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◆引退者の生存者バイアス◆

先日、女性作家さんが、ツイッターで、若い頃、ヌードグラビアの仕事をしたことについて、それでその女性作家さんの家族は年を越すことができたことや、それが良い思い出であるといったことを述べられていて、そこにはたくさんの男性アカウントからの賞賛のコメントと5000を越える「いいね」が付けられていました。

「裸のお仕事」の中でも女性作家はヌードグラビアの仕事を引き受けたそうですが、風俗嬢やAV女優でも「私はプライド持ってやってます!!」という主張をする人はとても多いです。あるいは、「私は普通の人たちにはできないことをしてる」と優越感を見出すことで自分の中にあったその行為への抵抗感を低減させるといった認知の変化も起こりやすいです。

棚卸日記 vol.4で「世間からの同情を回避するための『やりたくてやってる』」について解説しましたが、惨めな自己認知を回避するために、自身の被害者性に対する否認といった防衛機制が働くのです。

「世間から軽蔑されたくない」「同情されたくない」「後ろ指を差されたくない」といった恐怖感情が先行し、自身の被害者性を否認し、主体性を主張しようとする当事者はとても多くいます。一方的に同情されることで自尊感情を毀損されないように必死なのです。

こうした複雑な心理的背景があることから、私は常々「当事者の発する肯定的な言葉を鵜呑みにすべきではない」と言ってきましたが、では、このような主張に触れたとき、「本人に向かって」頭ごなしに「そんなはずない」と否定していいかと言えばそれも違います。

「裸のお仕事」をしてきた人が自分の過去を美化したり、生き方を正当化することに躍起になる気持ちはよくわかりますし、本人にはその正当性を主張する権利ももちろんあります。(もしかしたら、この女性作家はたまたま素晴らしいスタッフに恵まれて本当に何の苦痛もなく撮影が終わり、ヌード撮影にありがちな撮影後に知らない人から一方的に性的な目で見られる頻度が増えるといったストレスも一切なく、快適に過ごすことができた結果「良い思い出」となっている可能性もあります)

ただ、問題なのは、①その言葉を受け取る側の態度と、②言葉がもたらす波及効果について慎重になることです。

◆①その言葉を受け取る側の態度◆

今回、当該ツイートにはたくさんの男性アカウントからの賞賛コメントが寄せられていました。「カッコいいです!」「親孝行、素敵です」「家族のために立派です」といった賞賛コメントが膨大についていましたが、「娘が自己犠牲を払う文化そのものを肯定させ兼ねない」と警鐘を鳴らす男性アカウントは、私が確認した限りひとつもありませんでした。

他方、女性と思われるアカウントからは「家族が正月を迎えるためにヌードになる女性が今後二度と出てこない社会にしたい」といった懸念を示唆するコメントが寄せられていました。

私はその非対称なリアクションを見て、(あぁ、脱ぐ脅威にリアリティを持てないおじさんだけが歓喜してるなぁ。家族のために風俗で働くとかそういう話が割と身近にあって、いざとなったら脱がなきゃ生き残れないような社会システムの理不尽さに常日頃から晒されてきた女たちにとっては他人事だと思えないし、こんな風潮はもう終わらせなきゃって焦る。おじさんたちは危機感なく美談として消費できて幸せだなぁ)と感じました。

ここでオーディエンスが取るべき態度はやはり、手放しに称賛を送ったり美談として消費するのではなく、身売り思想を助長する話として警戒し、次世代に継承させないために思想そのものは批判すべきだったのではないかと思います。本人がどう感じたかについて、その主観を否定することはできませんから、「あなたはよくても身売り思想は駄目です」と。

◆②言葉がもたらす波及効果◆

以下は私個人の感想です。

「娘が脱ぐことで家族が正月迎えられた」というエピソード、娘が家族のために自己犠牲を払う話は美談でもなんでもないです。

自分にとってどれだけ「いい思い出」であろうと、それを肯定したら、次世代の娘たちも同じように食い扶持のアテにされるし、現に食い扶持のアテにされてる女性は今もいます。

当事者には自分の過去を美化したりその正当性を主張する権利があると先述しましたが、フォロワーが十万人を越える方なら、自分が発する言葉の波及効果にもう少し責任的になるべきです。

彼女のツイートを見た男性たちは、彼女個人の感想ではなく、「裸のお仕事」をする女性たちの総意として敷衍させてしまう傾向がありますが、そうした弊害にあまりにも無頓着だと感じました。


