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禁断のフェミニズムVol.15 ラブピ25周年に寄せて私のプレジャーについて考えてみた

相川千尋2021.08.17

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ラブピースクラブの25周年を記念して、8月27日に北原みのりさんとラブピ25年の歩みを振り返るトークをすることになった。女性による女性のためのセックストイショップが日本で25年も続いてきたというのは、あらためてほんとうにすごいことだ。北原さんがどんな気持ちでラブピを立ち上げられたのか、そこからの道のり、見てきた世界について聞いてみたい。

ラブピが生まれた25年前の1996年といえば、私は14歳の中学2年生だった。あのころ私に見えていた「性」の世界はとても小さく、狭いものだった。そのころにはもう「anan」のセックス特集もあったし、「おちゃっぴー」などの10代向け各種エロ雑誌も書店に行けば買うことができたのだけど、私はそういった雑誌には興味がなくて、代わりに当時まだ「やおい」と呼ばれていたBLコミックを読んだり、おもしろ半分で友達とAVを見たりしていた。

BLやAVは友達が調達してくるので、私は当時好きで集めていた「ガロ」というオルタナティブ系コミック誌や、先ごろパワハラが問題になったアップリンクが発行していた「骰子」という映画雑誌をお返しに貸したりしていた。サブカルチャーと言ってもいろいろなのだけど、そういう雑誌にはテレビで見るようなのとは違ったエロとか性の話題が掲載されていた。

それは、たしかにある意味では対抗文化だったのだけど、その中にも偏りがあったというか、男性読者の目線に同化して読むべき内容が多かったと思う。首輪をつけた少女の四肢を切断して犬に見立てた会田誠の「犬シリーズ」を初めて見たのも「骰子」の紙面上だったのだけど、おぞましく感じた気持ちを最初、私は自分で自分に認めることができなかった。「これはアートなんだから」と納得しようとしていた。アートにツッコミを入れてもいいと知ったのは、大学に入ってフェミニズムの美術史を学んでからだった。

ラブピができた1996年という年はまた、「援助交際」という言葉が流行語に選ばれた年でもあった。そのころ、援助交際はたしかに流行していて、私が通っていたまじめな高校にも援助交際をしている同級生がいた。その同級生の彼氏が客を連れてくるのだとか、そんな話まであった。ほかにも、友達の友達が、高校受験の日に電車で隣の席に座った男から「3万円、3万円……」と言われ続け、3万円での売春を持ちかけられた話だとか、いろいろ聞いた。気持ち悪いとは思っていたけれど、私たちの感覚は麻痺していて、3万円の話なんかは笑い話だった。援助交際を女子高校生の主体性だとして正当化する議論も、なんとなく耳に届いていて、どう考えればいいのかわからなかった。援助交際をテーマにした村上龍原作の映画「ラブ&ポップ』(1998年)を高校時代に見た時も、深く考えなかった。

10代のころの性と言えば、忘れられない思い出がある。中学校の友達があるとき「父親が体を触ってきて嫌だ」と言ったのだ。私にはすぐに事情が飲み込めなかった。腿のあたりを触ってくるという説明だったのだけど、私は冗談のようにして聞き流してしまった。当時は、そのことの持つ意味がよくわかっていなかった。せめてまじめに聞いてあげればよかった。

そういえば、これも中学生のころに、また別の友達と同人誌の即売会に行ってロリコン系エロ漫画雑誌のバックナンバーを立ち読みしていたときに、大人の男に話かけられたことがあった。なんと言われたのか覚えていないけれど、子どもに性的に接近したがっている雰囲気を感じて、私たちは逃げた。私と友達は、ただ自分たちの楽しみのために有害コンテンツを消費したかっただけなのに、それは女子には許されていないというか、私たちこそが性的に消費され、搾取される側なのだった。北原さんが起業された90年代を、私はこんなふうに生きていた。

大学生になったのはちょうど2000年だった。フェミニズムに対するバックラッシュの勢いが強かったと言われる時期で、世間でフェミニズムのイメージが悪くなっていることは私も感じていた。けれど、私の大学ではジェンダー研究がさかんにおこなわれていて、「ジェンダー研究センター」という機関もあり、新入生ガイダンスでもそのことはしっかり紹介されていた。授業も充実していた。

一方、そうしたジェンダー研究と性の問題は私の中では結びついていなかった。大学時代から付き合っていた男のせいかもしれないけれど、20代の私は、男社会で消費される性的コンテンツが体現しているようなセックス観をそのまま自分のものにしていた。何か特別なことをする派手なセックスというか、AVのジャンルのひとつになっているようなセックスを追求することが性を探求することだという思い込みがあって、社会人になってからは3Pをしてみたり、ハプニングバーに行ってみたりしていた。自分自身にとって心地よいかどうかということには、たぶんあまり興味がなかった。

「プレジャー」という言葉には、「快楽」という以外に「楽しみ」「喜び」という意味があり、自分を満足させて喜ばせてくれるものという語感がある。自分の心と体を喜ばせるものがプレジャーだとすると、20代の私は性について、プレジャーの視点からはあまり考えていなかった。膣オーガズムにこだわっていたけれど、それは自分の気持ちよさのためだけでなくて、セックスに花を添えるという意味合いも大きかった。

そういう私の感覚が少し変わったのは、『禁断の果実』というスウェーデンのフェミニズム・ギャグ・コミックと出会ってからだ。女性器や女性にとってのセックスが、男性たちによっていかに勝手に価値づけられ、意味づけられてきたかを、歴史をひもときながら暴露する本で、衝撃を受けた。

『禁断の果実』のオーガズムについての章によれば、女性はオーガズムをもっぱらクリトリスで感じているということだった。このことは17世紀の産婆の手引書にも書かれていたのに、啓蒙主義の時代や19世紀の医学、フロイトの理論を経て忘れられてしまったのだという。クリトリスが見直されるのは、1960年代に人間の性行動について調査したマスターズとジョンソンによる調査や、女性の性の実態を大規模なアンケート調査によってあきらかにしたフェミニスト、シェア・ハイトの『ハイト・リポート』が発表されてからだ。

『ハイト・リポート』が出版されたのは、今から50年も前のことだ。50年も前から知られている重要な事実を私は知らなかったのだ。「もっと早く、誰か教えてくれたらよかったのに!」と悔しかった。

けれど、よく考えてみると、誰かに教えられるまでもなく、私は自分の経験を通してクリトリスのことをほんとうは知っていた。私のクリトリスとの付き合いはとても長い。幼稚園のころにはその存在と使い方を知っていたし、幼稚園の友達の中にも気がついている子はいて、私たちは大人には見つからないようにこっそり楽しく遊んでいた。だから、ほんとうは最初から知っていたのだけど、そのことを語る言葉を知らなくて、いつの間にか私はクリトリスとそこから得られる感覚を二流のものだと感じるようになっていた。

ラブピ25周年に寄せて、私の25年を振り返ってみてつくづく思うのだけど、女性のプレジャーをないもののようにしようとする社会の圧力はとても大きい。私のようにぼんやりしていると、プレジャーについてあまり向き合わないままで過ごしてしまう。だから、プレジャーについて語って、啓蒙していくことはほんとうに大切だし、とても意味のあることだ。

その闘いをずっと続けて来られた北原さんが考えてきたことを、私はすごく聞きたい。

27日のトーク、ぜひ聞いてください。
https://www.lovepiececlub.com/column/16798.html

ご予約はコチラからです。https://bit.ly/2WWkGA2
27日金20:30〜

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