ラブピースクラブはフェミニストが運営する日本初のラブグッズストアです。Since 1996

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コロナの1年が過ぎた。家にいる時間が増えて暮らしはずいぶん変わった。
去年の春先から近くの公園で早朝6時半のラジオ体操とウオーキングを始めている。
規則正しい食事と運動、仕事はオンライン優先にして、家での静かな時間が心地いい。

そろそろ仕事と生活を見直そう、身のまわりを片づけようとしていた時期とかぶり、そこは運がよかったとしか言いようがない。

時間ができて、誰もが思いつく断捨離は私も同様で、捨てることから始まった。倉庫も押し入れも、なくても困らないモノがこんなに多かったのか。まだ捨てられるな。食器も服も本も。そして、車と、最後はこの家、だろう。
好きなモノだけに囲まれて暮らすミニマリズム。遠いけど、目指そう。

築40年の古い家に住んでいる。お日さまがたっぷり差し込む居間と小さな庭は古くても心地いい。この先どうなるかわからないが、思い切ってリフォームに重い腰をあげた。クロスもふすまも玄関ドアも、ピンクやブルーの好きな色で思いつくまま改修したら、ますます家にいるのが好きになった。

もう余分なモノは買わない、持たないを目指そう。(と言いきかせている)
そう思いつつ、30年愛用したひじの皮が擦り切れたリクライニングチェアはこの際どうにかしたい。それが、ふらりと立ち寄ったお店で出会いはあった。深いグリーンのスッキリしたスタイルで値段も手頃、一目ぼれで即決した。トルコレースのキラキラ刺しゅうがかわいいカーテンを思い切って新調した。カーテン越しに外を見るのが楽しい。
今を大事にして暮らしたい。

一方、所属するフェミカンルームは開設22年目の昨年は、多くの事業が成立せず厳しい収支におちいっている。年度契約の委託事業でほそぼそとつないでいるものの、講演会や講座の延期と中止、講師依頼の減少、カウンセリングの半減と、人と関わる仕事だけにコロナ禍の影響をまともにかぶっている。

民間の女性団体は、スタッフがボランティア覚悟で身を削らないと維持できない組織である。残念ながら、そうしないとまわっていかない業務はヤマとある。自助で組織を支えて永らえてきた

フェミニストカウンセリングに出会ったのは90年代半ば。
私も若く熱かった。フェミニズムとジェンダーにどっぷり関わって走り続けてきた。
10年、20年、コツコツとフェミニズムの世界で貢献してきた自負はある。ただ、やりたいことをやるためには、副業を兼ねないと成り立たない。その現状は今も変わらない。それでは後進が続かない、人材が残らない。残念ながら、やる気のある有能な人たちが去っていくのはやむを得なかった。
フェミカンは今、高齢化が喫緊の課題。キャリアを引き継いでいく人がいない。どうしたものか、ではすまない。
フェミニズムでは食べていけない時代を生きてきた。女性の権利を掲げながら、情けない限りだが、あきらめず、フェミ道を歩いて来たことを誇らしく思いたい。

1月のオンラインフラワーデモでオガワフミさんが言っていたように、自治体の相談員など女性支援の現場を担う人たちも、厳しい条件のもとで奮闘している。
ほぼ嘱託や非正規で、年度ごとの契約、福利厚生が必要ない範囲の相談体制しか取っていない自治体は多い。つまり予算をつけない不安定雇用だ。
職員は異動で次々変わるなか、高い専門性が必要な現場で都合よく使われている。ここでも自助。相談員が孤軍奮闘して現場を支えているのに、もっと敬意を払ってほしいものだ。

最近は若いフェミニストたちによるフェミ発信や社会への提言などが、力強くてまぶしい。頼もしくてわくわくする。続々と立て続けに開催されているオンラインセミナーについていくのに忙しい。フェミのエネルギーがあふれていて希望を感じている。

フェミニストカウンセリングで学んだものは限りない。
この先も私のフェミカン人生は続くが、もうムリをしない。自分スタイルでいく。
つまり、まあ、もう若くはないという話になる。
なんだか辞世の言葉に聞こえるか、いやまだ終わるわけじゃないので。元気ですよ。