◆自己犠牲を親孝行として美化する風潮を否定して
    反搾取規範の形成を◆

女性作家が家族のために脱いだように、今も脱いで稼いで親を助けてる子はいます。

私もそうでした (私はヌードではなく実践を伴う風俗でしたが) 。

私の知人のAV女優は、はじけるように明るく華やかな方でしたが、会うたびに「また母親にお金を取られてしまった(だけど怒れなくて困ってる)」と嘆いてました。そして彼女はたびたび自殺未遂していました。

別のソープ嬢だった知人は、「母親が精神疾患で親戚や近所の人に勝手にお金を配ってしまうから、いくらお金を渡してもキリがないし、とても困ってる、だけど解決方法がわからない」と嘆いてました。

失業した父親に奨学金を使い込まれてソープ嬢になった女性もいました。とても若いのに、とても孤独で、すべての責任を自分一人で引き受けているようでした。それでも父親とは絶縁できないまま、健康面を心配してるのです。

私もそうですし、彼女たちもそうですが、「裸のお仕事」を強制はされていません

ですが、「親を見捨ててはいけない」「親孝行しなければならない」という強烈な社会規範に思考を雁字搦めにされていて、「親の無心を毅然とした態度で拒否する」ということができなくなってしまっていたのです。

もし、当時の私たちが生きる時代に「親のために娘が自己犠牲を払う行為は美談ではなく人権侵害であり、絶対に許されない。とてつもなくグロテスクな出来事であり、社会の責任で防がなければいけない」という社会規範があれば、きっぱりと拒絶することができたかもしれない、と思うのです。

もし、「親から無心された方はこちら」「家族の借金相談」といった行政の相談窓口があって、弁護士や、複雑なケースに対応できる専門性の高いケースワーカーが娘の代わりに引き受けてくれるようなシステムがあれば、娘たちは性産業という究極の自助努力で皺寄せを払わせられずに済んだかもしれません。

 

◆身売り思想に終止符を◆

日本社会では大昔から娘を売り飛ばす人身売買が「親孝行」として肯定されてきました。

江戸時代は年貢上納のために娘が売られる遊女奉公が全国的に拡大しました。開国後の大日本帝国は貧しい農村から売られてきた幼い少女たちを「からゆきさん」として盛んに海外に輸出し、当時貴重だった外貨獲得の手段としました。せっかくの大正デモクラシーの隆盛で女性差別からの解放を目指す婦人運動が勃興したかと思えば、昭和恐慌でまた身売りの嵐。敗戦後の日本では、GHQが300年の忌まわしい歴史を持つ遊郭組織を解体し、女たちを性売買に縛り付ける借金を無効化させ、公娼制度を廃止させたかと思いきや、「生活に窮したら娘を売りに出していい」という価値観の浸透は根深く、手を変え品を変え、看板を塗り替え、建前を騙ることで、搾取構造は面々と受け継がれました。

敗戦後の日本に於ける身売り思想の残滓を調査していた神崎清による『神崎レポート(1952年出版)』にはこのように書かれています(94ページより引用・太字/※は著者)。

昔の貧乏人の親は、娘を芸者や娼妓に売っても、別に不道徳な行為とは思っていなかったようだ。泣く泣く苦界隈に身をしずめる娘を、親孝行な娘として称讃するふしぎな世論があった。

(※戦後の)民主的な新憲法は、封建的な家族支配制の中核をなす親権の絶対性 (身売り思想を是認する根拠)を破壊して子の人権と個人の自由を前面に押し出してきた。にもかかわらず、生活に困った母親が、ほかにとりえたかも知れない生活難の打開策を考えずに、前借金をとって十六になる娘を芸者に出したのは、古い身売り思想から、まだ解放されていなかったためであろう。人身売買の習慣は、都会の裏長屋や、農村の貧困地帯に依然としてのこっているのである。

著者の神崎清は、敗戦後、GHQが「個人の自由という民主主義の基本的原則に反するの故を以て、公娼制度を廃止し、婦人解放の道に大きな光明を与えた」にも拘らず、人身売買の増加などの後退現象を許容した原因を「民主主義の不徹底」と評価しています。

マッカーサー元帥の覚書にもとづく政府の措置が、公娼(集団的強制売淫の公認)から私娼(自由意思による個人的な売淫)への表面的形式をつくりだしただけで、公娼制度への郷愁を持つ社会経済構造の封建的な地殻をたたきわるほど強力なものではなかったことを物語っている。

