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2023年は、長年一人暮らしをしてきた母T子さん介護元年の年明けとなりました。
いずれ誰もが老いていく。そのときは来る。母のそのときは始まったばかり。まだ先はみえない。個人的なことだけど、少し落ち着いたのでその顛末を書き残しておきたい。

「今日お母さん入院しました。(自分で)救急車呼んで」
妹のM美からLINEを受け取ったのは12月のクリスマス直前、私は大阪にいた。すっごく楽しみにしていたイ・ジュンソクのファンミ会場前で入場を待つ人混みの中にいた。

母T子さんは90歳になった。年齢を言うと驚かれるほど、身長は162cm、背筋はしゃんと伸びてるし、家はきちんと片づけてるし、「まだ大丈夫」と思っていた。

確かに最近は、めまいがする、胸が締めつけられる、そんな不調を訴えることが増えていたけど……。
電話のたびに聞かされると「もう90なんだから、どこか悪くなるのは仕方ないでしょ」そう言いたいのをグッと押しとどめる、こともあれば、ちょっと突き放して言ってしまうこともあった。後味悪くなるのわかっていて……。それがイヤでしばらく電話が遠ざかる。その繰り返しだった。

一人暮らしは確かに寂しいだろう。友だちも、電話する相手もいなくなってるから。同じ話につきあいきれない私の度量の問題なのか……。
「そうだね~」と、いいかげんに相づちをうつ自分がやりきれない。
「もう、またその話?」そう言ってしまう前に切るしかない。
母娘の間ではカウンセラーは返上。ほんと、つくづく実感。

母の緊急時の頼みの綱は地元にいる妹(三女M美)。
その日、めまいでふらついて倒れた母はまずM美に電話した。すぐに駆けつけられない場所にいた彼女は「救急車を呼んで!」と指示。自分で救急を呼んだ母が気がついたときには目の前に男の人(救急隊)が立っていたという。
しかも、即座に救急から担当ケアマネージャーに連絡がいくシステムのようだ。ケアマネのKさんは病院に同行したと後で知った。これ、すごいことだと思う。

T子さんは病院が大好き!検査で異常が見当たらなかった母は、一人暮らしということで1週間の入院と経過観察になった。

彼女にとっては至れり尽くせりの保養施設なのかね。やれやれ、それならひと安心。

ところが、病院で心地よく過ごして回復したはずのT子さんが、退院したとたん再び不調を訴え始めた。
どうしたの、T子さん? なんだか母の様子がおかしい。
同じことを何回も聞く、言う、覚えていない・忘れてしまうことが増えていった……ちょっとこれまでと様子が違う……。妹から聞く母の様子に不安を覚えた。

T子さんの介護認定は要支援1。支援といってもヘルパーの週1回35分の掃除だけ。
見た目は元気そうで「とてもその年には見えません」と誰からも言われる。それが誇らしくて、几帳面できれい好き、自立した暮らしに自信をもっていた人なのに。
さすがに「このままじゃまずいかも」と危機感をもった。
もう年末で新年は目の前。誰もがせわしなく忙しい時。でも、そうも言ってられない。

正月の帰省日程を思案していた大晦日。夕方、M美が「今日はお泊り」と何気にサラリときょうだいLINEにメッセージをあげた。
「一人で置いとけない。まずいよ」というサインに読めた。

私は6人きょうだいの長女で、妹が3人の4人姉妹、その下に弟が2人いる。
このきょうだい構成に、ジェンダーを感じ取ってもらえるだろうか。そうなの。根っこには母のジェンダー、母娘と父子関係、話せば長くいろいろあり、なのです。
地元にいるのは三女だけ。きょうだいは名古屋の私、東京2人、札幌2人とみんなが一堂に顔を合わせるのは難しい。これまで親のことではM美にずいぶん負担がかかっていた。いや、かけてしまっていた。
母が一人で暮らせたのも、M美がいてくれたからこそ。地元といっても車で30分はかかるのに、文句ひとつ言わないM美に私たちきょうだいは甘えてきた。

ふだんは実家に泊まらないM美が、母の退院後毎日通い、しかも大晦日に家を空けて母のそばにいるという。
彼女なりの「緊急通報」なのは明白だった。
「3日に行く。そこから交代するね」私も覚悟のうえで帰省した。

