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禁断のフェミニズムVol.17 黒い服を着た男

相川千尋2022.01.07

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20代半ばにつき合った男は、黒い服を着た男だった。ひきしまった筋肉質な体つきで、すっと背筋が伸びた姿がとてもよかった。結婚していて、ずっと年上で、子供はいなかった。高校時代から8年ほどもつき合ってしまった、ひとまわり以上年上の予備校講師と別れようとしていたころに、折よく親しくなったのだった。人の話を、受け止めている風に聞くのがうまい男だった。

ある日、数人で飲みに行ったあと、新大久保界隈でふたりで飲み直し、ホテルに行った。「こういう時は、カップルについていくといいんだよ」と言うのでカップルを尾行していたら、ほんとうにホテルがあった。
「ピストン運動」という言葉がある。それまでつき合っていた予備校講師のセックスは、まさにシリンダー内部をただピストンが規則正しく往復するが如くであった。本人は自覚していなかったが、たぶんほんとうはセックスが嫌いだったのだろう。あんなにつまらなそうな顔で、つまらないセックスをする男を、私はほかに知らない。行為中、私はいつもまったく別のことを考えていた。相手もそうだったのかもしれない。

一方、黒い服を着た男は、ぜんぜん違ったクリエイティブな世界を私に見せたのだった。実に楽しそうにセックスをする男だった。よくしゃべり、体全体をつかって、快感を受け取っていることを自然に表現した。丁寧で贅沢な前戯をするタイプではなかったし、見方によっては一方的なセックスではあったのだけど、バリエーションに富んだユニークな体位や小さな技を次々と繰り出してきた。「現実にこんなことする人いるんだ」と、私はつい笑ってしまうのだけど、あまりに没頭している相手の勢いに飲まれ、余計なことを考える暇はないのだった。私は感動した。セックスが終わると、男は別役実の「空中ブランコ乗りのキキ」の話を、寝物語に語ってきかせた。

1週間後、ふたたびホテルに誘われた。初めて関係を持った翌日に送ったメールを無視されたことはなかったことにして、私は指定されたシティホテルに向かった。部屋には、白いユリの花束と赤ワインが用意されていた。私はあいにく生理であった。当時はまだ、ピルで生理をコントロールしていなかったのだ。仕方がないので、私たちは赤ワインをすすりながら、テレビのバラエティ番組を見た。ふだんテレビを見ない私は、つまらなそうな顔をしていたのだろう。「テレビはくだらないものもたくさんやっているけれど、すごくためになるものもあるんだよ」と諭された。

それからは、私からの誘いは断られ続け、男の気分次第で突拍子もないデートをする日々が続いた。金曜の夜に誘われて東京から鎌倉に行き、真っ暗な海を見て近くのホテルに泊まる、男の元愛人と一緒に演劇を見に行く、男の仕事関係者の作品を見に行き、たまたま会場に居合わせた男の知り合いらしき大学生の女の子と男が消える、早朝呼び出されたホテルで男が読む本の朗読を聞く、王子駅から飛鳥山をながめ、その後ホテルでピーター・グリーナウェイ「コックと泥棒、その妻と愛人」を鑑賞する、などなど。男はどこに行くにも、同伴者を連れて行かなくては気が済まないタイプだった。男の気まぐれで、ふたりで連句を巻いたこともある。連句とは、五七五と七七の句を順番につけていく俳諧の遊びだ。季節などいくつか決まりがあって、なかなか複雑である。メールで句をつけ合った。

男は編集者であったが、アーティストでもあった。芸術の世界は、私には到達できない世界であり、その世界に属しているという事実と男のエキセントリックさが、黒い服を着た男をこの上なく魅力的に見せていた。男が話す業界話を聞いていると、男が名前をあげる関係者全員が、男と肉体関係を持っているような妄執にとりつかれた。夜、残業をしていると、「あの男は今ごろ誰かとセックスをしているに違いない」という思いにしばしば囚われた。実際、男は私と共通の知り合いの女性の名前を片っ端からあげて「セックスしたい」と言っていたし、歴代愛人の話もよく聞いた。