以下は私個人の見解ですが、神崎が指摘する「民主主義の不徹底」は、家父長制の温存だったのではないかと思います。
男性主導の民主主義から、女性の人権は排除され続けてきました。



◆家父長制による人権の序列◆

最近、日本の民主主義から女性が置いてきぼりにされてきたことを痛感する毎日ですが、今一度本格的な民主化運動と、家父長制を始めとする儒教的価値観との決別が必要だと思います。もうこれ以上、女性の人権を置き去りにしたままの社会を次世代に継承させるわけにはいかないのです。

娘という存在は、家族構造の中でもっとも権力を奪われている存在です。

信田さよ子著『<性>なる家族』から引用します。

多くの家族は、父(時に母)という大黒柱によって支えられているのではない。父から母へ、母から娘へ、兄から妹へというように力の行使・抑圧の移譲が行われ、その末端には少女がいる。

家族の中でまっさきに犠牲になるのが娘なのです。この抑圧移譲の序列を決定づけているのが家父長制です。家の中で最も権力を持たない娘が犠牲を払うべき、という価値観を真っ向から今すぐ全力で否定して、身売り思想を是認する社会を終わらせないといけません。

今こそ家父長制を根こそぎ社会から駆逐して、日本社会の中で何百年と継承されてきた「身売り思想」を社会から殲滅させなければなりません。娘の自己犠牲を美化する風潮、親孝行を美徳とする「身売り思想を是認する根拠」を完全に根絶させなければならないです。

◆娘を売るな、売らせるな◆

ここで重要なのは、「私は平気だからいいの」と言い出す娘がいたとしても、大人が止めなきゃいけないという点です。「自発的に払う自己犠牲なら本人の自由じゃないか、親を助けたい気持ちを否定してはいけない」などと言い出す人がいるかもしれませんが違います。

家族のために娘が自己犠牲を払う前例をこれ以上残してはいけないのです。
前例が残れば残るほど、それに倣う追随者を許容しやすくなってしまいます。
もう習慣として日本社会に残してはいけないのです。

 

◆生存者バイアスは二次加害になる◆

そして「私は平気だった」と感じるサバイバーがいても、そうした生存者バイアスを他者の前で発揮しないことも大切です。

生存者が一番気を付けなきゃいけないのは無自覚に生存者バイアスを発揮しないことです。

自分は渡りきれた険しい道でも、そこで命を落とす人がたくさんいるなら、また引き返して注意喚起して、安全なルートを用意するのが大人の責任だと思います。

件の女性作家は「あんな険しい道も渡れたスゴイ私」自慢に終始してて、勝ち負けから降りられなくなってるような印象を受けましたが、実はそうした生存者バイアスを発揮してしまうサバイバー・引退者は性産業にもとても多いです。

ここで「剥奪感がケアされないまま生き延びた当事者は生存者バイアスを発揮しやすい」という点も指摘しておきます。

「自分がひとより苦労してきた感覚」が適切にケアされないと「こんな険しい人生を切り拓いてきたタフな私スゴイ、強い」と昔取った杵柄を握りがちになってしまうのです。

たまたま無事だった人が大声で話せば、被害の声はかき消されてしまいます。
自分が生存者バイアスを発揮することは、現在も起きている別の当事者の被害を不可視化させるのと同義です。
身売り思想を次世代に継承させないためにも、生存者は自身の逆境経験を美談化して承認を求める材料にしてはいけません。
もしどうしても美談として抱き続けたいなら、手記に留めるのが大人が果たすべき次世代に対する責任です。

◆女vs女のプロレスではありません◆

男性社会に過剰適応した女性の言動を批判しなければならない場面は多々ありますが、そうしたときに、慎重に批判しないと、「女対女」の対立構造に見立てられて、アンチフェミたちにプロレス観戦されてしまいます。

アンチフェミが歓喜して女同士の分断を煽ることで、最終的に社会保障を節約したい政府が漁夫の利を獲るといった結果にならないように慎重に筆を進める必要があります。

ここで私は改めて、社会保障の拡充を訴えたいと思います。誰しもが選択肢を持つ社会を目指すべきです。
そしてしつこいようですが参院選!あと数週間ほどですが、必ず投票に行ってください。
ジェンダー平等な社会はひとりひとりの政治参加なくして達成されません。

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