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TALK ABOUT THIS WORLD フランス編 トランスジェンダー

中島さおり2023.03.21

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 フランスの地方都市の高校で日本語を教えている私のクラスに、モグリでやって来る生徒がいる。第二外国語の1年生のクラスなのだが、入学して間もない頃から、毎回、教室に来ては「混ざってもいいですか」と頼むので、最初は名前も聞かず「いいよ」と言って入れていた。

 手足が細く長く、黒髪を無造作に小さいポニーテールにして、男の子のような洒落っ気のない格好をした、不思議な雰囲気を持った子だった。女の子たちと交わらず、いつもディエゴという優等生の隣に座っている。書き取りなどやると、「授業に来られない時は、ディエゴに返しておいてください」と付記して、体に似合わない豪快な字を残して行く。

 格別美人というわけではないが雰囲気のある子で、所謂「女の子らしく」しているより意外にああいう子がモテるんだよね、などと私は思った。それにしてもディエゴは、堅い優等生で、高校1年生の新学期から彼女ができそうなタイプには見えないのだが、それはそうと意外に女の子の趣味は良いのだななどと余計なことも考えた。

 1学期の成績会議の時期が来た。第二外国語である日本語は、4つのクラスから生徒が集まって来るので、担当している生徒は1クラスあたり8人くらいしかいなくても、私は4クラスの会議に出なければならない。その一つに出席した時のことだ。

 ざっと全体の講評が終わると、生徒一人ひとりについて教員たちがコメントして行き、最終的には優・良・可などに当たるような総合評価をつける。日本語を第二外国語にするクラスは募集人数を応募人数が上回るため、入学時点で選別が行われるから、私の生徒たちは概してどの教科も成績が良い。なので、別段、フォローする必要もなく淡々と成績会議は進んでいく。その時、突然、あのモグリの生徒の名が上がった。なるほど、あの子はディエゴと同じクラスだったのだ。見れば、私の生徒たちとは違って成績は教科によってデコボコしている。一桁台の悪い点もある。各教科の先生方が口々に、悪い講評を始めた。

 どうしよう、と私は思った。擁護してあげたいけれど、そうするとモグリの生徒を受け入れていることがバレてしまう。一瞬戸惑ったけれど、私は思い切って口を切った。

「彼女は私のクラスに来ているんですが、真面目によく勉強しますよ」

 その途端だった。
「彼」と、誰かから修正されたのは!

「男の子なんだよ」
「線が細いからね」
「私も最初は女の子だと思った」

 同僚たちが口々に、「彼」だと私を説得にかかって、モグリ云々ももちろん、私のしたプラス評価さえもすっかり忘れられてしまった。

 私は愕然としたが、そういえば「彼」の名は「ロレンツォ」というのだった。実際、「ロレンツォって男の名前だな」と思ったことはあったのだった。しかしそれにもかかわらず、私の間違った認識は修正されなかったのだ。思い込みというのは恐ろしいものだ。次に会ったとき、私はロレンツォをしげしげと見てしまったが、やはり女の子に見えた。

 という話を幾人かの知人友人にしたところ、「トランスジェンダーじゃないの?」という人があった。なるほど、そういう見方もあるか。いやしかし、ロレンツォが元々男の子だとすれば、女の子になりたがっているようには見えない。どちらかといえば、男の子になりたがっている女の子に見えるわけで。あ、ひょっとすると名前をすでに変えた後なのか???

