
5月に入り、気温が20度を超える日が続くようになって、北国のドイツにも初夏がやってきた。
新緑あふれ、地面はたんぽぽの黄色が散らばり、またはヒメジョオンの白で雪が降ったかのように真っ白になったり、紫の藤の花が滝のように建物の壁を覆い(ドイツでは藤の花を「青い雨」とも呼ぶ)、様々な色のバラがあちらこちらの家の庭や垣根に咲き乱れている。
ヨーロッパが一番美しい季節がやってきた。マロニエの木には燃えるロウソクのような花が満開になって見事な一方で花粉も飛ばしてくるけれど……。
夏だけ営業する友人のカフェが今年もオープンした。ここで働くのも早4年目。週に1〜2回、数時間行く程度だが、お小遣い稼ぎとフィットネスを兼ねて、今年もチームに参加する。昨年から続くメンバーに今年から調理担当で入った新しい女性が加わった。
5月初旬までは時間がなくて行けなかった私も先日、遅ればせながら今年初のシフトに入るとその女性が居た。アラブの辺りの出身でドイツ語はそんなに話せないから英語で、と他のメンバーから聞いていたので、英語で挨拶する。物静かで品のいい感じの彼女はキッチン担当なのに、バーの方でも手伝うから何でも言って、とバーカウンターの上も片付けている。
その日はそれほど注文が多く入らず静かだったのだが、暇があればスマホを眺めたり電話をかけたりしていた前年のスタッフに比べると、彼女は動いていないと気が済まないタチなのか、あれこれと自分の担当以外の仕事も片付けているようだった。
「数週間前に初めてここに来たときは驚いたわ、キッチンがめちゃくちゃで……」と話す彼女に、オーナーのCが一人で切り盛りしてるときはいつもそうなっちゃうのよ、苦笑する私。
バーカウンターは現在改装中だが、以前に比べて場所も広がり、積み重なっていた各種の道具やらが工事で一掃されたせいでさっぱり広々しているのを見ながら、ここも前は物がいっぱいですごかったのよ、と言ったら「どんなだったか見てみたいわ」と半ば真顔で言う彼女に「いやあ、それは……」と再び苦笑する私。
ひととおりバーカウンターやテラスのテーブルを拭き、冷蔵庫のドリンクを補充してからキッチンに行ったら、彼女が調理台の上に白い花を並べて、真剣な顔でスマホと見比べている。
あら、それ、ホルンダーね、英語だと、ええと、エルダーフラワーだね、と声をかけると、そうなの、知ってる?これを揚げてみようと思うんだけど、食べる?と訊く彼女の言葉に私は興奮して「食べる!」。なぜならこの花のてんぷらは以前から作ってみたい、食べてみたいと何年も思っていたものだったから。
日本語ではニワトコ、または英語名でのエルダーフラワーとして知られるこの白い花を咲かせる樹はドイツ語ではホルンダーと言って、5月頃に白い小さな花を塊のように咲かせ、甘酸っぱい香りを漂わせる。
庭先から公園、森の中といたるところに葉を茂らせているこの木の花は砂糖と水で煮詰めてシロップにすると喉や気管支の不調に効くと言われ、炭酸水で割ったホルンダーソーダも夏の味としてお馴染みだ。
濃い紫の実がなれば、これもまた煮詰めてジャムにと、ドイツの食生活には欠かせない大切な樹なのだ。
シロップで知られるこの白い花に衣を薄くつけて油で揚げるレシピがあると知ったのは、何年も前に知人がブログでそのことを書いていて、いつか自分でも作ってみようと思いつつ、どこでも咲いているとはいえ自分の庭ではないし、となると動物がおしっこなどをかけてないか、農薬などがかかっていないか、などが気になって採ったことがなかったのだ。
しばらく前に我が子がテレビの子ども番組で「女の子がおじいちゃんに作ってもらってた」のを見たとかで、私も食べてみたい!とせがまれていたところだった。
じゃあ作ってみるわね、と言って、炭酸水と小麦粉を混ぜた衣をつけた白い花を油で揚げたものを、大きなお皿に並べてくれた。私の仕事にくっついて来ていた我が子にも、見てみて!食べたいって言ってたホルンダーのてんぷらだよと差し出すと、目を輝かせて嬉しそう。
彼女も加わって三人で口にしたそのお味は?「どう?」「うーん、衣はとっても美味しい。でも想像していたような花の香りとかはしないね」「そうね……何か間違ったのかな。もう一回作り直してみるわ」と彼女は研究熱心である。
二度目に作ったそのてんぷらも、衣はサクッとして美味しいのだけど、やっぱり花の味も香りもしなかった。
「どうしてかしらね?」と肩をすくめた彼女は、ホルンダーのシロップをかけて食べてみたらいいのかもと言いながら、サービスとしてそのてんぷらを、お客が注文したケサディーヤのお皿の端に載せて一緒に出していた。
ふふふ、粋なことをするなあ。
その日はお客もそれほど多くなく、注文が途切れたキッチンから出てきた彼女はバーカウンターに腰掛け、私にいつ、どうしてドイツにやって来たのかと尋ねた。
そうねえ、20年くらい前の話になっちゃうけど、ドイツで短編の映画祭が公的なお金でどうやって運営されていて、それが社会的にどういう立場を得ているのかを知りたいと思ってね、と私も自分の過去を思い返しながら話す。
