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「脱腸のカミングアウト」

茶屋ひろし2010.03.04

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ゲイバーで飲んでいて隣の人の職業を知ると、職場でのカミングアウト状況の話になることがあります。まったくしていない人から、親しい人にしている人、したつもりもないのにバレている人まで様々です。なんとなくですがある日、この流れは、男性性の強い人から女性性の強い人へ、を示しているのではないかと思いました。まったくしていない人は男らしくふるまうことを意識していて、親しい人にしている人はその相手が女性であることが多く、バレてしまう人はオネエ度が濃くて隠しきれない(隠すつもりもない)からじゃないかしら、という推測です(私は三番手です)。
そして時々、「カミングアウト」という言葉を口にした途端、「そんなことする必要はない!」と過敏な反応をする人に出くわします。まだ彼の状況にまで話は及んでいないのになぜ急に気分を害したのか驚きながらも、「カミングアウト」というアクションが彼にプレッシャーを与えているのかしら、とは想像します。
その過敏さ、ってなんだろう、とずっと据え置きしていた疑問が、最近少し解けてきました。きっかけは、「さらだ ~セクシュアリティと人権を考える会」というサークルのミニコミ誌に、ゲイアクティビストで文化人類学者の砂川秀樹さんのトークライブが収録されていて、その中の砂川さんによる図解を読んだことでした。
それは、異性愛中心社会において、目に見える形で認められている「性別による役割」に該当する部分を持たない性的マイノリティは、その代わりに「アイデンティティ」を伝えることになる、それが「カミングアウト」というものだ、ということでした。そしてカミングアウトをすると、見えない領域であるはずの、自分の性的欲望や性行為の話まで「ズルズルっとひっぱりだされてしまう」。(「さらだ」04 2010 spring より)
それは脱腸のようなものかしら、と思いました。普段は体の中にあるものが、外気に触れるととても痛い。この社会で異性愛者は脱腸にならずにすみますが、非異性愛者は異性愛者ではないと言うことに脱腸の痛みを伴う可能性がある、ということかもしれません。
そういえば、「カミングアウト」に対する過敏な反応をした人に、もう少し詳しく聞いてみると、「親しくない人にまで、自分のセックス状況を話す必要はないし、聞かされるほうも困るんじゃないか」という感じに落ち着きます。
誰かがカミングアウトしないとセクシャルマイノリティが目に見える存在になっていかないことは事実ですが、脱腸の痛みを伴うくらいならしなくてもいいよ、と思ってしまうのも人情です。では、脱腸にならないカミングアウトというものがあればいいのかしら、という気もします。
ミニコミ誌「さらだ」には、「それぞれのカミングアウト」として、カミングアウトした人や、された人を取材した付録がついていました。
カミングアウトされた人の反応で、「ふーん、そうなんだー」「べつになんとも思わない」「だからなに、と思った」という回答が幾つかありました。これはもともと親しい間柄だったことが前提となっていることもあって、「(それ以上は)言いたくなければ言わなくていいよ」とか「言いたくなったら聞くよ」という相手への配慮も感じられて、カミングアウトした方も痛みを感じずにすんだのではないか、と思いました。
けれど、以前出会ったゲイ男子が、「そういう反応が一番ありがたいんだけど、いまひとつ物足りない」と困惑していたことを思い出しました。
ずっと言わないままで関係を続けてきてそれに限界がきて言うことにしたけれど、言うとしたらどう言おうか、言ってこういう反応が返ってきたらどうしたらいいか、相手の気分を害しないか、自分が傷付きはしないか、関係が終わってしまわないか、悩んだ末の、やっとのカミングアウトなのに、「べつに」ってそんなあっさり・・いいけど、いいんだけれど、ああ。
みたいな感じでした。
何かもう少し、「つらかったね、一人で今までよく頑張ってきたね。えらいね。これからも変わらない関係でいようね」というフォローが欲しかったのかもしれません。
逆にカミングアウトはしたことはないけど「べつに」というゲイ男子に会ったこともあります。「べつに、必要なかったから」という意味です。「ぼくはずっとぼくのままで生きてきただけだから、ゲイだと思われても思われなくても、そんなことはどうでもよかった」とクールです。
砂川さんの話になぞらえると、普段はそんなに抑圧もなく「男の役割」を生きていて、性的な欲望や行為は二丁目に来て満たす、といった感じでしょうか。
「ゲイだからなに(So What)?」と、ゲイじゃない人も当事者もそう思える環境というのは理想的です。
けれど私は、こうして並べてみると、理想的な反応に少しの不満を示した前者に感情移入をしてしまいます。私はフォローを必要としませんが、彼がカミングアウトをしなければ、友人は彼がゲイであることを知らないままだからです。ゲイだなんてわざわざ言っても仕方がない、という後者は、その状態が丁度いいのかもしれませんが、クローゼットであることには変わりありません。
「べつに」という言葉の使い方も、「べつになんとも思わない」と言う異性愛者のように使いたい、ということなのではないか、なんて思います。マジョリティの立場で使うということは、マイノリティである欲望は隠された状態が当然になります。
この辺りが難しいな、と思います。
どんなセックスが好きか、なんてわざわざ人に言う必要がない、という気持ちもわかるからです。カミングアウトをすることによって、その部分をむき出しにされてしまうような不安と不自然さを感じるからだと思います。
性的に特化されないカミングアウトができればいいのですが、それはすでに矛盾をはらんでいます。同性が好きで同性とセックスしたい、ということを、そういう人が身近にいるとは思っていなかった人に伝えることがカミングアウトだからです。
ただ、「カミングアウトなんて必要ない」と過敏に、あるいはクールに、マジョリティの意識下で拒否しているよりも、当事者のカミングアウトした話に耳を傾けていく方が、脱腸の痛みを減らしていく方向につながるような気はします。
ちなみに、初対面で恋愛状況を聞く場合は、「彼女はいるの? いない。じゃあ彼氏は? いないんだー。恋愛に興味はある? そうか、ないんだー」みたいな、いい加減さが欲しいところです。

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茶屋ひろし(ちゃや・ひろし)

書店員
75年、大阪生まれ。 京都の私大生をしていたころに、あたし小説書くんだわ、と思い立ち書き続けるがその生活は鳴かず飛ばず。 環境を変えなきゃ、と水商売の世界に飛び込んだら思いのほか楽しくて酒びたりの生活を送ってしまう。このままじゃスナックのママになってしまう、と上京を決意。 とりあえず何か書きたい、と思っているところで、こちらに書かせていただく機会をいただきました。 新宿二丁目で働いていて思うことを、「性」に関わりながら徒然に書いていた本コラムは、2012年から大阪の書店にうつりますますパワーアップして継続中!

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