先日の連休は、母校Z高バスケ班OG会。私が高1、高2の時期、チームとして苦楽を共にした懐かしい先輩たちとの再会です。会わなかった長い時間がうそみたい、それぞれの人生の時間を一瞬で飛び越えて、あっという間に温かい思いに満たされた女子会になりました。今回は、そんな思春期をふりかえって、自分のことを書いてみます。
高校生のころ、私は何を考えていただろう・・・
私にとって母校のZ高は・・・バスケは・・・どんな意味があったのだろう・・・
Z高は好きだった。歴史ある県立高校で、自主と自由を標榜する伝統があり、それを誇らしく思っていた。制服は「標準服」という定義で、伝統のセーラー服にあこがれてほとんどの女子はそれを着ていた。寒い冬はセーターにブレザーが増える。
校則というものがあったかどうかも覚えがないくらい、規律や強制のない自由が満ちていた。管理された記憶もないなぁ。教師にも個性的な名物先生がたくさんいて、尊敬されていた。そして、私たち生徒も尊重されていたと思う。
自分のことは自分で考え、決めることがあたりまえだった。
改めて考えると、スゴイことだったかもしれない。
私のフェミルーツはここでも種をもらったのかもしれない。
憧れ、尊敬する先輩もいたし、1年先輩でも、当時はものすごくおとなに見えていた。
ちょっと風変わりなのもいたけど、記憶に残っているのはそんな「自分」がある人たち。
そういえば男子が7割くらいだったのに、私の年代は生徒会長、副会長ともに女子がやった。あのとき男子は受験優先で誰も手をあげなかったから?・・・、覚えがない。
それにしても個性的で活発で、美女が多かった。みんな光ってたなあ・・・。
私の成績はみごとに落ちこぼれて後々悔いることになるけれど、そこで過ごした時間や出会いは豊かだったと思える。
思春期真っただ中の多感な高校時代は、私にとって、自分のアイデンティティに向き合い揺れ始めた時期だった。
自分の出自、親への思い、社会や不当なことへの怒りや無力感、やり場のないイラつきや不快感・・・でも、それが何なのか、当時は自分でもわからなかったし、モヤモヤした感情をもてあましていた。
なんとなく自分をクールに見せようと、そんなふりをして、無意識につっぱっていた気もする。
プライドも高く、それを守りたかった。
家族には優等生のふりをしつつ、隠れて悪いこともしたし、うそもついた。
ときどき、学校をさぼることもあれば、感情的な行動に走ったり、ムキになって周りを挑発したり、自分を傷つけたこともあった。
表向きは自分なりにうまくやりぬけていたと思うけど、
複雑で濃密な思春期時間を暴れていたんだなぁと思う。
その一方で、バスケとチームメンバーとのつながりが、そんな私の高校生活を健全に調整してくれていた、と思っている。
今思うと、バスケ班にいたことで助けられた、はずれないでいられた・・・。
当時の私の目からは、自分以外の子たちはみんな、何の問題もない、幸せな家庭で育っている、無邪気な高校生に映っていた。自分が悩んだり考えたりしていることを話しても通じない気がしていた。「どうせわからないよ」という、すねた気もちだったのか。だから、それはないこと、考えないようにしてやり過ごすことにする。
屈折した卑屈な思いを抱えていたといえる。
それでも、自分が「個」として認められる居場所は、ある種の「解放」を私にもたらしたと思う。
Z高にいること、バスケすることが、自分を認める空間だった。
個としての「自分」の世界を感じていたと思う。
今回集まったメンバーは、そんな私にとって特別な人たちだった。
当時、Z高女子バスケ班は、次々にメンバーが退部して、部員はたった5人とマネージャーだけが残っていた。ギリギリ試合はできるけど、練習も試合も現実は大変だった。
下級生が入ってくるまでの間、その苦楽、泣き笑いの時間をともにした特別な人たち。
伝説の試合がいくつかある。反則でキャプテンが早々と退場し、運動まったくダメマネージャーが出たり、退場が続くと、相手チーム5名対こちらは3名で試合続行するときも。今では笑い話だけれど、思い出しても泣けてくる試合が何度あったことか。
泣きながらした試合も青春映画っぽくて、懐かしい。今は幸せを感じる。
身体ごとぶつかりあって、汗を流して、泣いた。ミーティングで言い合って、対立したし、泣いて・・・そんな丸ごとをぶつけあえる時間が、心地よかったんだと思う。
今回、長い時間を経て、本当に久しぶりの再会だった。なのに、瞬時に一緒にプレーをしたあの過ぎし時代にワープする感覚は、不思議な快感だった。
高校生当時に、それぞれの家庭事情や問題があったかどうか、そんなことを話すことはなかったし、今もこの長く会わなかった時間にそれぞれ何があったかなど、知らなくてもいいこと、聞かなくてもいいこともある。
それでも、この過ぎし歳月には、結婚も離婚も再婚もありと、それぞれの女の人生はさまざまにあったことはわかる。その年輪が顔にもしわにも刻まれる年齢になったから。
あの当時、それぞれが一人の女子高生としてバスケを通して思春期をぶつけ合った時期。誰だって、悩んだり葛藤することがあったころ・・・
私のフェミニストへのちいさな種が、こんな高校時代に、彼女たちとバスケをする中で培われていたのだなあと、今こうして気づいたこともうれしい。
今なら自分のナラティブストーリーを、お互いに語りあいたい気がする。