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母の死と向き合って

深井恵2020.11.11

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母のネタが続いて申しわけないところですが、それも今回がラストです。よろしければラスト1回、おつきあいください。

看護師の嫌がらせがなくなって1週間ほどした日、担当医から職場に電話がかかって、母が100 CCの吐血をしたと告げられた。吐血をしたものの、血圧も100を超えているし、呼吸も正常ということだったため、いつも通り、勤務時間が終わってから母の病院へ向かった。弟にもメールで吐血の件を伝え、血圧と呼吸は大丈夫と連絡した。
病院に着くと、母は「あんた何歳になったの?」「〇〇(弟の名前)は何歳になった?」と繰り返し聞いてきた。認知症が始まっていた母だが、認知症になっても、私たち子どものことを心配してばかりいた。母とひとしきり話をした後「また明日来るよ」「うん」と言葉を交わして病院を後にした。

その翌日の午後3時半過ぎ、「昼から急に容体が悪くなった。ここ数日が山」と緊迫した電話が担当医からかかった。職場の管理職にその旨伝えたところ、遠慮なく休みをとって最期を看取れるようにと言ってくれた。明日からの授業の手配をすませて、勤務時間後に病院へ向かおうと車に乗り込んだ瞬間、再び担当医から電話がかかった。「急いで来てほしい。危篤状態だ」とのことだった。県外に住む弟にすぐに帰ってくるようメールした。数日間病院に泊まる覚悟で、準備をしてからすぐ病院に向かった。病室につくと、母は目を開けてはいるが、焦点が定まらない状態だった。担当医から、すでに意識不明の状態だと告げられた。下あごを上下させて呼吸をしている、末期の呼吸だと説明を受けた。酸素吸入をして酸素濃度は90を維持できているという。もう二度と母の声が聞けないのかと、突然訪れた母の意識不明に呆然とした。

「意識がなくなっても耳は聞こえているはずだから声をかけてあげてくださいね」と看護師に言われた。
母のベッドのそばに座り、点滴をされていないほうの母の手を左手で握り、右手で母の額をなでた。そのとき、母の目が動き、焦点が定まって、私のほうをしっかりと見て、唇が動いた。「め・ぐ・み」と、はっきりと私の名を口にした動きだった。それが、母が口にした最後の言葉だった。

看護師が病室に簡易ベッドを運び込んでくれた。前金で1000円預かり、一泊につき100円かかるが使わなかったものは返金されるという。何泊することになるのかわからなかったが、体力勝負だなと思った。看護師からは、「先が長くなるから、夕ご飯を食べたり、簡易ベッドで休んだりしてくださいね」と言われた。
母の手を左手で握り、右手で母の額をなでながら、「育ててくれてありがとう」「もうすぐ〇〇(弟の名前)が、帰ってくるよ」「ばあちゃんが守ってくれる」と何度も繰り返し母に言った。この「ばあちゃんが守ってくれる」は、母の口癖だった。
母は、幼いころに実母をなくし、祖母に育てられた。祖母(私にとっては曽祖母)は、私が中学生の頃に亡くなったのだが、曽祖母の死後、母は何か心配事があると、「ばあちゃんが守ってくれる」と口にしていた。「不幸中の幸い」な出来事があったときには、「ばあちゃんが守ってくれた」と感謝して、仏壇にお参りしていた。
苦しそうな呼吸をする母の手を握りながら、明日弟が帰ってくるまで眠らないでいようと、徹夜を覚悟した。

私がちょっと母のそばを離れたその瞬間に、母が逝ってしまうことも避けたかった。売店で夕ご飯のお弁当を買いに行くために病室を離れるときも「今から売店でご飯を買ってくるから待っていて」と母に言い、トイレに行くときも、「いまからトイレに行ってくるよ。すぐ戻ってくるから待ってて」と母に言って、素早くトイレから戻った。
母のそばには、脈拍や酸素濃度、血圧などを計測する機械が備え付けられていた。医療関係のドラマでよく見かける機械だ。しかし、その機械からものすごく強力な電磁波が出ていたのか、そばにいた私は頭が重たく気分が悪くなってきた。コードを目一杯伸ばして自分のいる場所から遠ざけても、気分が悪くなる一方で、耐えられそうになかった。

もともと電磁波には敏感に脳が反応する体質で、コードレスの受話器や携帯電話での通話は、頭が熱を帯びて気分が悪くなるので、できるだけ避けている。やむを得ず看護師に、「この機械、遠くに離してもらえませんか。電磁波で頭が痛くなってきたので」と頼んでみた。すると、「いいですよ」と小型の機材を用意してくれた。取り替えられた機械は、スマートフォンより小さいサイズで、脈拍や酸素濃度等の表示画面はなかった。後からわかったことだが、小型の機械に換えてからは、病室から離れたナースステーションから脈拍等の数値を見ていたようだった。
機械を取り替える直前、酸素濃度が34と表示された。母の呼吸も弱くなっていた。看護師に「いま、酸素濃度が急に低くなりましたよね。呼吸も浅くなってきたと思うんですが、大丈夫なんですか?」と聞いた。
「機械の反応が悪いだけです。大丈夫ですよ」看護師にそう言われたが、自分としては納得できなかった。死がすぐそこまで迫っているのではないかと「数日が山」と言った担当医の言葉を疑った。何とか明日弟が帰ってくるまで生きていてほしい。「もうすぐ〇〇(弟の名前)が、帰ってくるよ」「ばあちゃんが守ってくれる」と、母の手を握り、額をなでながら、何度も何度も繰り返した。

