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医療の暴力とジェンダー Vol.14 私がされた虐待的治療の詳細

安積遊歩2021.09.22

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この社会の仕組みの隅々に優生思想が溢れている。障害を持って生まれると、生まれた瞬間から「その身体ではダメ」と言われているわけだから、医療は本当に近くなる。少しでも障害のない身体に近づけようという医療の努力が生まれた瞬間から始められる。

私の場合、それが13歳まで続いた。
男性ホルモンの投与に始まり、全く意味の無かった骨の湾曲の矯正手術。それを8回もされた。元々の骨が脆弱のため何度も骨折をしてきたから、痛みというものに敏感でついに13歳の時に、これ以上どんな手術も必要ないと決断。骨の湾曲を矯正するという中に含まれる美意識、曲がっているよりもまっすぐな方がいいという考え方にも胡散臭さを覚えていたし、何より手術は骨折以上に不快感と痛みが甚しかった。

この手術の前には様々な検査があった。こんなに小さな身体なのに採血を何度もされた。血管も細くて見えにくいから、注射針を、何度も何度も刺された。レントゲンも幼心に「何故こんなに撮られるのか」と思うほどに、繰り返し撮られた。性虐待という言葉は知らなかったが、胸から下の剃毛、特に性器の周りを女性の看護師ではあったが、手術の度に剃られるのには恐怖と不快感が募った。

そしてさらに手術台の上での全身麻酔…。妹の証言によれば、私が1番手術後に口にした言葉は痛みの中で「死ぬ〜、死ぬ」と言うものだったという。私は全身麻酔にこの言葉の源流があると思う。手術台の上に見える凄まじく眩しいライト、それを見た瞬間、口にマスクが押し付けられ、なんとも嫌な匂いと味が口と鼻を襲ってくる。そして次の瞬間には大腿骨の皮膚が10センチ以上にわたって鋭利なメスで切り開かれる。メスで切り開いたところから見える湾曲した骨に、2箇所か3箇所切れ目を入れて、その骨をひっくり返し、そこにロットを入れる。路上で刃物振るわれれば犯罪になるが、血だらけの幼児が手術台の上にいるときには、犯罪どころか、周りにいる人へのまなざしは真反対のものになる。

もちろん全身麻酔の時に医師や看護婦がどのような話をしながらその手術をしていたかは、全く思い出せない。しかしある時、そのロットを抜くための手術が半身麻酔で行われた時は、聞こえてくる会話に傷つき続けた。医者が「飲み屋のママさん」の話をしながらメスを握っていたのだ。当時10歳にもなっていなかったから、飲み屋のママさんが誰なのかもどういう事かも十分には理解できなかったが、少なくとも私の手術とは全く関係ないことなのは時々の変な笑い声でわかった。凄まじいライトを浴びながら、恐怖で震えている私の側で、楽しそうに話されている飲み屋の話。

手術後はいつも胸から足のつま先までギブスを巻かれた。ギブスは包帯を石膏でびしょびしょにして、それを身体に巻いて固めることによって、体が動かないように、つまり骨を固定された状態に保つというもの。しかし私にとってはこのギブスが全ての工程の中で1番辛いものだった。

なんといっても腰から下が動けないということは、起き上がることもおんぶされることも全くできない。骨が少し安定したらうつ伏せになることはできるようになるが、それにしても2ヶ月〜3ヶ月そこに閉じ込められるその絶望は筆舌に尽くし難い。心理学系の本を読んだ時にギブスは以前、拘束のための拷問の道具としても使われていたという記述を見つけた。おそらくその一文にひどく納得した読者は私以外にいなかったろうと思う。

ギブスは取る時がさらにまた恐怖だった。ギブスを切る日を言われることは私にとっては天国への扉を開く手間に更なる地獄を強いられる感覚があった。ギブスを切るために胸から下に電気鋸が身体の数ミリ、数センチ脇を走るのだ。医者は「ギブスの下には脱脂綿が十分巻いてあるから大丈夫だ」と安易に言いまくり、私の恐怖を和らげようとするが、2ヶ月の間にそれが汗や様々な体液で酷く固まっているのは私が1番知っている。だから次には「絶対、大丈夫。純子ちゃんを傷付けないように切るから」と常に言われるわけだが、その「絶対、大丈夫」と言う言葉がさらに怖かった。
あの爆音と体の数ミリ数センチ先を凄まじい勢いで電気鋸の歯が通り抜けるのだ。そのことに絶対大丈夫と、誰が保証できるのだろう。この鋸で切るという作業は、必ず医者がやることになっていて、医者によっては私の恐怖の叫びを聞き兼ねて不機嫌と罵倒を押し付けてくる。とにかく最終的にさらなる地獄を潜り抜けて、ようやくギブスが外され自由を取り戻す…。
私は命に別状がないのなら、どんな手術も今は一切しないと決めている。ギブスも注射もそうだ。特に同じ身体つきを持って生まれてきた娘に対してそれが実践できたことは、私の人生の中の最も大きな喜びだ。世間が何をどう言おうと、自分の身体が教えてくれる数々の真実に耳を傾け、娘と共に自分の身体に穏やかで平和な時間をあげ、その中に人生を過ごしていきたい。つまり、それは自分の身体に葛藤のない人(非障害者)と同じ状況を生きるということになるのだろう。

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安積遊歩

安積遊歩(あさか・ゆうほ)

1956年2月福島市生まれ
20代から障害者運動の最前線にいて、1996年、旧優生保護法から母体保護法への改訂に尽力。同年、骨の脆い体の遺伝的特徴を持つ娘を出産。
2011年の原発爆発により、娘・友人とともにニュージーランドに避難。
2014年から札幌市在住。現在、子供・障害・女性への様々な暴力の廃絶に取り組んでいる。

この連載では、女性が優生思想をどれほど内面化しているかを明らかにし、そこから自由になることの可能性を追求していきたい。 男と女の間には深くて暗い川があるという歌があった。しかし実のところ、女と女の間にも障害のある無しに始まり年齢、容姿、経済、結婚している・していない、子供を持っている・持っていないなど、悲しい分断が凄まじい。 それを様々な観点から見ていき、そこにある深い溝に、少しでも橋をかけていきたいと思う。

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