月に1度か2度の頻度で、男の気が向いた時にだけ、セックスをしたり、どこかへ出かけたりした。日頃はほとんど交流がないので、ほんとうにセックスだけという感じがした。何がしたいのか、私のことをどう思っているのか、何度か聞いたが、「今は話したくない」などとはぐらかされるのだった。この男はコミュニケーションと対話に関する本を企画・編集していたが、本人は対話が成り立つ相手ではなく、不気味だった。不安定な関係の中で、私の気持ちを少しでも軽くしようという気が、男にはないのだった。

それなのに、私はこの男のことが好きなのだった。はじめ私は深く考えず、好奇心のままに行動したつもりだったが、すぐに心と体の区別がつかなくなった。性と愛の一致を理想とするロマンチック・ラブ・イデオロギーは、そんな名前がわざわざついているだけあって非常に強固で根深く、私の心と行動を縛っていた。しかし、そういうことがわかっていても、恋愛は理屈ではないのだった。

セックスフレンドという「体だけ」を謳う関係がある。性にまつわる感覚は多様なので、やってのける人もいるのかもしれない。だが、私の実感で言えば、セックスフレンドはツチノコと同じくらい実在の疑わしい存在である。そもそも、心の動きをともなわない性関係は、塩もスパイスもソースもかけずに赤身の肉を食べ続けるようなものではないのだろうか。そんなもの、おいしいのだろうか。飽きないのだろうか。しかし、黒い服を着た男から見たら、私はセックスフレンド以外の何者でもなかっただろう。

こんな関係が私にとっていいわけがないことはわかっていた。でも、「もう会わない」「別れる」と言うたびに、ものすごい勢いで引き止められ、私はいつのまにか機嫌を直して、また会うようになってしまうのだった。会えばその時は楽しいのだった。

ある時、「私のこと好きって言って」と頼んだことがある。男は「私のこと好きぃい! 私のこと好っきぃいっ!」と叫び、「アッハッハッハ。キャハハ」と高笑いした。「『私のこと好き』って言った」そうである。くだらないことで、よくはしゃぐ男だった。

とはいえ、「愛しています」と言わせたこともある。そのころ私はしょっちゅう友達に手紙を書いていて、黒い服を着た男にも、私が手書きで書いたものを読ませたいという欲求を抑えることができなかった。そのうち一通の返事として、男が「愛しています」と書いてきたと記憶している。後日、手紙の感想を言うと、「というか、今まで誰にも好きとか言ったことがない」と言っていた。

そういえば、私が海外旅行から帰ったときに、黒い服を着た男は、空港まで迎えに来てくれた。仕事帰りに家まで送ってくれたこともある。当時は、心を持たないサイコパスだと思っていたけれど、もしかしたらこの男の狭い心の中にも気持ちの揺れのようなものはあったのかもしれない。

私の周りにいた年上の女性たちは察していた。彼女たちは「時間の無駄」「あの人は、あの子と不倫してたっていう噂があるから気をつけて」などと、さまざまに警告を発してくれたが、もう手遅れなのだった。

そのころ、私はよく不倫小説を読んでいた。私は男を見る目はないが、本を見る目には自信がある。キャロル・クルーロー『ローズの場合 女性のための不倫ガイド』(小沢瑞穂訳)、フェイ・ウェルドン『女ともだち』(堤和子訳)など、すぐれた不倫文学は、どれも不倫する女の格好悪さと悲しさを、辛辣に、きっちりと描いていた。特にローリー・ムーア『セルフ・ヘルプ』(干刈あがた/斎藤英治訳)の中の一編「別の女になる方法」には心奪われた。この短編は自己啓発本をパロディにした文体で、主人公が平気なふりをしながら不倫で右往左往する様子を外側から淡々と、ときにユーモアをまじえて描いていく。

