう。フェミニストが「性産業を批判するのは職業差別」と、性産業を肯定する時代になるなど、松井さんは想像できただろうか。
本の中で松井さんは日本人の女性には3つの自立が必要だと、記している。それは経済的な自立、精神的な自立、性的な自立だ。なかでも性的自立は難しいと松井さんは言う。
「巨大な性産業やポルノ文化をはびこらせ、あるいは『買春社会』などといわれるほど、女性の性をおとしめる形で日本の性風土が作られている状況なので、それに抵抗して変えていくのも容易ではない。メディアは女性に対して暴力的で、性差別的な表現が氾濫している。『これは人権侵害だ』と女性たちが抗議すれば、『表現の自由だ』とものすごい剣幕で反撃されてしまう。だが、女性の人権を侵すまでの表現の自由は無制限、無限定でいいのだろうか」
今、性産業で働いてきた女性たちが「あれは暴力だった」という声をあげはじめている。
松井さんの時代から比べても、今はポルノを含めた性産業はますます肥大化し常態化し、その入り口はますます広がり、一大産業となっている。ただ圧倒的に過去と違うのは、性産業に取り込まれた女性が、声をあげはじめたことだ。
イデオロギーを警戒し、最も痛み付けられている声によりそうために描き続けた松井さんであれば、今の日本で起きている性搾取に黙らず、声をあげた女性たちにきっと寄り添うことだろう。
松井さんは女性が声をあげることは容易ではないことを自らの体験として知っており、しかも声をあげたとて勝てるわけではないことも知っている。その上で「それでも」とこう記す。
「つねに負け戦をやってきたのではないかと自問することが多い。しかしそのとき浮かんでくるのが、二〇世紀最後の一〇年間に女性たちがなしとげた正義を実現する闘いである。それは女性に対する暴力との闘いである」
松井さんの晩年は、「慰安婦」女性の声に寄り添い、日本の戦争責任を、明確にいえば天皇の戦争責任を問う闘いだった。その過程での凄まじいストレスは、きっと松井さんの死を早めただろう。それでも、松井さんは突き進んだ。そして死を前にして自分の人生を書き残し、女性たちに諦めず勇気をもって行動してほしいと、願いを込めた。ペンを持たなかったのは最後の4日間だけだったと、松井さんの妹弟さんたちが本の最後に記している。
松井さんの前にも、たくさんの女性たちが、この国で常態化している買春問題に取り組んでは、道半ばで倒れてきた。それでももう、これ以上、倒れるわけにはいかない。
買春は性と経済の2重の搾取である、と明言した松井さんは「エリート女性」として”彼女たち”の声を聞いたのではない。
松井さんの同期に女性はいなかった。松井さんは、朝日新聞史上3人目の女性記者だった。女性だからこそ期待されず、女性だからこそ疎まれ、女性の書く記事だからと扱いは小さくされ、そえでも諦めずに「聞かれなかった声」を聞くために記者でい続けた。それは、松井さんが本気で女性たちと世界を愛して、怒り続けたからなのだろう。その松井さんの遺志を、2026年改めて私は力強く握りしめたいと思う。
今年は、買春問題を大きく前進させたい。大きな問題にしていきたい。20年以上書かれた松井さんの「遺書」を読みながら、そう思う。

PS 書こうかどうか迷いつつ、余談として。松井さんが遺したアジア女性資料センターについて。
松井さんは、ご自身の仕事部屋兼資料室として所有していたマンションを、「アジア女性資料センター」の拠点にします。これまで「アジア女性資料センター」の継続に力を尽くされてきた方々の努力に敬意を払いながらも、近年のアジア女性資料センターが、性産業を労働として捉える発信がなされていることには、重たい気持ちになります。「セックスワーク・イズ・ワーク」は松井さんがご存命であれば選択しなかった道でしょう。