M美も母とつきあう自分の限界を知っていた。必要以上に踏み込まない、踏み込まれないためのバウンダリー、それは母娘関係の重要な一線だ。
これほどの年月を母とつきあってきた彼女の本音が「一晩以上はムリ」と来た。これには笑えないものがある。T子さん、気丈なだけに頑固でこだわり強いからねえ。

帰省した私はM美と交代してT子さんと2人になった。
24時間母といると、いままで気づかないことが見え始めた。まず、薬の管理ができてない。これが症状の悪化の原因だった。ポストの暗証番号、炊飯器の炊き方も忘れていた。
入院をきっかけに、高齢者の様子が変わることはよくあるらしい。ショックだった。
やっと、私たちは母ともども、その老いと暮らしの「チェンジ」の時を痛感した。

まさか妹と交代で母の家に住む、なんて考えたこともないし、無理な話。ただ、少なくとも、母を一人にして帰るわけにはいかない。なんとかしないと帰れない。
じゃあ、何をどうすればいいのか、何から始めるのか、見当がつかなかった。
ネットや知人を頼りに高齢者施設やサ高住(サービス付き高齢者向け住宅)など、手あたり次第の情報を集め始めた。

追い詰められると、物事って動くんだ、動かせるんだと知った。
T子さんの「チェンジ」は、私が帰省した日からほぼ5日で希望の展開、幕開けとなった。

社会福祉法人「S苑」は、母の担当ケアマネージャーがいる施設。行ったことがないという母に、一度行ってみようかと2人で訪ねた。車で10分ほどの特別養護老人ホーム、ケアハウス、デイサービス、ショートステイなどを併設しているかなり大きな施設だ。
予約もなく訪ねたのに担当ケアマネージャーのKさんに会うことができた。
日当たりのいい玄関のソファーで温かい笑みを浮かべるKさんと話しながら、母が彼女を信頼しているのがよくわかった。入院後の様子と変化を手短に説明すると、そこから一気にことが動いた。
T子さんのチェンジの扉を開いた瞬間だった。

Kさんにも、最近の母の言動には一抹の懸念を感じるエピソードがあったらしい。
「今のT子さんに見合う介護と見守りを探しましょう」
そう言われて「あ~、ここに頼れる人がいた」 
初対面なのに、とにかくすごく安堵した。目の前が明るくなった。
ただ、何よりも大切なのは母自身の気もちだった。「Kさんがいるなら安心、できれば地元を離れたくない」と、自分の暮らし方を変える時を前向きに受け入れてくれた。

その後のKさんの判断と行動は適切で素早かった。私の滞在期限を確認して、さっそく私たちが多様な選択肢を考えられるよう手配してくれた。市内の高齢者施設をいくつか検討したうえで、T子さんには自立支援施設ケアハウスが適当だろうと落ち着いた。
私の帰省5日目で、ショートステイの面接、申し込みとケアハウスの見学もすませた。ほんとうにあっと言う間に、無駄なく、スムーズに事が運んだことに驚いている。

いったん母をショートステイに送り出したら、私も帰れる。あと2日。
施設での手続きを終えての帰り道、3人ともくたくただった。
運転するM美に「あんた(実家に寄らんと)まっすぐ帰りたいんやろ?」と声をかけると「うん!!」即答。そのとたん、2人の中で何かがはじけた。突然、2人とも同時に、腹の底から笑いが襲ってきた。笑っても笑っても止まらない。なんでだよ~! 涙ボロボロ流しながら、車の中で笑い転げた姉妹。2人でいたから先のことを考えられた、動けた。ありがとね、妹よ!サランへ(愛してる)!
きょうだいLINEで遠くから見守ってくれた妹、弟たちにもありがとう。
あ~、やることやった。怒涛の5日間に心残りなく気持ちはスッキリ、ブラボー! 
後部座席で母が「何がそんなにおかしいんや」と、ぼけていた。

このおかんと1週間まるまる暮らした私も、よくやった!

ショートステイから戻った母は、M美の家と自宅を行き来しながら2月の入所を待っている。体調は一進一退。先は見えないけれど、残された時間を幸せに過ごしてほしいと願っている。

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具ゆり

具ゆり(ぐ・ゆり)

フェミニストカウンセラー
フェミニストカウンセリングによる女性の相談支援に携わっている。
カウンセリング、自己尊重・自己主張のグループトレーニングのほか、ハラスメント、デートDVやDV防止教育活動など、女性の人権、子どもの人権に取り組んでいる。
映画やミュージカルが大好き。
マイブームは、ソウルに出かけてK-ミュージカルや舞台を観ること。

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