しかし、その日の深夜、母は静かに息を引き取った。大型の機械があれば、心拍が0になって、ツーッという音とともに画面にラインが走るところだろうが、そんな画面はない。自分の目で、母が息をしなくなったのを確認した。23時32分だった。それから10分ほどして、看護師が病室に入ってきた。ナースステーションから画面を見ていたが、10分ほど前に母は心停止したとのことだった。死亡の確認のために、担当医がこちらに向かっていて、もうすぐ到着するという。担当医が到着して、23時51分、死亡が確認された。この時刻が公式の死亡時刻だ。しかし、自分の中では、23時32分が母の死亡時刻だった。

母の死亡が確認されてから、急にあわただしくなった。葬儀社にすぐ連絡して、遺体を運んでもらう手配をするように看護師に言われた。それと同時に退院準備だ。病室にある母の持ち物をすべて片づけて車に積み込んだ。
近くの葬儀社に電話し、手配した。葬儀社のスタッフから、遺体を直接葬儀社に運ぶかいったん自宅に戻るかたずねられた。コロナ禍で入院中に思うように外出できなかった母は、「家に帰りたい」と何度も言っていたので、一度自宅に連れて帰ることにした。
葬儀社のスタッフは1人。母を自宅に運び込むのに、スタッフと私の2人だけでは難しいと判断し(十数年前に父が亡くなったとき、葬儀社のスタッフと母と弟と私の4人がかりだったことを思いだした)、親友に無理を言って手伝ってもらった。深夜の1時過ぎだった。
母を仏壇の前に横たわらせた後、葬儀一連の打ち合わせが始まった。まずは朝一番に出すという死亡届の記入。火葬許可をもらわないといけないので、市役所が開いたらすぐに死亡届を出すという。

死亡届を書き進めると、「未婚・死別・離別」の記入欄があった。母の死亡と、死別や離別がどんな関係があるのか、めんどくさいなぁと思いながら、「こんな欄、どうして必要なんですかね。書かなくてもいいですか?」。葬儀社のスタッフとそんなやりとりをした。
次は葬儀の詳細。生前、母は「家族葬でよい。親戚も誰も呼ばずに、あんたたち子ども2人だけで見送って」と言っていたので、コロナ禍でもあるし、家族葬にした。遺影は、ずいぶん前に母自身が用意していた。おしゃれして帽子をかぶった写真だ。いつものお出かけスタイルだった。
葬儀社側は、家族葬のセット価格が一覧になったパンフレットを用意していた。遺影代も含まれているという。
「遺影はあるから、その分を除外してください」と言うと、セット価格でなくてそれぞれ単品で計算すると高くなりますと返された。それっておかしいでしょ、遺影はいらないんだから…と、ここでも細かい交渉が始まった。
火葬場をどこにするか(市町村合併したため、市内には2カ所火葬場がある)、葬祭場から火葬場までの霊柩車のルートをどうするか、死に装束や棺に入れる品々の準備、お寺との打ち合わせなどなど、考えなければならないことや、しなければならないことが目白押しだった。寝る間どころか、母の死を悲しんでいる暇もないほどだった。

胃がんで、食べたくても食べられなくなっていたので、母が食べたがっていたものをたくさん棺に納めた。デパートに出かけるのが母の唯一の楽しみだったので、死に装束はお出かけスタイルにして帽子もかぶせ、デパートの前を通って火葬場に向かうルートにした。火葬場まで遠回りになるから別途料金がかかると葬儀社のスタッフに言われたが、最後の親孝行としてグッジョブなのではないかと、我ながらクスリと笑ってしまった。そんなこんなで葬儀が終わり、母が亡くなってからそろそろ1カ月が経とうとしている。母の死後の諸手続や実家の後片づけ、畑の維持管理などバタバタした日々だ。

弟は県外なので、すべてをほぼ一人でしなければならないと思うと頭がクラクラするが、母の死と向き合ったことで、いずれ訪れる自分の死とどう向き合うか、これからの人生、どう生きるか、ようやく本気で考え始めた今日このごろである。

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深井恵(ふかい・めぐみ)

九州某県の高校日本語教員。
日教組の「教え子を再び戦場に送らない」に賛同して組合加入。北原みのりさんとは、10年以上前(ジェンダー・フリー・バッシングがひどかった頃)に組合女性部の学習会講師をお願いして以来の仲。

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