 生徒の中にトランスジェンダーがいるのは事実だ。去年の2年生のクラスにひとりいて、今年の2年生のクラスにもひとりいる。私は合計して1年に120人くらいの生徒を担当しているから、毎年120人にひとりくらいの割合でトランスジェンダーの生徒がカミングアウトしていることになる。ジェンダーがトランスあるいは無性、中性の人がどのくらいいるかという調査はフランスにはなく、現時点ではカナダにしか存在しないそうだが、そのカナダの調査によれば、15歳から19歳の層ではO.73%だそうであるから、だいたいそんなものなのかもしれない。

 去年のある生徒は、2学期だったかに、担任の先生から「今後は、ノエという名前で呼んでください」というメッセージが回って来た。しばらくして正式な名簿の記載も変わった。ノエという名前は男にも女にも使えるので、正確にはトランスジェンダーでなく、性自認は無性あるいは両性の可能性もある。その方がしっくりする生徒でもあった。
 全身が棒のように細い華奢な子で、最初に会った時から髪は短く、いつもパンク風の黒い格好をしていた。風貌はエゴン・シーレの描く人物を思わせたけれど、エゴン・シーレに漂うセクシュアリティは感じさせなかった。少女よりも少年に近く見えたけれども、本物の男の子には見えなかった。強いていえば、少女マンガに出てくる少年に似ていた。

 勉強はできなかったが、何やら障害があるとのことで、口頭試験は免除になっていた。授業態度も大して良くなかったが、日本の歌を聴かせた時は嬉しそうだった。「夜に駆ける」を知っているらしく、あんな早口で難しそうな歌詞を一緒に歌っていた。その時は授業の終わりに「メルシ」と言って帰った。「オオカミ子どもの雨と雪」も好きだったらしく、「家族紹介」の宿題で雨と雪の家族の紹介文を作って録音を送って来た。グーグル翻訳など使って作ったのだろうが、よくできていて意外なことにひどく発音が良かった。「オオカミ子ども~」はオオカミと人間のハーフの姉弟がアイデンティティに悩み、それぞれ違った選択をする話だ。何か、あの子に訴えるものがあったのだろうか。

 今年男の名前に変わった生徒は、名前と一緒に性格まで豹変した。少なくとも、教師の目に映る性格は。
 去年は、発言は全くしないがテストをすれば常に満点を取る、不思議な優等生だった。授業はあまり楽しんでいる風でなく、机がグループになるよう向いている教室だったせいかもしれないが、こちらを向いていることもあまりなかった。横を向いているばかりか突っ伏していることもあり、退屈しているのかと思っていた。髪は黒く、ついでに服も黒っぽかった。

 その生徒が、金髪になって教室に座っていた今年度の初日、私は新しい生徒だとばかり思って声をかけ、名前を聞いて仰天したのだが、変わったのは髪の色だけではなかったのだった。しばらくして、別の名前で呼んで欲しいと言って来た。私は生徒の名前をカタカナで書かせたカードを毎回アトランダムに生徒たちに配り、読みの復習と出席取りの二鳥一石を狙って、お互いの名前を読ませているのだが、名前を変えたので新しいカードが欲しいというのである。そのうち、コンピューター上の名簿の名前も変わった。髪の色を変え、名前を変えた彼はすっかり明るくなって、笑顔を見せるようになった。そして勉強ができなくなった。発言はするけれど結構間違えるし、忘れていることも多い、普通の生徒になってしまった。でも朗らかで幸せそうになったので、きっと男の子になったのは、この子にとってすごく良いことだったのだなと思っている。

 

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中島さおり

中島さおり(なかじま・さおり)

エッセイスト・翻訳家
パリ第三大学比較文学科博士準備課程修了
パリ近郊在住 フランス人の夫と子ども二人
著書 『パリの女は産んでいる』(ポプラ社)『パリママの24時間』(集英社)『なぜフランスでは子どもが増えるのか』(講談社現代新書)
訳書 『ナタリー』ダヴィド・フェンキノス(早川書房)、『郊外少年マリク』マブルーク・ラシュディ(集英社)『私の欲しいものリスト』グレゴワール・ドラクール(早川書房)など
最近の趣味 ピアノ(子どものころ習ったピアノを三年前に再開。私立のコンセルヴァトワールで真面目にレッスンを受けている。)
PHOTO:Manabu Matsunaga

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