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 11月25日は「女性に対する暴力撤廃の国際デー」だった。フランスでは今年、ハーヴェイ・ワインスタインの事件に触発された♯balancetonporc(♯Metoo のフランス版)の盛り上がり(10月30日の記事を参照)を受け、例年にない注目を浴びたように思う。

 2日前の23日(金)から、5人のフェミニストが具体的な対策を大統領に求める署名をChange.orgを通じて呼びかけたところ、たちまち70万筆を集め、当日はパリのレピュブリック広場で集会、デモも行われた。
 また、この機会をとらえてメディアは女性に対する暴力、性暴力に関する様々な数値を発表し、フランスは2016年に夫や恋人に殺された女性が123人、強姦または強姦未遂の被害を受けた女性(18歳から75歳)の数は1年に8万4千人(推定)という数字もあちこちで目に入った。

 こうした数字のなかで、私にとってちょっと意外だったのは、公共交通機関を利用している者の100%が少なくとも1回は性暴力や女性差別的言動に遭遇したと言っている男女平等諮問委員会が出典の数字だった。満員の通勤電車が当たり前の日本の都会の列車とは違って、そう簡単にすし詰めにはならないパリのメトロなどでは、痴漢の発生可能性が格段に低いと思っていたからだ。実際、私自身は日本で暮らしていた頃には電車で痴漢に遭った経験があるが、フランスに来てからは全くなかった。しかし、卑猥なことや差別的なことを言われるとか、みだらな目つきで見られるとか、露出狂とか、そういったことまで含めるのであれば、パリのメトロもそうした例には事欠かないのかもしれない。

 そんな風に思ったのは、「女性に対する暴力撤廃国際デー」にちなんで流された情報のうちで、私に最も印象深かったアニメーション動画、《La vie d’une femme(女の一生)》(アソシエーションF1T製作)のためだ。1分45秒のなかで、赤ん坊から少女になり若い女性になり中年になり老婆になる一人の女が歩いている。その女に人々が投げかける言葉が、女性の誰もが一度は耳にしたに違いない紋切り型のフレーズなのだ。たとえば「おまえは女の子だからサッカーには入れてやんないよ」に始まり「なんで被害者づらするんだよ。おまえだってやりたかったんじゃねーの?」「○○(商品名)を使えば、6週間でキレイに」「ちょっと太ったんじゃない? そんなんじゃ彼氏できないわよ」「男と同じ給料だって? なんで?」「ああ、君にはやめてもらうよ。二人目ができたんじゃね」「おまえ、これやるの好きだろ。感じるだろ。ほら、いいっていいな」「もしもし、母さんは、おばあちゃんになったよ。生まれたのは女の子、嬉しいでしょ」とか。そして最後に「ハラスメント、不平等、わいせつ行為、ドメスティック・バイオレンス、性差別がなくならない限り、それらはなくならない」と字幕入りのアナウンスで終わる。

 実は私はこれを観て、しばらくどう考えたものかと悩んでしまった。不愉快な言葉ももちろん混じっていたとはいえ、大方、聞き流してしまえるようなセリフばかりだったからだ。この程度の言葉と性暴力やDVを十把一絡げにするのはあまりに乱暴ではないか? そう思う一方で、こういう私の「寛容さ」こそが女性への暴力の黙認に手を貸して来たのかもしれない。私の常識のほうが、変革を迫られているのかもしれない、と思ったのだった。

 考えてみれば、今、男女の関係に関して、革命のようなものが進行しているのかもしれない。ワインスタインの事件が告発され、世界中の女たちが自分の受けた性被害を語り出したことは、表面に見える以上に重大なことなのではないだろうか。

 ワインスタインは「私は1960、70年代に大人になった人間で、その当時の職場のルールは今と違っていたんだ」と自己弁護して顰蹙を買ったらしいが、その言葉には一分の真実があったと思う。つまり、ワインスタイン(および他の男性たち)の行動は何十年も前から変わらなかったが、変わったのは世の中の常識、女性の常識の方なのだ。

 ことフランスに関して言えば、性愛に寛容であることを自慢にしているようなお国柄で、セクシャル・ハラスメントにしてもアメリカのようになんでもかんでも騒ぎ立てたりはしないと自負しているようですらあったので、実は私はフランスで♯balancetonporcが燎原の火のように広がったとき、少々驚いたのだった。

 フランスで支配的だった「男女の色っぽい関係」といったディスクールの下に、本当は男性優位の関係に抑圧されて苦しんでいる女性たちがいたのだ。その彼女たちが自分の言葉をとり返したのではないか。年長の女たちが目を瞑って自分をごまかしてきた部分を、若い女性たちはまっすぐに見つめている。もしかしたら、「この程度のことでは角は立てまい」と思って来た自分自分も、男性優位社会の中で傷つかないように無意識に自分の認識を曲げてきたのではないか?

 そんな風にひとしきり反省した。

 なので、マクロン政権が「街路でのハラスメント」(つまり、道で女性に性的な言葉をかけることだが)を重点的に取り締まることを考えても(法案は2018年に出す予定)、一概に「枝葉末節」と批判すべきでないのかもと思う。その一方で、街で見かけた見知らぬ素敵な女性を追いかけて歩くのはたしかフランスの男性詩人や文学者が伝統的にやって来た「ロマンチックな行為」だったはずなので、取り締まられてしまうとそうした文学も消えるのだろうと少し残念な気がやはり一方でする。けれども、革命的なことが起こるにはどうしてもどこか「やり過ぎ」はつきものであって、いずれ揺り戻しが来たりするうちに、常識的なところに落ち着くものなのだろう。そうでないと物事は動かないのだなどと、思ってみたりするのである。

 マクロン大統領は、女性に対する暴力撤廃の国際デーに、大統領選での公約であった男女平等に関する対策を発表した。このなかで、「街路上のハラスメント」に関して罰金規定を定めるとしている。他に、未成年への性犯罪の時効を現在の20年から30年に延長すること、性犯罪の被害者用に直通で警察につながるホットラインを設けること、性犯罪の被害者が精神的な相談をすることができる専門家を病院に配置すること、暴力を受けた女性のカウンセリングの保険による還付、学校での教育など、その他、様々な具体策と4億2千万ユーロの予算を約束した。大統領に呼びかけをしたフェミニスト団体などには「遅過ぎる対応」「4億2千万では不十分」とも言われたが、ともあれ男女平等を彼の任期の大きな課題とすると発言したのであった。

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中島さおり

中島さおり(なかじま・さおり)

エッセイスト・翻訳家
パリ第三大学比較文学科博士準備課程修了
パリ近郊在住 フランス人の夫と子ども二人
著書 『パリの女は産んでいる』(ポプラ社)『パリママの24時間』(集英社)『なぜフランスでは子どもが増えるのか』(講談社現代新書)
訳書 『ナタリー』ダヴィド・フェンキノス(早川書房)、『郊外少年マリク』マブルーク・ラシュディ(集英社)『私の欲しいものリスト』グレゴワール・ドラクール(早川書房)など
最近の趣味 ピアノ(子どものころ習ったピアノを三年前に再開。私立のコンセルヴァトワールで真面目にレッスンを受けている。)
PHOTO:Manabu Matsunaga

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