そしてそのきっかけとなった映画祭に今も関わっていること、その映画祭がついこの間開催されていて、と名前を挙げたら、「あら、その映画祭知ってるわ。私の友人でドキュメンタリー映画を作る人がいるんだけど、彼がその映画祭に行ってたの」というからちょっと驚いた。ドイツ国内外で映画や文化に関心のある人にはそれなりに知られた映画祭であるとはいえ、まさか彼女が知っているとは思っていなかった。
あなた、この映画祭を知ってるなんて、もしかしてあなた自身も映画とかメディア関係の人なの?と訊くと、今度は彼女の話が始まった。
3年前にヨルダンからドイツに来た彼女は、ここで専門学校に通ってゲームクリエイターの勉強をしているのだとか。
3年居るけどドイツ語はまだ苦手なの、と苦笑する彼女いわく、ヨルダンは元々イギリス統治だったからその名残で、公用語はアラビア語ではあるが、今も英語が学校教育の中で使われるのだとか。なるほど、どうりでイギリスに留学でもしていたのかと思うような流暢な英語を話すわけだ。
そこから好きな映画、おすすめの映画の話が始まり、そして私が今も短編の作品を作ることがあると話すとあなたの作品を観てみたいというから、おそらくベルリン国際映画祭のサイトに19年前の作品が残っているはずだと言うと、早速携帯で検索して見つけた私の映像作品を見始めた。
自分でも久しぶりに聞く作品の音声が彼女の携帯から聞こえてきて、なんだかくすぐったい。
遠く離れた場所にいる女性が友人の男性と国際電話で、自分が新たに暮らし始めた文化の違う場所の話をする、という内容のその作品を彼女はじっくり観てくれている。
5分弱のその作品を見終わった彼女は、素敵な作品を見せてくれてありがとう、と言う。
もう19年も前の作品だから、今とは時代も違うし、国際電話ももうSNSに置き換わっちゃったしね、と私が笑うと彼女は、でも移民としての状況やテーマは今も通じることよ、私にもわかる、と言う。
ドイツ語をどうやって習得したのか私の体験談を聞く彼女に、でもあなたはまだドイツにこの後もずっといるかはわからないのでしょう?と言うと、そうね、わからないわねえ、と曖昧に笑った。
移民ウェルカムじゃないドイツ人が増えていると言われているが、外国人の方だってドイツに移民したいかは微妙な時代になってきているのだ。
ゲーム制作のマネージメントをフリーランスで手掛けられるようになったらいいけど、フリーランスで働く滞在許可を取るのも難しいのよね、と彼女は言う。でも英語に堪能で頭も良さそうで、かつ周りに配慮がきくこの人ならきっとどこかで道が開けるだろうと思ったことは口に出さなかったけど、まあ様子を見ながらあれこれ試してみるのもいいわよね、と微笑んで応援を送る。
その後、その日のメニューに出すチキンのクリーム煮の作り方をざっとオーナーから早口の口頭で聞いた後に彼女は私に「この作り方、わかる?」と訊いてきたのだが、私もメニューの名前は知っているものの、普段典型的なドイツのご飯って作らないからなあ、私、と苦笑しながら携帯でレシピをググる私に彼女は「もう10年以上もヴィーガンだから肉料理の作り方や味がいまいちわからないの」と言う。
とりあえず見つけたレシピで大体の作り方を確認しながら自分のやり方も加えた方法を彼女に教えると「ヴィーガンはレストランのコックなんてやっちゃいけないわよね」と彼女が苦笑するから、私は笑ってしまう。
そうは言っても今まで複数のレストランで働いてきた彼女の手際はいいのだから、慣れれば大丈夫よ、と一緒にクリーム煮を作る。
ちなみにその後にヴィーガンの彼女が賄いとして焼いてくれたハンバーガーは肉汁たっぷりでとっても美味しかった。
外国人の二人が揃って、ホルンダーの花のてんぷらやチキンのクリーム煮といった典型的なドイツの食にあれこれ取り組む時間はちょっと楽しかった。
そして庭先に咲くホルンダーの花を取ってきて知らないレシピを試してみようと真剣に花を眺める彼女の感性や創造性が素敵だなと心に残った。
この日、久しぶりに会ったオーナーの妻のRや他のスタッフとの会話の中でふと思って私はこう言った。
「このカフェってさ、実はすっごくインターナショナルだよね」カフェのオーナーはドイツ人だがその妻であるRはコロンビア出身。私と私を誘ったサービス担当の友人は日本人。新しくキッチンに入った彼女はヨルダンから。別のサービススタッフやバーテンダーたちは、イラン出身にベネズエラやアルゼンチンやらその他スペイン語圏の人が多く、他にイギリス出身やギリシャにルーツがあるスタッフもいるとRは言う。
ドイツの街の真ん中に、こんなカフェがあるなんておもしろいよね、と皆で笑い合った。さあ今年もワチャワチャとにぎやかな、夏のカフェの始まり始まり。
©︎ : Aki Nakazawa
これがそのホルンダーまたはエルダーフラワー。
小さな星の塊のような白い花をたくさんつけた木が、街のそこら中にあり、ときおり甘酸っぱい香りが鼻先にふっと漂ってきます。
今年も降雨量が少なくてこれからが心配ですが、4月末に降ったまとまった雨のおかげで、新緑が広がっていることに少しホッとしています。
いろいろとイヤな空気が漂うこの頃ですが、この眺めや気のおけない友人たちとの会話が心をなだめてくれている感じです。