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6月27日、パリ郊外のナンテールで、無免許で車を運転していた17歳の少年が、警察に停められ、振り切って逃げようとしたところ、警官に撃たれ死亡した。
ナエルという名のその少年はアルジェリア系で、郊外移民街の住民だった。

この事件をきっかけに、行き過ぎた警察に対する抗議行動が瞬く間に全国に広がり、暴動へとエスカレートした。あちこちで車が燃やされ、公共の建物や店が壊され、挙句は政治家の家が襲われた。フランスの暴動のニュースが再び世界を駆け巡った。

いつか見た光景。30代以上であれば覚えている方もあるだろう、2005年のフランスの暴動。警察に追われたアフリカ系移民の少年2人が変電所に駆け込み、感電死した事件。それをきっかけにパリ郊外を中心に連日車が燃やされたり店が襲われたりする事態が3週間も続いた。

あの時、私はアフリカ系移民と警察の間に一触即発のピリピリした関係があり、事件は氷山の一角で、いつ何時、同じような暴動が起こってもおかしくないのだと知った。ほぼ時を同じくして、私はあの暴動を予見したかのような小説を書いた作家と縁あって知り合い、彼の小説を日本語に翻訳した。(マブルーク・ラシュディ『郊外少年マリク』)その小説を通じて、移民二世の子どもがどんな環境で育つかを理解した、と思った。

移民の失業、親の教育水準の低さ、貧しい移民の住む郊外団地のゲットー化、レベルの低い学校とドロップアウト、軽犯罪、麻薬取引、警官に対する不信と敵対、就職差別、未来のない若者の絶望・・・

2005年の暴動の後、フランス政府は何もしなかった。移民の環境は改善されず、いつだってまた暴動は起こるのだと、作家は私に言った。

2019年に、ラジ・リ監督の「レ・ミゼラブル」という映画がカンヌ映画祭で審査員賞を受賞した。ヴィクトール・ユゴーの有名な作品からタイトルだけを借りたこの映画は、パリ郊外サン・ドニのある町に赴任した警官の目を通して、地域を描いた作品で、その中で少年たちと警官の軋轢はリアルに描かれていた。

にもかかわらず、私は目の前に広がる光景に深い衝撃を受けた。フランスの人種差別はアメリカに比べれば穏やかなような気がしていた。作家のマブルーク・ラシュディのような世代が成熟するにつれ、移民2世のフランスへの統合が進んでいるような気がしていた。でも私は何もわかっていなかった。成功した移民出身者がゲットーを出て行く後に、多くの人々は残り、そこに新たな移民が合流して、ゲットーの現実は変わらない。私は何も見ていなかったことが恥ずかしかった。

あれから20年近く経って、目の前には同じ光景が繰り返されている。暴動があっても、世代が入れ替わっても、フランスは何一つ変わらなかった。

変わらなかったどころか、むしろ悪くなっている。ナエルが警官に殺された事件は、少年たち自らが変電所に駆け込んで感電死した事件よりも恐ろしい。警察を怖がって逃げた少年たちの事故死よりも、警官による射殺の方が闇が深い。停止命令に従わないという小さな違反は、その場で射殺しなければならないようなものか? そのアンバランスな警官の行動の背景、発砲を躊躇しなかった理由は、人種差別以外の何者でもない。それに呼応するかのように暴動も激しさを増し、その被害は五日五晩で、すでに2005年の3週間の規模を超えてしまった。

警察との関係は緩和されるどころか、緊張を増した。2017年に法律が改正され、警官が銃を使用できる範囲が広がった。2005年であれば、警官の発砲による致死は起こらなかっただろう。2023年には、ナエルを含めて3人、2022年には13人が警官の発砲により死んでいる。

イスラム原理主義のテロが吹き荒れた一時期を経て、人種差別意識もまた進んだ。死んだ少年の遺族への募金よりも、極右政治家が呼びかけた射殺した警官の家族への募金の方が額を上回り、数日で100万ユーロを超えたという事実は、フランスに人種差別がしっかりと根を下ろしていることを語っている。

事件の翌日から火がついた暴動は数日間続き、週末の日曜日以後はかなり下火になったが、各地で暴動が広がるにつれて、人々の関心は暴動を鎮火することに向かい、そもそもの少年の死が忘れられるように感じたのは私だけか?

発砲した警官個人は断罪されたが、暴動を収束させる警察は肯定される。そういう図式の中に、死んだ少年と同世代の若者たちの怒りが埋もれて行ってしまう危惧が頭をもたげ、私を苛立たせる。

暴動で警官に職務質問を受けた参加者の大半は14歳から18歳で平均年齢は17歳だそうだ。高校教師をしている私にとっては、毎日相手をしている生徒の年齢。私の生徒の中にはアラブ系、アフリカ系の子ももちろんいる。ナエルという名前の生徒もいた。今はもう夏休みで会えないが、あの子たちはどうしているだろう。たとえ暴動に参加しなくても、きっとどこかで「ナエルは自分だったかもしれない」と感じているのではないか。そう思うだけで、私は胸が痛くなる。

公共物を壊したり、他人の車を燃やしたりするのは、それは悪いことだ。でも、悪いことをしないで大人しくしていれば、誰も彼らの感じている差別や不正に気がつかない。ナエルが死んでしまったのは、警官個人が悪人だったからではないのだ。政治はこの事件と暴動から学んで、少年たちの声を聞かなければならない。でも、実際に起こっていることは、その反対のように見える。そして20年後にもまた、同じ光景が繰り返されるのだろうか。

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中島さおり

中島さおり(なかじま・さおり)

エッセイスト・翻訳家
パリ第三大学比較文学科博士準備課程修了
パリ近郊在住 フランス人の夫と子ども二人
著書 『パリの女は産んでいる』(ポプラ社)『パリママの24時間』(集英社)『なぜフランスでは子どもが増えるのか』(講談社現代新書)
訳書 『ナタリー』ダヴィド・フェンキノス(早川書房)、『郊外少年マリク』マブルーク・ラシュディ(集英社)『私の欲しいものリスト』グレゴワール・ドラクール(早川書房)など
最近の趣味 ピアノ(子どものころ習ったピアノを三年前に再開。私立のコンセルヴァトワールで真面目にレッスンを受けている。)
PHOTO:Manabu Matsunaga

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