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むちゃセンセーの フェミニズム<今さら>再入門インチキ男女平等にNo!—21世紀のフェミニズムにようこそ

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 「家族難民」って言葉が言われ始めてます。結婚しない人が増えているのは、ずいぶん前からの現象ですが、2030年には男性の1/3、女性の1/4が「生涯独身」になるという予測。これをとらえて、ある学者が、「自分を必要とし大切にしてくれる家族を持たない家族難民が激増する」と警告してるんです。
 なんだかなぁ~、って感じです。夫や子どもがいなくとも、「自分を必要とし大切にしてくれる」友人や仲間は持てるし、サポートし合っていける。結婚しないと「難民」になるなんて脅しをかけるより、仲間同士で快適に住めるようなつくりの住宅を増やすとか、多様なつながりを持ちやすくするほうがずっと生産的では?
 こういう、夫婦・親子しか頼れる人がいない、って考え方、すごく窮屈ですよね。とくに、男性に比べて経済的に不利なことが多い女性は、これまでしばしば、生活の手段として男性と結婚し、子どもを産んできたから、結婚しないこと・子どもを産まないことを非難されがちだし、自分でも不安になったりします。「男女平等」が一応進んだはずの現代で(なにしろ、日本で男女平等が憲法に定められて70年近くたってます!)、なんかおかしくないですか?多くの人が貧しかった時代じゃあるまいし、食べていくのに男に頼らないといけないなんて(頼ることのできる男性も少なくなってるんですが)。
 それは女性の自己責任だ、そんな声も聞こえてきそうです。結婚しないで生きていきたいんだったら、がんばって経済力をつけるべき、老後の心配もないように、ちゃんと貯金して。それができなかった自分自身が悪いんであって、男女平等の問題とは関係ない、って。
 このコラム『フェミニズム<今さら>再入門』で考えていきたいのは、そう、いったい「男女平等」って何なのか、ってことです。結婚しない女性が将来の不安を抱えなくちゃいけないのは、本当に男女平等とは別問題なの?
 もともとフェミニズムは、女性に対する差別に怒り女性の権利を男性なみに押し上げていくことを求めて18世紀に生まれました。「人はみな平等」とされたはずの近代以降の社会で、選挙権や財産権、高等教育を受ける権利など、女性には与えられていなかったのですから。こんな時代には、女性が男性並みになる男女平等は、たしかに達成すべきリアリティがありました。
 でも、法のうえで男女平等が達成されたいまでも、多くの女性の賃金は低く、自立して生きていくのに苦労するのはなぜ?
 このことを、アメリカのフェミニスト倫理学者エヴァ・キテイは、「逃げていく平等」と表現しました。しっかり稼げる仕事につけて自立や自由を獲得できたのはごく一部の女性だけ、多くの女性たちは取り残されてしまったままだ、と。
 逃げていく平等を、女性たちは、もっと「頑張って」追いかけていくべきなのでしょうか?専門能力を身に着けスキルを磨いて、もっと努力すればいいのでしょうか。
 でも、キテイは言います、多くの女性たちは頑張っていないどころか、子どもたちや高齢者をケアしながら、必死で働いている、働こうとしている。その女性たちに、「子どもたちや病人を置いて男の世界に行けというのか」と。
 キテイがここで言っているのは、いま実際に、乳幼児やお年寄りを抱えている女性たちのことだけではありません。ほとんどの女性は、結婚したり子供をもったりするかどうかにかかわりなく、幼い時・若いころから、もっとも身近な女性である母親を見ながら、「誰かの世話をする人生」「誰かほかの人のことを自分より優先する人生」を知らず知らずのうちに心に刻みつけています。就職のときも、「今の恋人と結婚するとしたら~」「将来子供を産んでもOKなように~」「家庭と両立できるように~」と、誰かのことを念頭に置いています。職場でも、多くの女性たちは、営業成績には直接つながらない、男性社員をサポートする裏方仕事をしています。
 そもそも、男性が妻や子を扶養できる高賃金を稼げるのは、家事や育児をしなくて済む「ケアフリー」な立場で優遇されているから。人のケアやサポートをする裏方仕事をする人がいなければ、会社も社会も成り立たないのに、「女は仕事の覚悟が足りない」とか、「女性も男性と同等に自由に実力を発揮しろ」とか、そんなのおかしくないですか?女、男にかかわらず、ケアやサポートをする人が損をせず、むしろ優遇されてはじめて、人は対等(イーブン)になる。能力が高いとか低いとか、意識が進んでいるとか遅れているとか、うんぬんするのはそれから。それ抜きの男女平等なんて、手ぶらで身軽な人と、重い荷物を背負った人を同じスタートラインに立たせて競争をさせるようなもの。そんな「男女平等」はインチキ! 
 平等がなかなか実現しないのは、そもそもの出発点が間違っていたとしたら?良いものとされてきた「男女平等」が、実はインチキだったとしたら?そもそもルールが間違っていたとしたら?? 本コラムは、これまでの「男女平等」の考え方にギワクをさしはさみ、職場で、学校で、恋人や夫婦関係、家族の中で、日常に起こることがらから、私たちがほんとうに求めたい平等は何かを考えていきます。21世紀のフェミニズムにようこそ!
【本の紹介】
book1.jpgエヴァ・キテイ『愛の労働あるいは依存とケアの正義論』
白澤社2011年

今の世界をグローバルに覆う、社会が基準としてきた人間像は、自身が健常で自立しており、しかも、小さな子供や弱い人の世話はしなくていい「ケアフリー」な存在、ケアにただ乗りする人。でも、人は誰しも、まったく依存的な存在として生まれ、多くは人の手を借りて亡くなっていくのだから人間にとって依存は必然、そしてケアの担い手の存在も必然です。それなのに、ケアの担い手は、しばしば自身が依存的存在となり、社会的に不利な立場におかれてきました。ケアの倫理の観点から、ケアを担うことが不利にならない社会の正義はどうしたら実現できるのかを論じます。

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