昨春の緊急事態宣言による休業やオンラインカウンセリングへの移行になってから、連絡が途絶えてしまった人の中には気がかりなケースがいくつかあった。
ところが、ここぞ、というときには連絡があるものだ。
気になっていたクライエントから久しぶりに連絡が入るのは、たいてい何か起きている。オンラインのおかげで途切れていた糸を結びなおすチャンスが生まれている。

世界では、コロナの外出自粛やテレワークでDVや虐待が増加する危険があると、すでに昨年の春、懸念と警告が出されていた。
日本でもDVプラスやSNSによるホットラインなど、相談体制は強化されてきた。
だけど、相談だけでは片づかない。問題は加害者が引きおこしているんだから。DV法は被害者を守るためにあるだけで、加害者処罰規定や性差別、性暴力禁止法のない法制度の不備を何とかしろって叫びたい。

コロナ禍の影響は確かにある。家を出た人、これから出ようとする人と、さまざまだ。
カウンセリングを通して、夫婦関係とDV問題がわかっても、だから離婚するとか家を出るとか、そう簡単に結論が出せるものではない。
自分の問題はいったいなんだったのか、DVとわかり、被害を受け止め、夫婦としてあるまじきことを強要され、モノ扱いされていた生活に気づいても、「離婚はしない」とキッパリ言う人もいる。
「あなたの人生はあなたが決めていい。でも事実から目を背けないで」そう返している。

カウンセリングで自分の問題を見つめなおすことは楽ではない。いずれ楽になる自分を見つける日が来ると思うが、時間がかかる作業である。
「アイツは加害者で、私は被害者なんだ、あ~やっぱり」そう納得して、結論をスッキリ出せる人はもちろんいる。
でも、たいていは、できれば認めたくない、目をつぶれるなら、避けて通れるなら、相手が変わってくれるならと、そんな期待と失望を繰り返して、事実を受け入れて自己決定するのに何年もかかるケースは多い。
とっくに限界を超えていても、今の生活を失ったらどうなるのか。失うものの大きさ、手放すことの不安、見えない未来……。理由は数え切れない。

コロナ禍で在宅勤務となった夫との生活で、決断が早まったケースがある。
夫の暴力性も、夫婦関係が破綻していることも、十分わかっていても、いざとなると怖いもの。勇気なんて、簡単に出せるものじゃない。でも、
「これ以上何をしてもムリだとわかった。もう自分の人生を生きたい」
「家を出てみて、夫のことなんて、もうどうでもよくなった!」
迷いがなくなると、行動が早いのはよくあること。解放された表情がすがすがしい。
DVに強い弁護士とつながり、調停にのぞむ展開を聞いて、こちらが驚くこともある。

自尊感を取り戻していくプロセスは、自分を語りながら、自分の中から生み出される。
何を侵害されていたのか、自分の中で腑に落ちて、腹に落ちて、迷いがほどけていく。
苦しかった意味が見えてきて、やっと前を向ける。
そこを急いでしまうと、せっかく決めたことやその後の支援が意味をなさない。

コラムを書いている最中、Dさんから連絡が入った。子どもと家を出ることを決めた、連絡が取れなくなる前に会っておきたかったと言う。オンラインの画面越しに不安な様子が伝わってくる。

会えてよかった。そう、決心したのね。
不安だよね、わかるよ。腹が決まったら何とかなるの。あなたには乗り越える力がある。あなたの勇気と行動を応援しているよ。
自分の尊厳を取り戻して、自分の未来をどうするか、自分で決めたんだもの。
日常が回復したら、また会おうね。

画面越しに、泣きじゃくるDさんに言葉を選びながら声をかけた。
無事でありますように。

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具ゆり

具ゆり(ぐ・ゆり)

フェミニストカウンセラー
フェミニストカウンセリングによる女性の相談支援に携わっている。
カウンセリング、自己尊重・自己主張のグループトレーニングのほか、ハラスメント、デートDVやDV防止教育活動など、女性の人権、子どもの人権に取り組んでいる。
映画やミュージカルが大好き。
マイブームは、ソウルに出かけてK-ミュージカルや舞台を観ること。

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