「彼はあなたに奥さんの名を教えます。パトリシアといいます。彼女は知的財産を扱う弁護士だそうです。(…)彼に『妻がいること、どう思う?』と聞かれたとき、『とんでもないわ』とか『さっさとこのアパートから出てってよ』なんて言ってはいけません。頬杖をついてこう言いましょう。『なんともいえないわね。知的財産の弁護士ってなんなの?』」

主人公の身に起こったことや、彼女が男の妻に対して持つこだわりは、私の経験とは異質のものだったけれど、それでもこの作品がつきつけてくるのはまぎれもない私の姿であって、私はその間抜けな姿を笑ったのだった。

ある日、「歌舞伎座の特別なチケットを取るために朝早く東銀座に行かなくてはいけないから、銀座に一泊する」という理由で、一緒にホテルに泊まった。翌日、ほんとうに早朝出ていこうとした男を見た私は、急に自分でも驚くほど腹が立って、ゲラがぎっしり詰まった男のカバンをベッドから蹴り落とし、「何考えてんの?」と怒鳴った。ほんとうは風呂の残り湯の中にぶちこんでやればよかったのだが、とっさのことに頭が回らなかった。男はカバンをすばやく受け止め、私をなだめた。結局、昼ころまでホテルで一緒に過ごした。

最近読んだフランスの小説に、

「その勝利は全面的なものではなく、部分的なものであった」

という印象的なフレーズがあった。クリスティーヌ・アンゴという女性作家の最新作『東への旅』(未邦訳)という作品に出てきた言葉だ。アンゴは実父から受けた性虐待を繰り返し書いてきた作家で、本作でもその体験をもう一度、語り直している。

母子家庭で育ち、13歳まで父親の存在を知らなかったアンゴは、ある日突然あらわれた父親に魅了される。彼は欧州評議会のインドヨーロッパ語翻訳部門のディレクターで、高い社会的地位とシックな服装で幼いアンゴに強い印象を与えた。アンゴはこの父親に父としての愛情を求めるのだけれど、父親がアンゴに求めるのは少女の肉体だけである。父親はあの手この手でアンゴを丸め込み、性関係を持とうとする。アンゴは父との関係がふつうではないことが最初からわかっていて、ふつうの親子のように接してくれるように何度も懇願し、交渉する。引用した一節は、父親が譲歩し、交渉が一時的に成功したかのように見えた場面での一言だ。

既視感があった。愛と支配の物語には完全な勝利などありえず、たとえ小さな勝利を勝ち取っても、それはつねに部分的なものに過ぎないのだ。

その後の記憶は、あいまいだ。しかし、いずれにしても、話し合いがもたれたはずであり、話し合いの場で私は、もっとまともに向き合ってほしい、私の都合にも合わせてほしいというような要望を伝えたはずだ。なぜなら後日、別れの手紙を受け取ったからだ。手紙には「あなたの気持ちには応えられません」「自分の至らなさを痛烈に実感しました」「痛恨の極みです」という内容が便箋2枚にわたって手書きでしたためられていた。私には私の欲望があったが、その欲望と、自分の欲望を口にした私は、黒い服を着た男に拒絶されたのだった。

さて、男から手書きの別れの手紙などもらったら、まずは女友達に見せるものである。私は幼馴染の家に行き、事情を話して手紙を見せた。彼女は手紙を読むなり、「ちょっと待って! これ、裂けちゃってんじゃん!」と叫び声をあげた。「通っちゃってんじゃん! 通って、裂けちゃってんじゃん!」とまた彼女。何事かと思い、彼女が指差す箇所を見ると、「痛烈」の「烈」が「裂」に、「痛恨」の「痛」が「通」になっていた。私たちは「通っちゃってんじゃん! 裂けちゃってんじゃん!」と言いながら、友人宅のカーペットの上を転げ回って爆笑した。それまでのことが、ほんとうにばかばかしくなった。私の失恋の痛手は、今はもう会わなくなってしまった彼女のおかげで、笑いに昇華されたのだった。

気づけば、こんな男と2年近くもつき合っていた。夫となる人、というか、元夫となる人と出会う直前の出来事である。

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